第21話 島
◇ 22 ◇
最初にその動画を発見したのは、ホラー映画マニアを自称する、足立という男だった。
足立は昨年の春に大学を卒業して、スマホを販売する企業に就職したが、あまりのブラックさに嫌気が差し、ひと月足らずで退職。それ以降、埼玉県所沢市にある実家に寄生する形で、いわゆるニート生活を送っていた。
ホラー映画にハマったのは、何気なくレンタルした《パラノーマル・アクティビティ》という映画に衝撃を受けたのがきっかけだった。近所のレンタルビデオ屋にあるホラー作品はすべて見てしまったため、仕方なくここ数ヶ月はネットの動画配信サイトで心霊動画を探していたのだが、そのうちのひとつに、野村朔太郎の撮ったヒイミさまの動画があった。
──けっこうがんばってるな。
それが、見終わってすぐの印象だった。
臆面もなく化け物を出してくるあたりは斬新でもある。つたない独り言でリポートするのは食傷気味ではあるが。
もちろん、こんな化け物が本当にいるわけはないからCGを駆使したのだろうが、手持ちカメラの撮影にしては、違和感がないのはすごい。見たところ高校生くらいのようだが、最近の若者はすごい技術を持っているなぁ、と感心した。これはみんなに見てもらいたいとなんの疑問もなくシェアボタンを押したところで、どこかから妙な音が聞こえた。
コ、コ、コ…
喉の奥を潰したような、くぐもった音。
あれ、どこから聞こえているんだろうとPCモニターから目を上げると、もう一度。
コ、コ、コ…
さきほどよりも近づいた位置から聞こえる。
もしかして、部屋の中から?
足立は腰を浮かせて部屋の隅を振り返った。
部屋の中は薄闇に覆われていた。動画を見ている間にすっかり夜になってしまったようだ。
普段明かりは点けないから、PCモニターの青白い光だけが淡く部屋を照らしている。だから部屋の隅も天井もはっきりと見ることはできない…はずだった。
なのに、見える。
白い、人のようなものが、ぐにゃりぐにゃりと揺れている。
おいおい、なんだ、こりゃぁ。
足立は振り返った姿勢のまま硬直していた。
霊なのか?
だとしたら、思っていたのとだいぶ違う。これはなんというか、大きな紙切れのような。
そう。
《それ》はぺらぺらの紙切れのように前後左右に揺れつつ部屋の隅に佇んでいた。人の形をしているが、目鼻や口はまったく見えない。真っ白け。服も着ているようには見えなかった。ただただ真っ白の…本当に紙切れのような人の形をしたなにか。
突然、びょうっと風が吹いた。
《それ》が一気に近づいてきて足立の顔を覆う。
「ぐふっ」
くしゃくしゃの紙の感覚が顔に貼り付き、足立は一瞬呼吸を忘れた。慌てて手で払い落とすと《それ》は忽然と姿を消してしまった。
なんだ、いまのは…。
足立は何度も目をこすった。
今度は耳のすぐ近くでコ、コ、コと聞こえた。
***
朝の10時きっかりに、結花は里桜や志緒理とともに森繁の待つ研究室のドアを開けた。
「おはようございます」
結花たち3人がバラバラに頭を下げると、森繁は右手を軽く挙げ、「やあ、来たね」
おそらくここで一夜を過ごしたのだろう。森繁は昨晩と同じ服を着たまま、やはりフラスコとアルコールランプを使ってコーヒーを抽出している。
「すでにご到着だよ」
森繁が部屋の隅を指さすと、ひとりの老婆が椅子に座っていた。
「先生、この方は…」
志緒理が尋ねる。
「ああ、こちら、昨日話した霊能者の先生。
森繁がその老婆──扇柳の背後に回って、薄い肩に手を乗せた。
「今朝の新幹線で来ていただいたところさ。すごいんだよ、この先生は。そんじょそこらの霊能者じゃない」
「よさないか、森繁」
チラと森繁を見ながら、扇柳がぴしゃりと言った。しわがれた声に威圧感がある。
「こんな力、なんの自慢にもなりゃしない。おまえみたいな物好きと出会ったのが運の尽きだよ、まったく」
「そんなこと言わないでくださいよ、先生」
ふんっと鼻を鳴らして、扇柳が灰色がかったちぢれ髪を掻き上げた。髪に隠れて見えていなかったが、瞳が少し白濁しているようだ。視力が悪いのかもしれない。
「扇柳さんはね、警察にも協力することがあるような人なんだ。偉い人から個人的に依頼されたりとかね。大臣クラスの人ともおつきあいがあるんですよね?」
「長く生きているだけだ。ろくなもんじゃないね」
「ご謙遜を。まあそこが先生のいいところですけどね。あ、ほら、座って座って」
森繁が結花たち3人を手招きする。
「はい。すみません、それじゃ…」
志緒理がすたすたと扇柳の前の席に座る。結花と里桜は顔を見合わせながら後に続いた。
その様子を
「え?」
結花が思わず聞き返す。
「そういうことって?」
扇柳はコホンとひとつ咳払いをして、結花と志緒理を交互に見た。
「おまえたちにかかっている呪いには、少々なじみがあってね」
「なじみ?」
「ああ」
扇柳が森繁をキッと睨む。
「わしがその呪いを追っていることを知ってて、わざわざ呼びつけたってことだろ、森繁」
「さすがです。ははは。見破られちゃいましたね」
森繁があっけらかんとした様子に、扇柳は深いため息をついて、頭を振った。
「どういうことですか?」
志緒理が身を乗り出して聞く。
「…その呪いは、昨日も見た。プールランドってところでね」
「プールランド?」
結花が声を上げる。
そこって確か…絵美が死んだところじゃ…?
「くっきりとした死相の出ている子がいてねぇ。注意はしたんだが、結局亡くなったようだ」
「それ、私の友だちかもしれません」
結花がそう言うと、扇柳は目を丸くして、
「そうかい。おまえたち、あの辺の子かい」
「はい。こちらの森繁先生を頼って、昨日、上京したんです」
「それは大変だったね」
扇柳は心底同情するというように、何度もうなずいた。
「まぁ、こういう縁は、切っても切れないもんでね。おまえたちとここで会うのも、巡り合わせってやつだろうよ」
膝に手を当ててゆっくり立ち上がると、扇柳は窓に近づいていく。
「あの辺では20年ほど前から、妙な自殺が流行っている。それが怨霊のせいだというんで、わしのところに浄霊の依頼が来てね。ずっと調べているんだ」
「ヒイミさまを?」
里桜がガタッと音をさせて椅子から立ち上がり、扇柳に歩み寄った。
扇柳はくるっと振り返ると、じっと里桜の目を見つめて、
「…事情に詳しそうだねぇ」
と口角を歪ませた。
「いえ、別に…」
里桜は目を逸らして椅子に座り直す。
「わしに隠し事は通用しないが…まあ、いいだろう。いまは無駄話をしているときではないからな」
扇柳はそう言うと、床に置いたグレイのキャリーバッグから分厚い大学ノートをいくつか取りだしていく。
「森繁から電話でだいたいのことは聞いている。撃退法も知っているんだろ?」
結花が志緒理と顔を見合わせる。
「ええ、一応」
「なら、しばらくそれを続けな。水に囲まれなければ、なんとかなるだろうよ」
「しばらくって…どれくらいですか」
志緒理の問いに、扇柳は首を振る。
「さあね。まだわからない」
「まだ?」
「ああ。この…ヒイミの呪いを解くのは容易ではないのだ。なぜなら、やつの本体がいる場所は、仮屋ではないのだから」
「違う場所に?」
「ああ」
大きく首を振って、扇柳がうなずく。
「20年…わしはやつを追い続けてきた。やつの犠牲になった人たちを霊視して、呪いの糸をたぐり寄せていったんだ。何年も何年も…霊視を続けた」
扇柳が中空を眺める。
「多くの犠牲者を看取ったよ。撃退法が見つかって以降、それを伝える努力もした。けれど…いまの時代、霊能者なんて詐欺師みたいな扱いでね。火を使え、水から離れろ、仮面をかぶれ。口をすっぱくしてそう言っても、なにをバカなことを言っているんだと罵られ、あざ笑われたよ」
結花はわかる気がした。
たぶん私も…実際に里桜が飛び込んでこなければ、信じられなかっただろう。
「そいつらはみんな死んでいったよ。悲しくはなかったが……ま、疲れる仕事さ」
そこまで言うと、扇柳はクックッと顔を歪ませて肩を震わせた。
「…愚痴になったね。まあ、忘れとくれ」
と、大学ノートの最後の方のページを開いて、結花に見せた。
「これは…?」
結花が尋ねると、扇柳は「霊視で見えたものを急いでメモしたものだ」と答えながら、何枚も何枚もページをめくっていった。
「結論から言うと、ヒイミはどこかの島にいる」
「どこかの、島…」
里桜のつぶやきに、扇柳はうむ、とうなずいた。
「何度も霊視をした結果さ。まず間違いないだろう。犠牲者の呪いの糸は、いつもこの島へと続いていた」
扇柳が指さしたところには「絶海の孤島」と書かれていた。志緒理が大学ノートを受け取り、ページをめくっていくと、すべてのページでそのイメージは共通しているようだった。
「絶海の孤島…。どこの島なんですか」
志緒理が尋ねると、扇柳は首を横に振る。
「霊視で見えるのは断片だけでね。名前まではわからない。わかろうとするのも危険なのさ。そういうのは、手前勝手な思い込みが多いからね」
「なかなか、難しいのですね」
志緒理が顎に手を当ててうなずいた。森繁はいつのまにか熱心に扇柳の言葉をノートにメモしている。結花には、途中からなにを言っているのかよくわからなかった。
「とはいえ、複数の犠牲者が同じようなイメージを見ていたのだから、そこには意味があるのだろう」
「となると、こういう推論が成り立つということですね」
森繁がメモから目を上げて指を立てる。
「仮屋町の《猿》たちは、遠くにいるヒイミを式神として呼び寄せているのではないか」
「うむ。そういうことだ」
「式神って…
ようやく知っている単語が出てきたので、結花がおずおずと言った。たしか陰陽師が神や霊を呼び出す術をそう呼んだはずだ。
「よくそんなこと知っているね、素晴らしいなぁ」
森繁が笑みを浮かべて言った。
「別にそんな…」
「いや、将来有望だよ。卒業したらぜひ、うちに来て欲しいなぁ」
「先生。生きるか死ぬかってときに、不謹慎ですよ」
志緒理が森繁を睨みつける。
森繁は悪びれた様子もなく「そうかな。こういうときだからこそ、未来の話は大事なんじゃないかなぁ」とぶつぶつ言ってから「まあ、考えておいてよ」と結花の手をギュッと握った。結花はなんと答えてよいかわからなかった。
「──式神である以上」
扇柳が続ける。
「《猿》の始祖が、かつてヒイミを
「じゃあ、ヒイミさまは倒せるということ?」
志緒理が目を輝かせて聞く。
「理屈ではそうなる。だが、いまは《猿》によって
「なるほど…。ヒイミさまのアタックを回避しながら、《猿》との繋がりを断ち切り、さらにヒイミさまの本体も倒さないといけないわけか。確かに簡単じゃないわね。先の長い話…」
志緒理がはぁとため息をついて、がっくりと肩を落とした。
「その繋がりというのは、どういったものなのでしょうか」
森繁がペンを鼻に当てて聞く。
「断ち切ると言っても、どうしたらいいか」
「それは、わからん。《猿》がどうやってヒイミを調伏したか。その方法がわかれば、あるいは…と思うがね」
「ふむ。つまり現状をまとめると、こういうことですね」
森繁がノートをパタンと閉じた。
「仮屋町は江戸の昔より、呪術の町だった。そこでは干支にちなんだ家が12あり、その中でも《猿》と呼ばれる家は、ヒイミさまという怨霊を式神として自由に操ることができたため、呪殺集団として名をはせていた。どうやって
「単純に考えれば…」
志緒理がメガネの奥の目を細める。
「《猿》はその島でヒイミさまと出会い、調伏…でしたっけ。それをしたと言えますね?」
志緒理の言葉に、森繁が力強くうなずく。
「いかにも。その島に行ってみれば、なにかわかるかもしれないね」
「島か…」
結花が不安そうに言うと、森繁は場違いなほど明るい声で「あ、安心して。旅費は、ぼくのフィールドワークの経費にするから。そこは心配しなくていい」と言った。
その様子を冷めた表情で志緒理が見つめる。
「先生、行く気満々ですね」
「そりゃぁそうさ。こんなチャンス、一生に何度もない」
「さっきから不謹慎すぎますよ、先生。わたしと結花ちゃんは、命の危険があるんです」
志緒理がむくれてそう言うと、森繁はやはり悪びれた様子もない。
「だからどうしたっていうんだい。人間、いつかは死ぬんだ。ぼくだって君たちのもとに現れたヒイミさまを見て死ぬかもしれない。それでも知りたいという欲求には逆らえないのさ」
「異常ですね…」
「まあ、否定はしないよ」
「だけど…」
黙っていた里桜が、口を開いた。
「そもそもその島がどこなのか、わかるんですか? さっきのお話じゃ、名前はわからないんですよね?」
そうだ。行く行かないはともかく、場所がわからなければどうしようもない。
結花が里桜の言葉にうなずいていると、森繁はやけに自信たっぷりに「大丈夫」と言った。
「実は、もうあたりはつけてあるんだ」
「え?」
結花と里桜が同時に聞き返す。
「監獄島を、ですか?」
「そう。知らないかな。江戸時代、実際にそういう島がいくつかあったんだよ」
「知りません…」
「そうか。じゃあ調べてごらん。監獄島というだけで、候補は限りなく絞り込まれるんだ。たとえば長崎の
森繁が指を立てる。
「あえて《江戸の監獄島》といわれるものは、佐渡と
「じゃあ、そのどちらか?」
「かな、と思って、伝承を簡単に洗ってみたんだよ。そうしたらね、八丈島に怪しい伝承があったんだ。毎年1月24日の夜は、外に出てはいけないっていう伝承がね」
「ええっ」
結花は思わず立ち上がってしまった。
「じゃあ、そこに、ヒイミさまが…?」
結花が里桜と志緒理を見ると、2人とも島の伝承に驚いた様子で、顔を紅潮させている。
「行ってみる価値はあるだろ?」
森繁の言葉に、結花はしずかに腰を下ろした。
「ふん。そこまでわかっていて、わしに延々と話を続けさせるあたり、変わってないのぉ、おまえは」
扇柳が眉をしかめて森繁を見ると、森繁は「いやぁ、ははは」と頭を掻いた。
(続く)
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