第20話 20年と24日
◇ 21 ◇
自分の娘が、まさかこんな事件に巻き込まれてしまうとは。
通話オフボタンを押しながら、伊勢崎警部補はもう一度ため息をついた。
デスクにスマホを放って、チェアの背もたれに思い切り寄りかかる。頭をガリガリと掻いていると、すっと人影が近づいてきた。
「結花ちゃんですか」
部下の佐々木がカートにファイルを山ほど載せてデスクの前に押してくる。
「ああ。仮屋町の歴史がわかったらしい」
「有能ですね。さすが警部補の娘さん」
真顔で言う。本気なのか冗談なのかわからず、伊勢崎はコホンとひとつ咳をした。
「で、それは?」
「はい。警部補がご所望の、過去の事件資料です」
佐々木がファイルをひとつずつデスクに置いていく。1994年から2015年まで、全部で22冊。
「お話ですと《猿》が暴れ出したのは20年ほど前からということでしたので、少しバッファを持たせて22年前からかき集めてみました」
「おー、有能有能」
伊勢崎が茶化すと、佐々木は顔色ひとつ変えずに、
「お望みであれば25年前からいけますが」
と答える。
「…いや、いいよ、これで」
伊勢崎は再び頭をガリガリ掻きながら、ファイルに手を伸ばした。
ファイルを開くと、すでに佐々木によって
「仮屋町での自殺案件だけに絞っております」
佐々木がぐいっと覗き込んでくる。
「おお、助かるよ」
付箋のついたページをぺらぺらとめくってみると、佐々木の言うとおりだった。死亡現場はすべて仮屋町。死因は自殺と書かれている。
なるほどと思いながら別のファイルも開いてみる。そこにも付箋があった。さらに別のファイルにも同じように付箋があるのが見て取れる。
「…おまえ、これ、まさか全部チェックしたのか」
「はい」
佐々木が当たり前、という顔で答える。
「マジか、おまえ」
伊勢崎は心底驚いた。
ファイルを持ってこいとは言ったが、抜粋してくるとは思わなかった。これからふたりで手分けして調べていくつもりだったのだ。
「22年分、全部、チェックしたのか」
「はい」
「早いな。そんな能力があったとは」
「こういうのは得意なので」
「いや、もっと早く言っといてってことだよ」
「すみません」
「いいけどよ」
パタンとファイルを閉じて、伊勢崎は再度椅子にもたれた。
「それで、どうだった。どう思った」
「それが…」
佐々木が隣のデスクからチェアを転がしてきて座る。
「妙でして」
「どういうことだ?」
佐々木が1996年のファイルを開き、付箋のついた箇所を伊勢崎に見せる。
「日付をご覧ください」
言われて事件の日付を見ると、5月24日とあった。
それが? という表情を伊勢崎が浮かべると、佐々木はなにも言わずにぺらぺらとファイルをめくり、次の付箋箇所を見せてくる。
そこの日付は…。
「9月24日」
ぽつりと伊勢崎がつぶやく。
佐々木はまたなにも言わずに、さらにページをめくっていく。
次の日付は12月24日だった。
「これが、なんだ?」
たまりかねて伊勢崎が尋ねると、佐々木はやはり無言のまま1997年のファイルに手を伸ばし、また付箋箇所を伊勢崎に見せる。
そこの日付は3月24日になっていた。
──また24日。
伊勢崎の目の色が変わったのを佐々木は見逃さなかった。
1998年のファイルと1999年のファイルを同時に開いて、ぐいっと付箋箇所を指さしてくる。
その資料にある付箋箇所の日付もまた、申し合わせたように24日だった。
「おい、これ…」
伊勢崎が顔を上げると、佐々木は険しい表情でコクリとうなずいた。
「仮屋町での自殺案件は、ここにある22年分で約60件。そのうち1996年以降のものはすべて、24日に発生しています」
「マジか…」
「はい。さきほど22年分調べたと申したのは、冗談ではありません。この事象が発生し始めたのがいつなのかをハッキリ理解するために調べたのです」
「というと?」
佐々木が1994年のファイルと1995年のファイルを開いて伊勢崎に見せる。
「ご覧のように、この2年に付箋はつけておりません」
「…ふむ」
「厳密に申しますと、自殺案件は数件あります。が、24日ではありませんし、まったく関係のないものと思われますので、排除しました」
佐々木の開いたファイルを、伊勢崎が手早くめくっていく。
「本当か? その数件がまったく関係ないと、本当に言い切れるのか?」
「はい。言えます」
佐々木は即答する。
「なぜ。根拠は?」
「もう一度、付箋の事件をご覧ください」
1996年のファイルを開きながら佐々木が言った。
「特に、『詳細』の欄です」
「『詳細』…?」
指で示された箇所を伊勢崎が見ると、そこには《首を絞めたことによる窒息》と書かれていた。
慌ててほかの付箋部分もチェックしてみる。
すると、そのすべてに《首を絞めたことによる窒息》とあった。
思わず、手が止まる。
「これ…死に方が同じってことか」
全身に鳥肌がたった。
「はい。これより前の2年では、窒息による自殺はありません」
「…結花が聞いた話と
「ええ。そうなると気になりますのは、やはりプールランドやパーキングエリアでの事件…それから野村朔太郎という男子高校生の事件です。もしこれらが、20年前から続く自殺案件と関連しているのなら、彼らの死もまた《猿》という連中と関係があると言えるでしょう」
「ううむ」
伊勢崎は思わず唸った。
自分で自分の首を絞めて亡くなった高校生たち。
20年分の記録にはそこまで詳細な死に方は記されていないが、
「警部補。しかも、です」
佐々木が伊勢崎にぐいと顔を近づける。
「なんだ?」
「実は調べていくうちにわかったのですが…この付箋の事件…少なくとも10組の遺族が警察に抗議をしているようです」
「抗議?」
「はい。自殺と断定されたのが納得できない、ということのようです。この資料とは別のファイルに、記録されていました」
「ふうむ。それで、その抗議はどうなったんだ」
よりいっそう顔を近づけて、佐々木が声を潜める。
「もみ消されたようです」
「…なんだって」
伊勢崎の声もささやくような小声になる。
「どういうことだ…?」
「詳しいことはわかりませんが、あの町にはなにかがある気がします。私は正直なところ、呪いというものはあまり信じません。ですが、偶然にしては出来すぎているとも感じます」
「うむ」
伊勢崎は腕を組んで天井を見上げた。
「その遺族というのは、いまどうしているんだ」
すると佐々木はパチンと指を鳴らして、
「調べてあります。お聞きになるだろうと思いまして」
とメモ帳を広げた。
「嫌みなほど優秀だな」
「痛み入ります。どうされますか。お会いになりますか」
「そうだな。明日伺いたいってことで、約束を取り付けてくれるか」
「了解いたしました」
一礼すると、佐々木はきびきびした動きで自分のデスクへ戻っていった。
* * *
翌朝、伊勢崎と佐々木がアポの取れた遺族の元を訪れると、その全員が「あの自殺は、普通ではない」と口を揃えた。
その中でも特筆すべきなのが、死の直前、犠牲者と電話で話した遺族がいたことだ。
その遺族によると、犠牲者は「白い女の化け物が襲ってくる」と怯えていたというのだ。
化け物に襲われたというのに《自殺》なんて、どう考えてもおかしい。
話を聞いていくうちに、伊勢崎の心は憤慨に満ちていった。
いつもは鉄仮面のような佐々木ですら「ひどいですね」と口にして、顔を真っ赤にして怒っている。
彼らの証言が真実であれば、本当にひどい話だった。
会えたのは約60件の《窒息自殺》のうち、わずか10組でしかなかったが、少なくともこの10件に関しては、もっと捜査をして、詳細な記録を付けていなければならない。
なのに。
20年分の記録は、彼らの訴えをまるきり無視してしまっている。
そんな暴挙が許されていいわけがない。
伊勢崎は結花が話していたことを思い返していた。
時の権力者とつながり、裏の仕事を請け負っていたという仮屋町。もし《猿》が、いまだその関わりを持ち続けているならば…。
心の中に嫌な予感が広がっていくのを、伊勢崎は止めることができなかった。
(続く)
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