第31話 魔女

 ◇ 28 ◇


 宿に戻ると、結花たちはシャワーを浴び、服を着替えることにした。唐滝までの道中やヒイミさまとの戦いで、全身が汗と水でびっしょりになっていたからだ。


 すっかりぐしょぐしょに濡れてしまったスニーカーは、女将さんにお願いして乾燥機にかけてもらうことにする。


 その間に森繁は《魔術記》を愛用のノートと一緒にテーブルに広げ、中身を調べていった。そして結花たちが濡れた髪をドライヤーで乾かし終わる頃、森繁は「よし」とつぶやいて《魔術記》を閉じた。


「ざっくり言うと」


 とノートに書いたメモを指でなぞりながら、森繁が結花たちを見る。


「ヒイミさまを調伏ちょうぶくしたこの島の陰陽師は、正確には陰陽師ではなかったらしい」

「え? どういうことですか」


 結花が首をかしげる。


「《魔術記》によると、その人物は遠い異国の船に乗っていた。その船が嵐で遭難し、漂流してこの島に流れ着いた」

「じゃあ、外国人だったんですか」

「ああ、そうだ。それも白人の女性…。本人いわく、魔女だったようだな」

「魔女?」


 結花が思わずすっとんきょうな声を出す。

 里桜と志緒理も驚いた様子で顔を見合わせた。


「わたし、てっきり男の人だとばかり…」

「あたしもそう思ってました」

「実を言うとぼくもそう思ってた」


 森繁が腕を組んで言う。


「陰陽師なんて言い方をしたら、まあそう思うのも無理はないけどね。真相は違ったってことだ」

「でも」

 結花は授業で発言するときのように手を挙げた。

「はい、結花ちゃん」

 森繁が、これまた授業で生徒を指すみたいに、結花を呼んだ。

「魔女って、まわりから勝手にそう決めつけられたんですよね。自分から名乗っていたひとって、いるんですか」

「ふむ。結花ちゃんが言っているのは中世ヨーロッパで行われた魔女裁判のことだね。当時キリスト教会は魔女を異端…つまり世の中を乱す者として糾弾きゅうだんすることにし、その結果、なんの罪もないひとたちが殺された。ひとたび魔女の烙印らくいんを押されたら、ひどい目に遭ってしまう。だから確かに、自ら魔女と名乗るようなひとは少なかったかもしれない。でも、だからといって魔女がいないということにはならないよ。それにこう考えたらどうだい? 教会が極端なまでに魔女を追い詰めたのは、本当におそろしい魔女がいたからなのかも」

「本当の、魔女…」

「先生、ちょっと待ってください」


 今度は志緒理が手を挙げた。


「なんだい」

「《魔術記》は近藤なんとかさんが書かれたわけですよね。言葉はどうしていたんです? 異国の白人女性とコミュニケーションができたんでしょうか」

「ぼくもそう思って、最初は疑心暗鬼で読んでいたんだが、どうやら近藤なんとかさんは、流人るにんのひとりで、かなり学のあるひとだったようだ」

「学のある…というと、当時なら蘭学者とか?」

「蘭学もそうだが、英語やラテン語にも詳しかったようだ。見たまえ。流れるような筆記体で魔女の言葉が書かれているだろ。その下に和訳がある。さっきネットで翻訳してみたが正しかった。十中八九、外国語が話せたと見て間違いないと思う。まあ、だから助手になったんだろうが…」

「なるほど。それなりに信憑性はあるということですね」

「そういうことだ」


 森繁は力強くうなずいた。


「それで、すごいのはここからだ。この魔女は、霊界と通じていた、と書かれている。鏡を使って霊魂を呼び寄せたり、話したりできたそうなんだ」

「鏡?」

「うん。噂を聞いた島の有力者たちは、魔女に相談した。この島に巣喰すくう怨霊をなんとかできないか、と。魔女は…快諾かいだくした。命を助けてくれた島の人々への恩返しというわけだな。鏡の術を使って、ヒイミさまを従えた、と書かれている」

「それが本当ならすごいですけど…でも鏡の術って、具体的にはどんな術なんです?」


 志緒理が首をかしげる。


「書いてあることを簡単にまとめると、こうなる」


 森繁はノートをめくって、メモを読んでいく。


「──魔女は、ヒイミさまが現れる次の1月24日までに《円筒鏡えんとうきょう》と言われる、筒状の鏡を作ったらしい。円筒鏡というのは、筒の中が鏡になっていて、覗くと周囲がすべて反射しているという代物だ。大きさは竹の水筒と同じくらい、と書いてある。で、その円筒鏡と、愛用の手鏡に魔術を施した」


 森繁がノートをめくる。


「さて、いざヒイミさまが現れると、魔女はまず手鏡をヒイミさまに向けた。すると不思議なことに、ヒイミさまは手鏡に吸い込まれた」

「吸い込まれた?」

「うん。近藤が聞いたところによると、ヒイミさまは円筒鏡の中に閉じ込められたらしい」

「えーっとそれは…手鏡と円筒鏡が時空としてつながっている、という理解でいいんですか」


 志緒理がこめかみに指を当て、口をとがらせる。


「魔術を生真面目に考えてもしょうがないよ。そもそもヒイミさまだって物理や理屈では捉えられない」

「まあ、そうですけどぉ…」

「…続けるよ。そんなわけで、円筒鏡に閉じ込められたヒイミさまは、永遠に自分を見なければならなくなった。つまり、自分の呪いが自分へ向かい続けたんだ。相当苦しかっただろうね。近藤によれば…円筒鏡からは3日3晩、苦悶のうめき声が聞こえ続けたという」

「それで、鏡が苦手に?」


 結花がもう一度手を挙げて言う。


「そういうことだろうね。魔女は、4日目の朝に手鏡に呼びかけた。私の言うことを聞くなら、24日だけは出してやる、とね」

「…ヒイミさまはその提案を呑んだ」


 里桜の言葉に、森繁がうなずく。


「そう。そうやって、ヒイミさまは魔女の式神になった。使役しえきの方法はこうだ。24日になると魔女が手鏡を使って、ヒイミさまに呼びかける。すると円筒鏡の中にいるヒイミさまが式神となって現れる。鏡をヒイミさまに向けると、ヒイミさまは円筒鏡に戻される。その繰り返し。式神として呼び出されたヒイミさまは、呪いの影響か、正視できないほどの異形だったと伝えられている」

「あれ、でも待ってください」


 今度は志緒理が手を挙げる。


「ヒイミさまは水の中から現れるのでは? いまの話だと、鏡から現れてますよね?」

「そうだね。ぼくも気になってはいるんだが…この時代のあと、またなにか変化があったのかもしれないね」

「だとしたら《猿》がなにかしたのでしょうか」


 里桜が顔をこわばらせて言う。


「可能性はあるね。謎はまだ残されている、というところかな。実際、重要な謎は未解決のままだ」

「えっと、それは…」

 結花が首をかしげる。

 森繁はそんな結花を見据えて「いまの話を総合すると、ヒイミさまはまだ円筒鏡の中にいるってことにならないかな?」と言った。

「円筒鏡の…中に…?」

 結花がその言葉を咀嚼そしゃくする。

「うん。そうなると、だよ。扇柳さんは、本体はこの島にいるとおっしゃっていた。つまり、円筒鏡はこの島のどこかに、まだ残されているということになる」

「それは、どこなんでしょうか」


 里桜が膝を乗り出して尋ねる。


「それを破壊すれば、ヒイミさまの呪いは一気に…」

「近藤は聞いていないようだ。記述は一切ない」

「そんな…」

「《魔術記》は、魔女が旅立っていった場面で終わっているから、それ以上はわからないしね…。言ったろう。謎はまだ残されているってね」

「こんな島まで来ておいて、手詰まりってことですか…」


 悔しそうに里桜が座り込む。


「うーん…。まあそうとも言えないよ。魔女の名前もわかったし。子孫がなにか聞いているかもしれないだろ?」

「え? 名前、わかるんですか」


 里桜がパッと明るい表情になる。


「もちろん、わかるよ。近藤も真っ先に聞いている。あれ? 言ってなかったっけ」

「聞いていませんよ。なんという名前なんですか」

 森繁は「失敬失敬」と言いながらノートをめくると、そこに大きく3つの漢字を書いていった。


 木…手…良。


「木手良。これが魔女の名前だ。キテラと読む」

 結花がごくりとつばを飲み込んで、3つの漢字を食い入るように見つめる。

「これが《猿》なんですね」

「そうだね。《猿》の正体は、仮屋町の木手良一族。これがわかっただけでも収穫だろ?」


 ──さっそくお父さんに知らせよう。


 そう考えて結花がスマホに手を伸ばしたときだった。

「…嘘でしょ」

 里桜がまるでこの世の終わりのような顔をして、小さくつぶやいた。

「どうしたの、里桜」

 覗き込むようにして、結花が尋ねる。

「嘘よ、そんな…嘘よ」

 どうも様子がおかしい。

 結花は里桜の肩を優しくつかんで、聞いた。

「嘘って、なに? なにが嘘なの?」

 すると里桜は目に大粒の涙を浮かべて、何度も何度も首を横に振った。

「あたしは…なにも知らなかったの! 信じて!」

「どういうこと?」

「木手良って…ママの…母の旧姓なの」


(続く)

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