第27話 近藤家

 ◇ 27 ◇


「くそったれが!」


 伊勢崎警部補は、怒りにまかせて自分のデスクを力いっぱい殴りつけた。

 こんなことがあるだろうか。

 仲間である佐々木が呪い殺されたというのに、その仇を取ることが許されないだなんて。

 あり得ない。峯元の野郎…。

 ついさきほど浴びせかけられた峯元の心ない言葉を思い返すにつれ、伊勢崎は憤りがわき出てくるのを止めることができなかった。


 10分前のことだ。

 伊勢崎は、駆け込むようにして警察署へ戻ってくると、一直線に峯元の部屋へと向かって、令状の発行を直訴した。動画をアップロードした奴を見つけ出すためだ。

 ところが…。

「呪いを突き止めるために、令状が必要? バカなことを言うんじゃない」

 峯元は伊勢崎の訴えを一笑に付し、迷惑そうに言った。

「佐々木が死んだのは、残念なことだ。だが、わかっただろう。おまえたちが勝手な捜査をしなければこうはならなかった」

 そんなふうに言われて、伊勢崎の頭の中は真っ白になった。

「勝手な捜査とは…なんて言いぐさですか。怪しいと思ったことを調べる…それが刑事でしょう」

 やっとそれだけ言い返す。

 峯元は「はっ」と笑って、

「その結果がこれだ」

 と、こめかみを指で押さえて、目をつむった。

「伊勢崎。おまえはあそこの連中の恐ろしさをわかっていない。連中を本気で怒らせたら、命がいくつあってもたりないんだ」

「つまり、こういうことですか。峯元さんは、今回の件は見て見ぬふりをすべきだと」

「解釈は任せるがね。令状は出せない。どうしても捜査を続けたければ、公権の力を頼らずにやるんだな」

「…そこまで腐っているとは思いませんでしたよ」

 それだけ言うと、伊勢崎は峯元の部屋を後にし、自席に戻ってデスクを思い切り殴りつけた、というわけだ。


「…くそったれが」


 もう一度そう言うと、伊勢崎はじんじん痛む拳をぎゅっと握りしめた。

 峯元が「一人でやれ」と言った以上、組織の協力は絶望的だ。さらに言えば、このまま伊勢崎が呪い死んだとしても、警察は無関係を貫き通すだろう。真実が公になることは決してない。

 それでも、やるか?

 伊勢崎は自分に問いかけた。


 ──考えるまでもない。


 たとえ警察全体を敵に回したとしても、この一件を放っておくことはできない。それが娘の結花のためでもあり、自分のためでもある。

 伊勢崎はデスクの抽斗ひきだしを開け、ありったけの煙草とライターをつかむと、出口へ向かった。


 ──後悔させてやる。絶対に。


 との待ち合わせは、いつもショッピングモールのモニュメント広場と決まっていた。例外は一切ない。時間は打ち合わせで決めるが、その打ち合わせ方法も変わっている。まずこちらから、とあるツイッターアカウントに決まった言葉を投げかける。すると、どういうわけか──機種変更したばかりだとしても──向こうから電話が来るのだ。


 そんな面倒なことをしなくても、と伊勢崎は何度か苦情を言ったことがある。

 しかしその都度、彼はこう返答した。


「公権に逆らった者がどうなるか、まだ伊勢崎さんは知らないだけですよ」


 そう言うときの──菅原は、いつも悲しそうな目をしていた。


 菅原は、かつて伊勢崎と同じ刑事だった。

 どちらかというと肉体派の伊勢崎と違って、菅原は工作やインターネットに詳しいのが強み。こんな片田舎の警察にしては珍しく、サイバー捜査で功績を挙げている人物だった。

 だが…暴いてはならない闇に触れ、警察を追われた。


 ──そう、いまの俺と同じ。


「公権に逆らった者がどうなるか、まだ伊勢崎さんは知らないだけですよ」

 いまとなっては予言めいて聞こえる。

「ご無沙汰ですね、伊勢崎さん」


 背後からささやくような声がして振り返ると、ニット帽を目深まぶかにかぶった男が、スマホから目を離さずに立っていた。


「おう、菅原。久しぶりだな」

「しっ。こんなところで名前は呼ばないで。困った人だな、もう」

「ああ、そうだったな。すまん」

「ついてきてください。ぼくの方は見ずに、すこし離れて歩いて」


 早口でそう言うと、菅原は先を歩いていく。

 伊勢崎は言われたとおり、菅原から距離を取って後についていった。


 菅原は駐車場へ向かうと、一番隅に停めてある黒いSUVに乗り込んだ。伊勢崎はそれを遠目に見届けると、自分の車を探すふうを装って、ぶらぶらと車両出口方面へと歩いていった。そこへキュキュキュッとタイヤの音を響かせて、菅原のSUVが近づいてくる。一度、二度、周囲を見回して誰もいないことを確認してから、伊勢崎は素早くSUVの助手席に乗り込んだ。


「お見事です」


 なんの感動もこもっていない声で言うと、菅原は一気に加速して出口ゲートへと車を走らせた。


「尾行はついていないようですね」


 菅原がバックミラーを見る。


「いまはな。まあ、この先どうなるかわからんが」

「すぐにわかりますよ。公権の連中、やるとなったら執拗しつようですから」


 菅原は吐き捨てるように言うと、ニット帽を脱ぎ、後部座席に放り投げた。


 伊勢崎より2つか3つ下のはずだが、それよりずいぶん若く見えるのは色白だからだろうか。一重のスッキリした切れ長の目は、刑事だった頃と変わらず魅力的だ。じっと見つめられると、心の奥底を見透かされたような気分になる。


「商売の方はどうだ」

「繁盛していますよ。おかげさまで、と言うべきかな。相変わらず公権の連中は汚いことばっかりやってるから」

「まだ追っているのか。警察のスキャンダル」

「ぼくも、やるとなったら執拗なんでね」


 警察という組織は、現場の判断で物事を動かせることは少なく、なににつけても上司の決裁が必要だ。しかし、それを待っているが故に、犯人を取り逃がし、被害の拡大を食い止められないことも多い。明らかな失態だが、その失態が表に出ることはほぼない。警察内部で握りつぶされるからだ。


 菅原はかつてその事実を暴き、ネットにばらまいた。彼なりの正義感がそうさせたのだが、その結果、彼は警察を追われた。

 いまはサイバー犯罪専門の私立探偵として活動している。


「でも、だからこそ連絡をくれたんでしょ」


 ハンドルを握りながら、菅原が伊勢崎を見た。

 伊勢崎は正面を見つめたままうなずく。警察の力を恐れず、捜査に協力してくれる者となると、他に思い当たらなかった。


「任せてくださいよ。あいつらに一泡吹かせましょう」

「そう言ってくれて助かるよ」

「で、依頼はなんですか。上層部とやり合ってまでぼくに連絡をくれるくらいだ。よっぽどのことなんでしょうね。警察サーバの乗っ取り? 裏資金ルートの解明?」

「盛り上がってるところ悪いが、そんなたいそうなことじゃない。スマホの位置特定と、動画サイト利用者の特定だ」

「え、なんだ、単なるハッキング?」


 菅原があからさまにがっかりしてため息をつく。


「そんなふうに言うなよ。これでも命がけなんだからな」

「命がけ?」

「最近ニュースになった動画のこと、知ってるか。呪いの動画なんだが…」

「おっと。待ってください。いまなんて言いました? 呪いの動画?」


 菅原が興奮した様子で聞いた。


「まさか、追っているのってそれなんですか」

「ああ」

「あれに警察が関わってる?」

「信じられないことに、そうだ」

「それを早く言ってくださいよ。がっかりして損した」

「やる気になってくれてよかったよ。で、だな。動画をアップした奴の住所、わかるか」

「誰に聞いてるんですか。お安いご用です。ただ、スマホの方はひとつだけお願いがあって」

「なんだ?」

「使っているメアドがわかんないといけなくて。わかります?」

「メアド、か」

顎に手を当てて、伊勢崎は考えた。

結花なら知っているだろうか。同じ部活だったわけだし、知っている可能性は高い。

「たぶん、わかると思う」

「じゃ、お願いしていいですか」

「わかった。そっちは任せろ」


 ***


「ここが近藤家、のはずだ」

 車のドアを閉めながら、森繁が自信なさげに言った。

「住所は合っているんですよね」

 志緒理が地図を睨みながら尋ねると、森繁は「そのはずだよ」とうなずいてみせた。

「だけど…」

 志緒理が地図を閉じて、近藤家を見上げる。

「陰陽師の助手だったわりには…なんというか、単なる雑貨屋…ですよね」

 志緒理の言うとおり、その家は雑貨屋としか表現できない佇まいだった。木造のあばら家で、入口はガラスの引き戸。中には釣り道具や奇妙な置物や、宝石だかなんだかわからない石っころが値付けされているのが見える。しかも周囲に民家はない。あるのは、ごつごつした赤黒い岩と好き放題に生い茂った雑草と海岸線だけ。


「こんなところにお店って…なんか、場違いな感じね」


 里桜がつぶやく。その言葉に、結花も賛成だった。


「…とにかく、話を聞いてみよう。ひとがいるのかは知らないが…うん。そうするしかない」


 自分に言い聞かせるように言うと、森繁はガラス戸を引いた。


「ごめんください」


 すると、コンビニエンスストアで流れるような軽快な電子音が店中に響いた。

 予想外の出迎えに、さすがの森繁も言葉を失い、店内を見渡す。

 電子音は二度三度、店内に響くと、今度は奥の方──住居だろうか──でも同じように鳴り響いた。

 ややあって、人の足音が聞こえてくる。


「…はい?」


 ごま塩頭の初老の男性が、眠そうな目をこすりながら顔を覗かせた。


「お客さんかね、珍しい」

「あ、いえ、ええと…近藤さん、ですか?」

「そうだけんど、あんたがたは?」


 この人が、陰陽師の──《猿》の助手?

 結花たちは、思わず顔を見合わせた。


「はあ。うちが陰陽師様の助手だったとお聞きになっていらしたというわけですか」

 来訪の目的を話すと、店主の近藤は目を丸くして、何度も「はあ、はあ」と驚いた声を出した。

「そうなんですよ。それで詳しいお話を聞ければと思いましてね」

 森繁が満面の笑みを浮かべる。

「はあ。そうは言ってもよ…。陰陽師様が島を出て行きなされてからこっち、もうだいぶたってるしね。助手だったってのは聞いてるけんども、詳しいことって言われてもなぁ」

「なんでもいいんですよ。ご存じのことがあれば、なんでも」

「なんでも、かぁ。ううん、なんでも、ねぇ」

 近藤はごま塩頭に手を当てて、何度も「ううん、ううん」と唸った。それから突然ひらめいたように「あ、待てよ」と手を打つ。

「確かどっかに…」

「どっかに、なんですか」


 森繁がぐいっと近藤に顔を近づける。


「当時の記録を保管したって聞いたような気がすんなぁ」

「ほう! 当時の記録!」


 森繁の目がらんらんと輝いた。


「それは、どちらに? このお宅に?」

「いや、ここにはねぇ。ううん、どこだったっけなぁ」


 近藤は再びごま塩頭に手を当てると「ううん、ううん」と唸った。それからまたもや「あ、そうだ」と手を打つ。


「思い出した。三原山のほうによ、唐滝っつう、でっかい滝があんだよ」

「滝、ですか」

「そうそう。そんで、その滝のある場所に、ちょっとした洞窟があってよ。そん中にあるはずだ」

 近藤はいままでになく自信たっぷりにうなずいた。

「洞窟か…。どうしてそんなところに保管したんだろうか」


 森繁が顎に手を当ててつぶやくと、近藤は強く目をつむり、眉間に指を当てた。


「確かよぉ、陰陽師様が島を出て行きなさるときに、そこへ封印せえって指示したらしいって、オヤジはそう言ってたな。オヤジも理由は知らなかったみたいだが」


 ふうむ、と森繁が低く息を吐く。


「そうだそうだ、思い出してきた。なにしろよぉ、陰陽師様が出て行きなされたのは、江戸の頃だって言うしよ。江戸って言えばずいぶん昔だろう? 逆に言えばよく伝わってたほうだなぁ、うん」


 近藤は「うん、うん」と一人で何度もうなずいている。

「そんな昔のことじゃ、保存状態は期待できないな…」

 森繁が肩をがっくりと落とす。

「でも」

 と、ここまで黙って話を聞いていた里桜が、口を挟む。


「確かめもせず、帰るわけにはいきませんよね」


 その言葉に勇気づけられたように森繁は「そうだね」とうなずき、近藤に向き直る。

「近藤さん。お手数だとは思うのですが、その洞窟まで、ガイドをお願いできませんか」

「はあ。まあ暇だし、かまわないけんど…遠いよ? 大丈夫かい」

 近藤がチラッと結花たちを見る。

「彼女たちなら大丈夫です」

 森繁が力強く言った。

「このために、来ていますから」


(続く)

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