第22話 伊勢崎刑事

 ◇ 23 ◇


 伊勢崎警部補と部下の佐々木は、遺族から話を聞いたその足で仮屋町へと向かっていた。

 度重なる24日の自殺。それが結花の言うとおり《猿》という家の仕業なのか調べるためだった。


 大橋を渡り、バス停の近くに車を停める。インストルメントパネルのデジタル時計を見ると、14時を少し回ったところ。聞き込みには最適な時間だ。


 よし、と一声上げて伊勢崎が助手席から降り立つ。その瞬間、四方八方からねっとりとした視線を感じた。


「見られていますね」

 佐々木が口を動かさずに言った。

「ああ。なにかあるな」

 伊勢崎は、あえて大きな声で答えた。

 普通は気づかれないよう、うまく隠れて監視をするものだが。


 ──挑発しているのか?


「とにかく、まずは聞き込んでみるか」

 伊勢崎は大股で道路を渡ると、薬局へと向かった。

 警察手帳を胸ポケットから取り出しつつドアを開ける。

「すみませんけどね。ちょっと聞きたいことが──」

 入店を知らせる軽快な音が店内に響き渡った。

 けれど「いらっしゃいませ」の声もなければ、店員の姿もない。

「おーい、すみません! 誰かいませんかね!」

 伊勢崎は大声を張り上げた。

 それでも誰か出てくる様子はなかった。

「…いないみたいだぜ」

 後ろに控える佐々木を振り返り、肩をすくめる。

 佐々木は「この時間に?」とつぶやいて、隣の理髪店を覗き込んだ。サインポールが回っているから営業しているはずだった。なのに、そこにも誰もいない。

 佐々木が首を振って「…妙ですね」と腕を組んだ。

 確かに妙だった。

 店の中に人影がないのもそうだが、歩行者の姿がまったく見えない。まだ日も高い時間帯だというのに、こうも人気ひとけがないとは。

 その一方で…。

 伊勢崎がぐるりと周囲を見回していく。

 …監視されているのは、さきほどと変わらない。

「ふむ。どこかから俺たちを見ているくせに、こちらの呼びかけには応じない、というわけか」

 大胆不敵というべきか、とにかく不愉快極まりない。

 佐々木が周囲をチラチラ見ながら伊勢崎に近づいてくる。

「この様子では聞き込みは無理かもしれませんね」

「諦めるのはまだ早いぞ。まだ2軒しか覗いてねえんだから」

「ですが、どうでしょう。協力的とは思えませんが」

「…まあ、それはそうだがな」

 伊勢崎は顎に手を当てた。

 結花の話から考えるに、この町に残っているのは《猿》そのものか、《猿》に協力的な家だけと考えてよいだろう。そうなると20年間続く24日の自殺について問うたところで、まともな返事は期待できない。

「警部補。ここは、どうでしょう。ひとつ結花ちゃんに連絡をしていただいて、その《猿》という連中の本名を探れないでしょうか」

 佐々木がささやくように言った。

「名前がわかれば、データベースでいろいろ調べることはできます。《猿》というだけでは、早晩捜査が行き詰まるのは目に見えていませんか」

「うむ…」

 佐々木の言うことももっともだ。

 伊勢崎は、一度車に戻り、結花に電話をかけることにした。


 しかし、結論から言えば、空振りだった。

 結花は当然のことだが、この町に住んでいたという里桜という子ですら、《猿》の本名を知らなかったのだ。

「わざわざ干支を使って活動していたのにはわけがあって…。名前ってその人自身を表していると考えられているんです」

 里桜が説明するには、呪術をかけるときには、相手の名前を唱えたり、呪符に書いたりするのだという。だから、仮屋町の住人たちは用心のため、お互いに本名を明かさなかった。

 とうてい納得できる理由ではなかったが、住んでいた人物がそう言うのならそうなのだろう。

 ひとまずここは町を離れて、別の方法を考えるしかない。

「わかったよ。結花。里桜ちゃんにもよろしく伝えてくれ」

 伊勢崎が電話を切ろうとすると、結花の「あ、待って」という声が漏れてきた。

「ん、どうした」

「あのね。私たち、今日の夕方の飛行機で、八丈島ってところに行くことになったの」

「八丈島? なんだってそんなところに?」

「そこにヒイミさまと《猿》の起源があるみたいなの」

「そうなのか…。森繁という先生も一緒か?」

「うん。先生が研究費から旅費を出してくれることになって」

「待て待て。それはいただけない。すぐにお返しするってちゃんと伝えるんだぞ」

「うん。そう言うと思って、連絡先も聞いてあるよ」

「ならいいけど…それにしても、いろいろ急だな」

「時間がないからね…。《猿》の名前、ごめんね。役に立てなくて」

「いや、大丈夫だ。こっちはこっちでなんとかしてみるから」

「がんばってね」

「ああ。気をつけるんだぞ」

 うん、という声を聞いた後、伊勢崎は通話オフボタンを押した。


 ふと不思議な気分になった。

 結花が高校生になってからというもの、会話が少なくなり、考えていることもわからなくなった、と感じていた。それがこんな事態になり、頻繁に連絡を取り合ってお互いを心配し合っている。


 常識が通用しないこの事件…。

 無事に、この危機を乗り切ることができるのだろうか。

「いや、乗り切るしかないんだ」

 伊勢崎は独り言のように、そうつぶやいた。


(続く)

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