第28話 滝

「伊勢崎さん、これが、動画をアップした奴の住所ね」


 作業を開始してから5分もたたないうちに、菅原がノートパソコンの画面を見せてきた。


「もうわかったのか」

「サーバーに潜入してIP抜いて、その日時に接続してたプロバイダたどって契約者覗き見るだけだからね」


 自慢するでもなく言う。


「だけ、ね。おまえみたいのが野に放たれてるのがおそろしいな」

「心配ないって。敵は公権だけだし」


 ははは、と笑う菅原の手からノートパソコンを受け取ると、伊勢崎は画面に映し出された契約者情報を見た。


「ふむ、なるほど…こいつが《猿》か」


 仮屋町の連中は、呪いに利用されることをおそれ、本名を明かさないのが習慣だったという。

 しかしさすがにインターネットの契約をするのに、偽名で通すわけにはいかないだろう。ここに載っている情報が本名である可能性はかなり高い。


「これは、PDFにして伊勢崎さんの端末に送っとく」

 菅原は伊勢崎の手からノートパソコンを奪い返すと、素早い動きでキーボードを打った。

「…送ったよ。次にスマホだけど」

 画面を伊勢崎に見えるように傾けつつ、菅原が続ける。

「さっき伊勢崎さんが聞いてくれたメアドを、このA社とG社のログイン画面に入れていく。あとはパスワードを解析しちまえばオッケー」

 早口で言うと菅原はソフトを立ち上げる。

「これが解析ソフト。ネット上に散らばった個人情報を集めてパスワードを推測してくれるAIだよ」

「ログインしちまったら、どこにあるのかわかっちまうのか?」

「わかるよ。伊勢崎さん、スマホ使ってるくせに、知らないのか?」

 意外、という顔で菅原が伊勢崎を見た。

 伊勢崎は苦笑して、「俺が知ってる方法は、あれだよ。携帯に電話をかけて、その電波をつかんでいる基地局から三角法で割り出していくやつ」

「ああ、古いね。そのやり方だと、結構誤差出るし」

「そうみたいだな。何度か取り逃した記憶があるぜ」

「だろうね」

 ふう、とため息をついて、菅原が首を横に振る。

「ぼくもさ、警察時代に何度か提案したことがあるんだよ。こうやってスマホのOSをハッキングした方が早いし確実だってね。だけど、そういうの、アウトだろ」

「まあ、そうだな。プライバシーの問題がある」

「あのときもそう言われたよ。その割には、盗聴とか勝手にしてるくせに、なに言ってんだか」


 菅原が吐き捨てるようにそう言ったのとほぼ同時に、パスワード解析ソフトがピコンと可愛らしい音を立てた。


「入ったよ」

 こともなげに菅原がつぶやく。

「スマホはさ、なくしたときや盗まれたときのために、遠隔ログインや位置情報の検索が可能になっているんだ。これを利用すれば、隠れようがないのさ」


 菅原はやはり早口でそう説明すると、最後の締め、と言わんばかりにタンッと強くエンターキーを打った。


 その数秒後、ノートパソコンの画面に地図が表示され、その中心に青い丸が点滅を始めた。

 菅原がノートパソコンを伊勢崎に手渡す。


「ここだね」

 菅原が地図の脇を指さした。そこに、住所が表示されている。

「この住所…」

 伊勢崎が顔をこわばらせる。

「同じだね、さっきの契約者と」

 菅原の言葉を聞きながら、伊勢崎はスマホに送られてきたPDFを開いた。

 そこには仮屋町の住所とともに、ある名前が記されていた。

 木…手…良……。


 木手良きてら


「珍しい名前だよね」

 伊勢崎は顔をこわばらせたまま、菅原の言葉にうなずいた。


 ***


 伊勢崎が《猿》の名前に行き着いたのと同じ頃。

 結花たちは近藤のガイドで唐滝へと到着しようとしていた。

 数十メートルはあろうかという断崖絶壁の上から、ドドドと音を立てて水が落下している。

 絶景、という言葉がふさわしいほどに、見事な滝だった。


「あそこに穴が空いているの、わかるか?」


 額に汗を吹き出させながら、近藤が指をさす。

 滝に向かって右側。岩肌にびっしりと緑の苔が張り付いているその下に、黒々とした空間が見えた。


「こいつは…狭いなぁ」


 前に立ってみると、森繁の腰の高さくらいまでしかない。中に行くとしても、一人ずつしか入れそうになかった。


「本当に、この中に?」


 森繁が近藤を振り返る。

 近藤は「ひい、ふう」と荒い息を吐きながら「奥に行くと、開けたところがあるんだわ」と答えた。

 森繁が結花たち三人を見比べて、言う。

「ぼくだけ入ってもいいけど、どうする?」

「ここまで来たんです。私も入ります」

 結花が首を横に振って答えた。里桜も志緒理も、同意するようにうなずく。

「わかった。じゃあ、ぼくが先に入るから、ついてきて」

 森繁はポケットからライターを取り出すと、火をつけた。腰をかがめて洞窟の中へと足を踏み入れる。

「うわ。結構濡れているよ。足が水浸しだ」

 森繁の声が反響して聞こえる。

「まあ、滝のそばだしなぁ」

 近藤が誰に言うでもなく、そうつぶやいた。

 森繁のあとに里桜、そして結花が続いた。

 確かに森繁の言うとおり、足首の辺りまで水が溜まっている。この狭い通路をかがんで歩くのは、なかなかの重労働だった。

「結花、ここ頭、気をつけて。出っ張ってる」

「うん、ありがと」

 なんとか身体をよじって出っ張りを避ける。


 ──そのときだった。


 どこからともなく、ぷうんと、魚の腐ったような臭いが漂ってきた。

「この臭い!」

 結花が叫んだ。

 忘れもしない。ヒイミさまの臭い!

「仮面を! 急いで!」

 里桜の声にハッとして、結花がリュックを下ろそうとする。しかし、狭いためにうまく下ろすことができない。

 里桜も同様だった。身をかがめた姿勢では、満足に動くことすらままならない。

 なんてタイミングなのだろう。完全に油断していた。滝に来るとわかった時点で、せめて仮面だけでも首から下げておくんだった。

 どうしよう、このままじゃ。

 半ばパニックになったとき、洞窟の奥の方から森繁の声が響いた。


「こっちに急ぐんだ! こっちなら広いから大丈夫!」


 結花は里桜と顔を見合わせると、急いで森繁のいる奥の方へと向かった。

 その瞬間、ザバッと滝のほうで音がした。

 空気が張り詰め、邪悪な気配が周囲に満ちていく。


 コ、コ、コ…


 滝の轟音に混じって、喉の奥を押しつぶしたような音がハッキリと聞こえた。


「な、なんだぁ、ありゃぁ」


 近藤の間の抜けた声が聞こえる。

 続いて、志緒理の絶叫にも似た悲鳴。


「あ、あ、あ…助けて! わたし…手が…!」


 ──志緒理さん!


 結花は奥へ進む足を止めた。

 今回のヒイミさまは、志緒理さんを殺しに来たんだ!

 助けないと。なんとかしないと!

 結花は元来た道を戻った。

 なにができるかはわからない。

 仮面はおろかライターも取り出せないこの状況。


 ──私だって危ないかもしれない。


 でも、放っておけなかった。


(続く)

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