第24話 佐々木刑事
その夜、伊勢崎警部補の部下の佐々木は、家に帰ってもまだ仕事モードが抜けなかった。
もともと、ひとつのことに集中し始めると寝食を忘れて没頭してしまうタチだったが、この《ヒイミさまの呪い》という謎めいた事件は、自分でも不思議なほど興味を惹かれた。
呪いなどあるはずがない。
いまでも心のどこかではそう思っている。
けれど…。
自分で自分の首を絞めるという狂気じみた死に方を、少なくとも十数人がおこなっている事実。
物事には因果関係があるとするならば、この事実をどう解釈したらよいのだろう。
「しかも、今日の昼のニュースが本当ならば…」
ぶつぶつとつぶやきながらパソコンを開く。
こんな仮説を考えていた。
仮屋町周辺に人知れず伝わる独特の文化があり、その文化を継承する殺人鬼が、周辺の人々を殺し続けているのでは──。
そう。連続殺人鬼。その存在をひた隠しにするため、呪いだのなんだの言っているのではないか。仮屋町の排他的な異常な雰囲気も、その考えを後押ししてくれている…そんな気がしていた。
しかし…。
仮屋町から署に戻るやいなや、昼のニュースを聞かされて、わからなくなった。
通常、連続殺人には法則性があるものだ。特に活動地域を
本当に、呪いが?
佐々木はブラウザを立ち上げると、アドレスバーに《呪い 動画》と打ち込んでいった。キーを叩くにつれ、奇妙な気分が胸をつく。
こんな、しょうもないキーワードを検索する日が来るとは。
おかしくもあり、腹立たしくもあった。
エンターキーを打つと、すぐさま個人のものらしきブログと動画サイトがヒットした。
まずブログを見ていくことにする。
いくつか覗いてみたが、ほぼすべてがオカルトファンのものだった。
ホラー映画や怪奇現象についての感想がずらずらと書かれているだけで、特に有益な情報はない。
動画サイトの方も似たようなものだった。
《ほんとにあった怖い動画》やら《闇の動画》やら《黒影》やら…よくもまあこんなにあるものだと感心するくらい、
本当にこの中に、ヒイミさまの動画があるのだろうか。
少し不安になった。
全部見たあとなにも起こらなければ、貴重な時間を浪費したことになるからだ。
しかし、ほかに手がかりがないのも事実。
佐々木はマウスに手を伸ばし、一番上の動画をクリックした。
***
翌朝、伊勢崎が署の仮眠室をよろよろと出て、トイレの洗面台で歯を磨いていると、眉間にしわを寄せた上司の
振り返り、泡まみれの口で「おはようございます」と言って会釈する。
すると峯元は険しい顔を崩さず、ジロッと伊勢崎を見て、
「部屋に来い」
とだけ言ってトイレを出て行くので、伊勢崎の眠気は一気に覚めた。
なんなんだ、いったい。
心の中で毒づきながら、急いで口をゆすぐ。顔をバシャバシャと洗うついでに髪を濡らして寝癖を直す。ポケットから取り出したハンカチで水滴を拭いながら、ロッカーに戻ってストックしてあるシャツに着替えるべきかと考えたが、外部の人に会うわけではないからいいか、と思い直して、すぐに峯元の部屋へと向かった。
「おまえたちはなにをやっているんだ」
峯元は、伊勢崎がドアを閉めるなりそう言った。
「なにを、とは?」
質問の意図がわからず問い返すと、峯元はデスクをバンッと強く叩いて声を荒らげた。
「とぼけるんじゃない! 仮屋町で聞き込みをしたことは耳に入っている!」
仮屋町という言葉に、伊勢崎の身体がピクッとなる。
「なぜ聞き込みなどしているのか、それを聞いているんだ」
ふん、と大きく鼻を鳴らして、峯元が革張りの椅子に腰掛ける。
伊勢崎はガリガリと頭を掻く。
「事件の捜査のために決まっているじゃないですか。妙な自殺が流行っているようでしてね」
「ふん。やはりそれか。たかが自殺になにをやっているんだ」
答えがわかっているような言い方が気になる。
「自殺の捜査をしてはいけませんか」
「…時と場合による。今回のこれは、妙な勘ぐりをやめるんだ」
有無を言わせぬ物言いに、伊勢崎はだんだんとイライラしてきた。
「どういうことですか?」
ぐいっと峯元に近づいて上から見下ろす。
峯元はいささかも動じることなく伊勢崎を見返して、
「自重しろ。いいな」
と強い口調。
「自重…? 捜査をですか? それこそ、なぜですか」
伊勢崎がムッとした表情をあらわにする。峯元は首を振ってため息をついた。
「あそこはやっかいなんだ」
「やっかい? やっかいとは、どういうことです?」
「おまえも組織の人間なら、考えればわかるだろう。何年刑事をやっているんだ」
その言葉で、ついに伊勢崎は爆発した。
「ええ、わかりますよ。こういうときのあんたはどうしようもないクソ野郎だってこともね」
「なんだと?」
ギシッと音をさせて、峯元が椅子から立ち上がる。
「もう一度言ってみろ」
「何度でも言いますよ。どうせ上からの指示でしょう。あんたは従うしか能のない、鼻くそ野郎だ」
峯元はグッと喉を鳴らした。
「あの町の連中は昔から裏で権力者といい仲だったって聞いてます。おおかた、そのときのツテがまだ生きてるんでしょう。違いますか」
「それをおまえが知る必要はない」
「こっちは娘の命もかかっているんだ! しょうもない理由で邪魔しようっていうなら、誰であれ、ぶっ飛ばしますよ」
伊勢崎は峯元の眼前に顔を近づけた。
「いい度胸だ。そこまで言うってことは、冷や飯を食らう覚悟は出来ているんだな」
「何でも来いですよ、峯元さん」
伊勢崎はそれだけ言うと、大股で峯元の部屋の出口へ向かった。
ドアを開けると、そこにいた署員全員が伊勢崎の方を見て固まっている。
その視線には、おそれと困惑が
「なんだよ」
伊勢崎がそうつぶやくと、署員たちはばつが悪そうに顔を背けて、各自の仕事へ戻っていく。
いったい、なんだっていうんだ。
むしゃくしゃする気持ちをぶつけるように、伊勢崎はすぐ目の前にあったキャスター付きの椅子を蹴飛ばした。
ガシャンと音がして椅子が倒れる。
「佐々木! 佐々木はどこだ!」
署全体に響き渡るような大声で叫ぶと、伊勢崎はデスクに戻って、椅子の背もたれにかけた背広をつかんだ。
自重しろ、だ? 馬鹿馬鹿しい!
ちょっと《猿》のことを探っただけで圧力が飛んでくるなんて…なるほど、20年もの間妙な自殺が放っておかれたのもうなずける。
自分で自分の首を絞めるような事件がろくに表沙汰になっていないのには、裏事情があったのだ。
考えてみれば、捜査資料も判で
──呪いを黙認してやがったんだ。
そう考えるのは、飛躍しすぎだろうか。
「佐々木! 早く来い、佐々木!」
再び伊勢崎が大声で叫んで、署内を見渡す。
デスクに姿はない。几帳面な佐々木のこと、とっくに出勤しているだろうから、署内のどこかにはいるはずだ。であれば、声が聞こえないはずはない。
なのに、返事がない。
いつもなら呼んでもいないのに近づいてくるというのに。
妙な胸騒ぎがして、伊勢崎はふと目が合った女性署員に尋ねた。
「おい、佐々木から遅刻か欠勤の連絡、あったか」
女性署員はおどおどした様子で「い、いえ」と首を横に振る。
「なんだと…」
誰に言うでもなく、伊勢崎はつぶやいた。
何の連絡もないとは、少し変だ。自分ならいざ知らず、あの佐々木に限って…。
伊勢崎はすぐさまデスクの電話を手に取ると、暗記している佐々木の携帯番号を押した。
プルルルル……。
呼び出し音が鳴る。
だが、出る気配がない。
一度電話を切って、もう一度かけてみたが、同様だった。
ぞわぞわとした感情が、胸の奥で育っていく。
佐々木。なにがあった。どうして電話に出ない。
昨日は仮屋町での聞き込みのあと署に戻り、あの辺りの住民資料を手分けして調べた。そして…そうだ。確か佐々木は家に帰った。
──そのあと、なにか、あった?
伊勢崎は直感でそう思った。
なにかあったとすれば、帰宅途中か、家に着いたあとか。
車を飛ばせば、署から佐々木の家まで10分もかからない。
「…出てくる」
伊勢崎は慌てて署の駐車場へ走った。
佐々木の住むマンションの前に車を横着けすると、伊勢崎は管理人に事情を話して彼女の住む部屋まで同行してもらうことにした。
エレベーターで5階まで上がる。
ドアの向こうは外廊下になっていて、強い風が吹き込んでくる。かき分けるようにして外廊下を一番奥まで進む。そこが佐々木の部屋だった。
管理人に目配せをして、鍵を開けさせる。
そっとドアを開けると、玄関は
伊勢崎はそのガラス戸に手をかけつつ、
「佐々木。俺だ。開けるぞ」
と中に声をかけた。
2秒ほど返事を待ったが、なんの音もしない。
ごくりとつばを飲み込み、伊勢崎はついにガラス戸を引いた。
まず目についたのは、部屋の中央に置かれたパソコンデスクのモニターだった。
「佐々木!」
伊勢崎は部屋に飛び込み、佐々木のそばに膝をついた。
「くそっ、くそっ!」
手遅れであることは明白だった。
救急車を呼ぶまでもない。
──佐々木は、自分で自分の首を絞めて、冷たくなっていた。
伊勢崎はすぐに応援を要請すると、注意深く周囲を見渡した。
争った形跡もないし、窓ガラスが破られているようなこともない。自殺に見せかけた殺しということは考えづらかった。
となると…。状況から見て、佐々木もまた呪われたということだろうか。
顎に手を当てて考え込む伊勢崎の目が、ふとパソコンモニターを見た。
…動画サイトが表示されている。
タイトルを見ると《見たら死ぬ動画》とあった。
もしや…佐々木はこれを見て?
伊勢崎の手が、ゆっくりとマウスに伸びていく。
もしこれがヒイミさまの動画なら…。
見てはいけない。
わかっている。
けれど…。
マウスを動かして、再生ボタンにカーソルを合わせる。
娘を苦しめ、部下を殺した元凶…。
警察の上層部が取り込まれている以上、敵の懐に飛び込まなければこれ以上戦うことはできない。
再生ボタンをクリックしながら、伊勢崎は、そう思った。
(続く)
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