第35話 円筒鏡

 ◇ 31 ◇


 翌朝。八丈島に残った森繁と志緒理の二人は、ヒイミさまの本体が閉じ込められているという円筒鏡の情報を求めて、再び郷土資料博物館の沖山を訪ねていた。


「おはようございます、森繁先生」


 両手を広げて沖山館長が二人を出迎える。


「何度もお邪魔してすみません」


 森繁が満面の笑みを浮かべてお辞儀をした。


「いいえ。興味深い研究のお手伝いができて、嬉しいですよ。それで、今日はどういった?」


 二人を奥へと案内しながら、沖山が尋ねた。


「ええ。実は──」


 森繁が歩きながら、調査の成果を話していく。近藤家を尋ねて唐滝まで向かったこと。唐滝の洞窟で《魔術記》という古文書を見つけたこと。沖山は、目を輝かせて森繁の話を聞き、何度も「ほう」と相づちを打った。


「それで、ヒイミさまを閉じ込めたという円筒鏡の在処を探していましてね」

「なるほど。《魔術記》には手がかりなしですか?」

「ええ。隅々まで読んでみたんですが、それらしい記述は…。それで…」


 資料室の応接スペースに腰を下ろしながら、森繁が両手を合わせる。


「──他になにか参考になりそうな逸話や伝承がないかと思いまして、お訪ねした次第で」

「ふむ」


 顎に手を当てて沖山がうつむく。それからゆっくりと立ち上がり、応接スペースの奥に置かれたデスクへ向かう。


「しかし、やはり可能性があるとすれば、その《魔術記》でしょうなぁ」

「ほう。どういうことでしょう」

「先生には失礼な話ですが、見逃している部分があるかもしれないということです」


 沖山はデスクの引き出しを開けて、メガネケースを取り出した。


「…妙に確信を持った言い方をされますね」


 森繁がそう言うと、沖山は肩をすくめてみせた。


「一度、拝見できませんか。私であれば、なにか発見できるかもしれません」

「…隠しページみたいなものがあると?」

「わかりません。でも現物を見てみれば、あるいは」

「ほう。そこまで言われたら、お見せしないわけにはいきませんね」


 森繁がバッグを膝に置き、中から金属製の箱を取り出す。その瞬間、沖山の口からホゥと息が漏れたのを、志緒理は聞き逃さなかった。


「おお。それが…《魔術記》…」


 沖山がメガネをかけながら森繁に近づいていく。


「それを…早く…私に」


 震えながら手を伸ばすその様子に、志緒理は「おやっ」と思った。なぜか違和感がある。


 ──なにかしら。なにか妙な感じ。具体的な言葉にすることはできないけれど…。


 志緒理は、森繁はどう感じているのだろうと、その表情を盗み見た。しかし森繁は気にならないようで、箱を開いて沖山に差し出している。


 ──気のせい、なのかな。神経が過敏になっているのかもしれない。


 志緒理が大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着けようとした、そのときだった。

 白い手袋をはめて、うやうやしく《魔術記》を受け取った沖山が、躊躇なく一番後ろのページを開いた。その動きに志緒理が再び「おやっ」と思う。まるで、なにかが書いてあるのを、あらかじめ知っているかのような動きだった。


「どうしてそんなところを開くんですか?」


 志緒理が思わず尋ねる。


「ん?」


 と沖山が志緒理に顔を向けた。その顔には引きつったような笑みが張り付いている。


「いえ、いきなり後ろを開くなんて、どうしてなのかなと思いまして」

「いや、なに」


 沖山がははは、と笑う。


「私は本をあとがきから読むタイプでしてね」

「あとがきなんかあるわけないじゃないですか」


 志緒理が目を細める。


「それに、最初からそのページが目当てだったように見えましたが?」


 その言葉に、ぴたり、と沖山の動きが止まった。

 口元には笑みが浮かんでいる。けれど目の奥が笑っていないことに、志緒理はすぐに気づいた。


「先生…この人、なにか変です」


 そう感じたのは女の勘、としか言いようがない。


「変ってなにが…?」


 森繁が志緒理を見たのと、沖山がポケットから素早くジッポのライターを取り出したのはほぼ同時だった。


「あっ」


 志緒理が立ち上がろうと腰を浮かせた瞬間、沖山が《魔術記》に火をつけた。油紙に長年包まれていたせいか、《魔術記》についた火は一気に燃え上がった。


「なにをするんですかっ!」


 さすがの森繁もビックリした表情で立ち上がろうとする。

 その刹那、沖山は初老の見た目からは信じられないくらい俊敏な動きで志緒理を羽交い締めにすると、ナイフを首元に押し当てた。


「ひいっ」


 志緒理が悲鳴を上げて目を閉じる。


「動かない方がいい」


 沖山はくくく、と笑って顔を歪ませ、燃え続ける《魔術記》を応接デスクの灰皿の上に放り捨てた。


「めざといお嬢さんだ。なにもわからないふりをしていればいいものを」

「どういうことです、沖山さん!」


 森繁が両手を広げて中腰になった体勢で、沖山を睨みつける。


「こうなっては仕方ありませんね。白状しましょう、森繁先生。私はずっと、それを探していたんです」

「え、《魔術記》を?」

「ええ。木手良の円筒鏡を見つけるためにね」

「…なんだって? あなたも探していたのか」

「そうです。だから驚きましたよ、あなたがたが来たときは。横取りされると思った。でも、すぐに考え直しました。逆に利用してやればいいってね。なにしろ私は、近藤のやつからえらく嫌われていましてね。話を聞くことはもちろん、敷地に足を踏み入れるのすら拒否されているていたらくで」

「…まんまとあんたの思惑通りになった、というわけですか」

「その通り。ご苦労様でした。森繁先生」


 沖山は志緒理をぐいっと引っ張り、資料室の出口へと向かいながら言った。


「だけど、どうして! 《魔術記》には封印場所なんて一言も書かれていなかった!」

「普通に見てもわからないんですよ。この特殊な偏光ガラスの入ったメガネじゃなければね」

「偏光ガラスだって?」

「そうです。木手良が鏡を操る魔女だというのは書いてありましたか? 彼女にとってガラスを扱うのは得意分野。彼女は円筒鏡が他人の手に渡るのをおそれ、隠し場所はこのメガネを通して読まなければわからないように細工していたんですよ。…苦労しましたよぉ。当時のメガネを再現するのは。でも、無事に成功した」


 沖山は資料室のドアに手をかけて、再びくくく、と笑った。


「志緒理くんをどうするつもりです」

「連れて行く。あなたが変な気を起こさないようにね」

「ぼくは、なにもしない! だから離してやってくれませんか」

「わ、わたし、やっとヒイミさまの呪いが解けたところなんです。まだ死にたくない!」

「ところがそうもいかないんだよ、お嬢さん。黙ってついてくれば悪いようにはしない。でも変なことを企んだりすれば…」

「な、なにもしません! わたしはなにも! でも…でも、もしわたしになにかあったら、先生…わたしのPCに遺書が保存してあるので…実家に届けてください」

「…は?」


 急に遺書の話題が出てきたので、森繁が戸惑った表情を浮かべる。


「なにを言っているんだ、そんなことにはならないよ!」

「絶対に読んだらいやですからね…」

「だから、そんなことにはならないから。言うことを聞いて、おとなしくしているんだ、いいね」


 森繁は志緒理を落ち着かせるために言ったつもりだった。けれど志緒理は口調ほど落ち込んでいるふうでもなく、森繁の目をジッと見つめてゆっくりと瞬きを繰り返していた。


「…沖山さん。最後に教えて欲しい」


 資料室を出かかった沖山が振り返る。


「…場所なら言いませんよ」

「わかってます。知りたいのは、動機です。なぜあなたが円筒鏡を欲しがるんです。ぼくたちは呪いを解きたいから探している。けれど、あなたはそうじゃない。なぜなんだ」

「…疑問に思いませんでしたか? こんな片田舎の博物館が、どうして運営できていると思います?」

「え?」

「世の中には骨董品や珍品にならなんでも金を出す輩がいる。私はね、森繁先生。そういう連中を相手にビジネスをしているんです。わかりますか? 木手良の作った円筒鏡は金になる。東洋に渡った魔女が作った呪いの道具…。エピソードにも事欠かない」

「なんだって? そんな理由で…?」

「そんな理由? よく言いますよ。あなただって《菱美顛末記》や《魔術記》を見て興奮したでしょう。一般人には理解できない遺物への興味。それを否定することはできないはずだ」

「た、確かにそうだけど…。でも、ヒイミさまの呪いは本物だ! その本体をどこかの誰かに売り渡すなんて、どうかしてる。あいつがどんなに危険な存在か、知らないわけじゃないでしょう! もし…もしもヒイミさま本体が蘇りでもしたら、どうするんです!」


 森繁が憎々しげに沖山を睨んで言った。


「どうもしません。誰かが死ぬだけです。それはいままでだって変わらない。そうでしょう?」

「狂ってる…」

「…いまごろ気づいたんですか。それは残念でした」


 沖山はおかしそうに笑いながら、志緒理を引っ張って資料室を出て行った。

 森繁は歯ぎしりをしながら、閉まっていくドアを見つめることしかできなかった。

 博物館の外で、車が急発進する音が聞こえる。

 沖山が志緒理を連れて円筒鏡の隠し場所まで向かうのだろう。


「くそっ。くそ、くそっ」


 森繁は応接スペースのデスクを蹴りつけた。

 まさか沖山があんな悪党だったとは…。

 自分の人を見る目のなさが情けない。

 もし、奴があのまま円筒鏡を手に入れたら…。

 そして用済みになった志緒理が殺されでもしたら、後悔してもしきれない。

 本当に彼女の遺書を実家に届けるハメになってしまう──


 ──と考えたところで、森繁は「おや」と思った。


 そういえば、なぜあのとき志緒理は突然遺書の話などしたのだろう。

 沖山は気づいていなかったようだが、妙に落ち着いた表情だったのも気になる。

 それに「絶対に読んだらいやですからね」という念押し。そんなことを言われたら、読みたくなってしまうのがぼくという男だ。彼女ならそれをわかっているはず、なのに…。


 その瞬間、ひらめいた。


 ──読めってことか? 遺書を?


 すぐさま博物館を出て駐車場へ向かう。

 確か志緒理はPCを持参していた。助手席か後部座席に置いてあるはずだ。


 ──そこになにが書いてあるんだ? わざわざあそこで言うほどのなにが?


 車の数十メートル手前から、リモコンキーでロックを開ける。

 短く2回、ハザードランプが点滅するのを確認して、森繁は勢いよく車のドアを開けた。

 後部座席に、志緒理のバッグが無造作に置かれている。

 滑り込むように車内に乗り込むと、森繁はバッグの中からPCを取り出して開いた。

 ロックはかかっておらず、すぐにデスクトップ画面になる。

 画面の中央に、誰にでもわかるようにはっきりと『遺書』と書かれたテキストファイルが置かれていた。


「これだ」


 タッチパッドに人差し指を置いて、テキストファイルをダブルクリックする。

 すぐに真っ白な背景のテキストアプリが立ち上がった。


 それは、まごうことなき『遺書』であった。


 まず家族への詫びと、これまでの感謝が綴られている。

 それから友人や学校関係者への挨拶…。そのあとに結花、里桜、森繁の連名宛てで《お願い事》が記されていた。


「なになに? まず絶対にやって欲しいことは、このPCのハードディスクを徹底的に破壊すること…。それから、スマホを探し出して写真データを消去すること…? スマホのIDとパスワードはこれです…?」


 そこまで読んで、森繁の脳裏に電撃のようなひらめきが駆け巡った。


「スマホを探す? そうか、その手があったか!」


 スマホにログインしてしまえば、位置情報を確認することができる。つまり、追えるのだ。沖山がどこへ向かったとしても。


「ナイスだ! 志緒理くん!」


 森繁は指をパチンと鳴らして、早速PCをネットにつなぎ、志緒理のスマホの現在位置を検索した。すると、数秒間の砂時計マークのあと、マップ上に青い点が表示された。


「やった!」


 森繁が手を叩いて叫ぶ。見ると、青い点は山の小道をゆっくりと移動していた。山の名前は──神止山。ローマ字表記によると《かんどやま》と読むらしい。


「神が止まる山…。いかにもいわくありげだな」


 森繁はPCを助手席に置くと、自分は運転席に回り込んだ。時間的なロスはそれほどでもない。いまから飛ばせば、まだ間に合うはずだ。


「待ってろよ、志緒理くん。君の努力は無駄にしないからな!」


 そう言うと、森繁はエンジンキーを思い切り右に捻った。


(続く)

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