第23話 拡散
◇ 24 ◇
伊勢崎警部補と部下の佐々木が仮屋町で聞き込みを始める1時間前。
結花たち3人は、里桜の家に到着しようとしていた。
森繁が調べたところ、八丈島への飛行機は羽田空港から毎日3便出ているようだった。
最終便の出発時刻は17時。
「じゃあ、16時に空港に集合しよう。君たちは準備もあるだろうから、一度宿泊先へ戻ったらどうだい」
森繁の提案に従い、里桜の家に戻ることにしたのだ。
「ただいま」
里桜がドアを開けると、ブオーンという大きな音が聞こえてくる。
玄関を上がってすぐ近くの部屋を覗き込むと、里桜の母親が掃除機をかけているところだった。
「ただいま」
里桜が大きめの声でもう一度言う。
ようやく里桜の母親が顔を上げて「あら」と掃除機のスイッチをオフにした。
「おかえり。ヒイミさまは大丈夫だった?」
「うん、出なかった」
言いながら里桜がリビングへと向かった。
結花と志緒理がぺこりと会釈して、里桜に続く。
「まあ、いざってときのために、仮面もライターも持ってるから、なんとかなるわよ」
「油断はダメよ、里桜」
里桜の母親も三人に続いてリビングに入ってくる。
「そうやって何人亡くなったか…」
「わかってる。油断してるんじゃなくて、準備は出来てるって言いたかったの」
「ならいいけれど…。そうそう、お昼は食べた?」
「ううん、まだ…。すごい渋滞で。1時間半くらいかかっちゃった」
「それは大変だったわね。
「うん。お願い。…いいよね?」
里桜が結花と志緒理に同意を求める。
二人とも異論があるはずもなく「もちろん」「助かります」と口々に言って、うなずいた。
「それで、どうだったの」
沸き立つお湯に素麺を流し込みながら、里桜の母親が結花たちを見る。今日、志緒理の通う大学へ行き、霊能者と会うことは伝えてあった。
「うん。いろいろわかったよ」
里桜が戸棚から大きなガラスのボウルを引っ張り出しながら答えた。結花がそのボウルを受け取り、シンクに置く。
ヒイミさまの本体は遠くの島にあるということ。その本体と《猿》の繋がりを断ち切らなければ、呪いを解くのは不可能だということ…。
扇柳の言ったことをひとつひとつ思い出しながら伝えていく。里桜の母親は、時折うん、うんと相づちを打ちながらも、黙ってその話を聞いていた。
「だからね。あたしたち、今日の夕方の飛行機でその島に行くことにしたの。森繁先生が旅費を出してくれるって言うから」
里桜がそう言うと、里桜の母親は目を丸くした。
「あら、まあ」
「パパが会社から帰ってくるまで待てなそうだけど、ごめん」
すると里桜の母親はフッと吹き出して、
「いまさらなにを言っているの」
と口角を上げた。
「ひとりで仮屋町に戻ったのに比べたら、なんてことないわ。こうと決めたら、どんどんやっちゃうんだから、里桜は。わかってる」
本当にその通りだ、と結花は思った。
里桜は見た目に反して強い心と行動力を持っている。学校での差別にも真っ向から立ち向かっていたし、ヒイミさまに襲われていた私を躊躇なく助けてくれたし…。
結花が里桜の顔をそっと盗み見ると、視線に気づいたのか、里桜は結花を見つめ返して、肩をすくめた。
「でも、くれぐれも気をつけるのよ」
母親の言葉に、里桜が素直にうなずく。
「うん」
「さ。もう茹で上がるし、そのボウルに氷を入れてくれる?」
「うん」
もう一度里桜がうなずいた。だがすぐにピタッと止まって「氷?」とつぶやく。
「…どうしたの」
結花が里桜の顔を覗き込んで聞いた。
「氷…大丈夫かなと思って」
里桜の言わんとするところが結花にもわかった。
氷が溶ければ、水たまりになる。
もしそこにヒイミさまが現れたら…。
そんな二人の心配をよそに、里桜の母親が振り返りもせずに言う。
「あなたたちの考えていることはわかる。でも、いまは大丈夫だから」
「…え?」
里桜が怪訝な表情を浮かべる。
「どういうこと?」
しかしその問いには答えず、里桜の母親はコンロの火を消して、
「さ、できた」
明るい声でそう言った。
「ねえ、ママ。いまは大丈夫って…どういうこと?」
里桜がもう一度尋ねる。
そのときだった。
リビングで何気なくテレビを見ていた志緒理が、ひぃっと声を上げた。
「どうしたんですか!」
結花がリビングへ駆け込むと、口元に手を当てた志緒理が、もう片方の手でテレビのリモコンを操作して音量を上げているところだった。
「──足立さんの遺体を発見したのは同居している母親で…」
ニュースを読むキャスターの声が結花の耳に飛び込んでくる。
「食事の時間になっても2階の自室から下りてこないのを変に思い、様子を見に行ったところ、自分で自分の首を絞めていた、ということです」
「うそ」
いつの間にか結花の後ろに里桜が立っていた。
カウンターキッチンの向こうから、里桜の母親もテレビを凝視している。
結花も見たことがあるバラエティ風の情報番組だった。タレントや文化人が、ひとつの話題に対して意見を言ったり議論を繰り広げたりするのだが、どうやら今日のテーマは《ネットで話題の動画》ということらしい。
「──警察の調べでは、状況から見て自殺で間違いないだろうということなんですが…気になるのはこの足立さん、亡くなる直前にネット掲示板にこんな投稿をされているんですね。こちらです」
キャスターがボードに貼られたシートを剥がす。
「《やばい動画を見つけた。本当の呪いの動画かもしれない》」
ええ〜! というわざとらしい驚きの声が、スタジオを包み込む。
「…この投稿のあとにその動画のURLを貼り付けていましてですね。足立さんの投稿を見たひとたちが、続々とコメントを寄せています。そのコメントがこちら」
さらにシートを剥がしていく。
「《これは本物だ》《見たあと、変なことが起きた》。このようなコメントが、何十個も続いているんです」
「いやいや、これって、誰かのいたずらじゃないのぉ?」
辛口で知られるタレントがボードを指さして言った。
居並ぶ他のタレントたちも、同調するようにうなずいている。
「私もそう思っていたんですが…」
キャスターが神妙な表情で答える。
「実際に動画を見てみましたら、変なことが起こったんですね、本当に」
「ええっ、変なことって?」
「…アナウンスルームで動画を見ていたんですが…見終わったあと、デスクの下に母がうずくまっていたんです。でも、いるはずがないんですよ。もう、ずいぶん前に亡くなっていますから」
結花の背筋に、冷たいものが流れていった。
…先輩の動画が拡散している。そうとしか思えない。
「始まったんだわ」
ポツリと、里桜が言った。志緒理が小さくうなずく。
「わたしたちが止めないと、大変なことになる」
声が震えている。無理もない、と結花は思った。
私だって、怖くて仕方ない…。
顔をしかめる結花の隣で、里桜が母親を振り返った。
「ママ、知ってたの? いまは大丈夫って…さっき言ってたの…これのこと?」
その言葉に結花がハッとする。
「そうか。多くの人に呪いが広まれば、私たちのところに来るのはだいぶ後になる…」
「…どうなの、ママ。呪いが拡散しているのを知っていたの?」
里桜の母親はやはりその問いには答えず、結花たち三人の顔を順々に見つめた。
「呪いは、生き物と同じよ。成長していく。動画が撮られた時点で、こうなるのは目に見えていた。だけど、大丈夫。ヒイミさまの呪いには回避方法があるんだから」
そして、ニコリとする。
その笑顔に、結花は
──里桜のお母さん、怖い。
こんなときに笑みを浮かべるなんて、ちょっと私には考えられない。
そんな結花の気持ちにまったく気づかない様子で、志緒理がうなずいた。
「そうですね。わたしたち、いろんなサイトに回避方法を書き込んでいるんです。それが広まってくれれば、みんなが死ぬとは限らない」
「確かに」
里桜も同意する。
「でも、もっと多くの人に伝えるべきね。家族とか、友だちとか、どんどん伝えた方がいいわ。ここまでの状況になったら、なりふりかまってはいられない」
里桜と志緒理は、顔を見合わせてうなずき合った。
ただ一人、結花だけは、里桜の母親から目を離せないでいた。
(続く)
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