第19話 休息
◇ 20 ◇
エレベーターを下りて地下駐車場に足を踏み入れると、半分以上の電灯が消されていて、不気味な薄暗さだった。
ブーンという空調の音が耳障りなほど大きく聞こえる。
だだっ広い空間には、ほかに車が見当たらなかった。
がらんとした場所に自分たちしかいないのだと思うと、結花はなぜかドキドキした。
車に乗り込むとすぐに志緒理が口を開いた。
「これからどうする?」
「どうする、というと?」
結花がシートベルトをしながら時刻を見ると、23時を回っていた。
「寝るとこよ。わたしのアパートに来てもらってもいいけど、一人暮らし用だから狭いし、誰かが起きて見張っていないと、ねえ?」
「ああ」
そういうことか。
結花は志緒理の言いたいことがようやくわかった。
確かに、寝ているところをヒイミさまに襲われたら、一巻の終わりだ。誰かひとりは起きて異変がないか見張っていなければ、いざというとき逃げられない。
「それなら、あたしの家に来てください」
後部座席の里桜が身を乗り出して言った。
思いもつかなかった、という顔で志緒理が里桜を見る。
「里桜ちゃんの家?」
「ええ。あたしの家なら両親もいるし、両親はヒイミさまへの対策もわかっていますし」
「…なるほどね」
「どうですか? 余計に気疲れするようならアレですけど、あたしと親は平気なんで」
結花と志緒理が顔を見合わせる。
「本当に? 里桜が決めて大丈夫なの?」
「大丈夫でしょ。この状況でダメっていう親じゃないし。というか、ほかにいい案があるなら別だけど」
そう言われると、結花はなにも思い浮かばなかった。
「ううん、助かるよ」
志緒理がニコリとして結花と里桜を見比べる。
「里桜ちゃんのご両親が協力してくれるなら、少しは安心して眠れるし…そうさせてもらいたいな。今日は正直、かなり疲れたから」
「ええ。もちろん。まだ起きていると思うんで、早速電話しますね。志緒理さんは青山通りを三軒茶屋の方へ向かってください」
里桜の家は、世田谷通りをまっすぐ行って環七を少し越えたところにある、9階建てマンションの2階だった。
玄関のドアを開けると、里桜のご両親がホッとした様子で出迎えてくれた。
「ママ!」
里桜が母親の胸に飛び込む。ギュッと抱き合うその姿は、感動の対面といった雰囲気だった。
「あなたたちも、ようこそ。ここまで大変だったでしょう」
里桜の母親が、今度は結花と志緒理をハグする。その隣で父親が深々と頭を下げた。
「我々が食い止められなかったばかりに、きみたちまで呪われることになって、本当にすまないと思う。大変申し訳ない」
「そんな…謝っていただかなくても」
「そ、そうですよ」
結花と志緒理は、逆に恐縮してしまった。
「いや、いくら謝っても足りないくらいだよ。でも今日は…いや、必要なら何日でも、ここに泊まっていいからね」
父親はそう言うと、手近の戸棚を開いた。
「我々はやつに呪われたわけではないが、万が一という事態に備えて、この家でも準備は怠らなかったつもりだ」
戸棚の中には、お祭りで売っているような子どものお面や、どこかアジアのお土産風のお面、映画のキャラクターのお面など、いくつも《仮面》が陳列されていた。
「マンションの2階に家を買ったのも、そのためなんだ。2階なら、いざというとき逃げやすいからね。エレベーターも階段も使えるし、ことによっちゃ飛び降りても大丈夫な高さだ」
説明しながら、次々と戸棚を開けていく。
仮面の戸棚の隣は、ロウソクとライター、マッチなどがきれいに収納された棚。その隣には無数の手鏡が飾られた棚があった。
「この鏡は…?」
結花が小声で里桜に聞く。
里桜は「あたしもわかんない」と首を振って、父親の洋服の裾をつかんだ。
「ん? なんだい」
父親が振り返る。
「パパ、これは?」
「ああ、これ。里桜にはまだ言ってなかったかな」
「うん、聞いてない」
「これはね。確証はまったくないんだが、やつが自分自身の姿を見たらどうなるかと思ってね」
手鏡をひとつずつ、結花たちに渡していく。
「仮面も火もないとき、試してみる価値はある」
「そんな状況になりたくないけどね」
里桜がしげしげと手鏡を見つめる。
「もちろんだ。でも我々も、ほかの11の家も、そうやって少しずつやつの弱点を解明していったんだ。…その鏡はあげるから、持っているようにね」
そう言って父親が戸棚を閉めていく。
「とにかく、もしやつが我が家に現れたとしても、こうして撃退の用意は出来ている。今日はぼくたちが寝ずの番をするから、きみたちは安心して寝ていい。遠慮しないでいいから。ね」
父親はようやく笑顔を浮かべて、結花と志緒理を見た。
* * *
結花は静かに窓を開けてベランダに出ると、スマホの通話履歴から父親の番号を呼び出した。
発信ボタンを押しながらリビングを振り返ると、端っこに敷かれた布団で、志緒理が丸くなって眠っている。横になって数分もしないうちに寝息を立て始めたところをみると、よほど疲れていたらしい。
結花は心の中で感謝しながら、ベランダから見える夜景に目を移した。
夜も遅いのにひどく明るい。車の走行音もひっきりなしに聞こえている。
──これが東京なのね。
ふとそう感じたそのとき、父親の声が聞こえた。
「もしもし。結花。どうした」
「ううん。毎日電話する約束だったから」
「ああ、そうだったな。いま、どこなんだ?」
声の向こうから、電話の音やほかの人の声が聞こえる。きっとまだ職場なのだろう。
「うん…。里桜のご実家にお世話になってる。仮屋町の出身だから、いろいろ対策も出来ているみたいで…。だから安心して」
「そうか。住所と電話番号、聞いておけよ。今日はもう遅いから遠慮するが、あとで直接お礼を言いたいからな」
「わかった」
「で、どうなんだ。先生に会うのは明日か?」
「ううん。大学で待っていてくれたから、直接行ったんだ。いろいろ聞けたよ。仮屋町の歴史とか」
「ほう。父さんはさっき調べ始めたところでな。よければ教えてくれよ」
「うん」
結花は森繁の語った話を思い返しながら、かいつまんで父親に説明した。
仮屋町の周辺は、かつて戦場だったこと。刑場になり、仮面を付けたひとたちが住み着いたこと。双観という呪術師が目を付けたこと。やがて12の家が
ときおり相槌をうちながら聞いていた父親は、結花が話し終えると低い声で唸った。
「ううむ。なるほどな。そういう過去があったとなると、誰も語りたがらないのも納得だな」
「…どういうこと?」
「《猿》のことを調べようと思って、何人かに聞いてみたんだ。郷土史家とか署の先輩とか、まあ、いろいろな。でも、誰もが口を濁しやがる」
「そうなんだ…」
「父さんもこの仕事をして長いけど、こういうときはたいてい、なにか面倒な事情があったりする」
はぁ、と大きなため息が電話の向こうから聞こえた。
「…結花、くれぐれも気をつけろよ。父さんももう少し探ってみる」
声を潜めて父親が言う。結花は額に汗が浮かんでいることに気づいて、そっと拭った。
「…うん。お父さんも気をつけて」
(続く)
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