第18話 森繁

 ◇ 19 ◇


 高校の正門を出発して、伊勢湾岸自動車道を通り、新東名高速道路に入った頃には、夕陽が西の空を赤く染めていた。


 浜松浜北で一度トイレ休憩に寄ったが、ヒイミさまに襲われるのを警戒して、そのほかはすべてスルー。ちょうど混む時間帯ということもあり、予想より時間がかかったものの、22時になる頃には、東京料金所のゲートをくぐっていた。


「長時間の運転、お疲れ様でした」


 結花が助手席から声をかける。

 運転席の志緒理はさすがに疲れた表情を浮かべつつ、「まだまだよ。こっから天現寺ってところまで行くからね」とアクセルを踏み込んだ。

「だけど、こんな遅い時間に大学へ行っても本当に大丈夫なんですか」


 後部座席で里桜があくびをかみ殺す。


「平気平気。森繁先生、大学に住んでるようなもんだから」


 一番右側の車線に進路変更しながら、志緒理が答えた。


「それに出発前に電話したんだけど、どんなに遅くなってもいいから来るようにって言ってたし」

「そうですか。それならいいんですけど」


《民俗学研究室》と書かれたドアを開けると、天然パーマの縮れ髪が特徴的な長身の男性が、アルコールランプとフラスコを使ってコーヒーを抽出しているところだった。部屋いっぱいに酸味の強い香りが充満している。


「森繁先生、こんばんは」


 志緒理がぺこりとお辞儀をすると、男性は軽く手を挙げた。


「やあ、来たね。森繁です。遠いところからご苦労さん」


 歳は40代後半といったところだろうか。大学の先生というからもっと年配のひとを想像していた結花は、意外な気持ちで自己紹介をした。


「伊勢崎結花です」

「きみが結花ちゃんか。うんうん。じゃあ、そっちの彼女が里桜ちゃんかな」


 森繁が結花の背後に目をやった。


「はい。奥山里桜です。お世話になります」


 里桜が深々と頭を下げる。つられて結花も、頭を下げた。森繁はニッと笑って、


「初々しいねぇ。まぁ、座って。むさ苦しいところでごめんね」


 と部屋の右隅を指さした。そこには統一感のない椅子とテーブルが無造作に置かれている。そのうちのひとつに志緒理がさっさと腰掛けた。結花と里桜も続く。


「じゃあ、早速本題に入ろうか。ヒイミさまの呪いを解く方法、だったよね」


 森繁はつかつかと戸棚に歩み寄ると、コーヒーカップを取り出した。それからデスクに戻ってフラスコからコーヒーを注いでいく。


「実は呪いといっても単純ではなくてね。呪いのタイプに合った解き方、というものがあるんだ」

「呪いのタイプ、ですか」

「うん。呪いには大きく分けるとふたつのタイプがあってね。思考的な呪いと物理的な呪いがそうだ。思考的なものは、まあいわゆるマインドコントロールとか、そういうのだね。一方、物理的な呪いは、直接危害が加わるもの。体調を崩したり、なにか良くないものが襲ってきたり、ね。はい、コーヒーどうぞ」


 森繁が結花たちの前にコーヒーカップを置いていく。


「ありがとうございます」

「今回のヒイミさまは、後者の方。つまり物理的な呪いだね。この場合は、呪いを解くというよりも、返す。つまり、呪いをかけてきた相手に、そのままはね返す」

「呪詛返し…ですか」


 里桜が顎に手を当てる。

 森繁は「そう」とうなずいて、人差し指を立てた。


「で、その方法についてなにかヒントがないかなと思ってさ。電話をもらったあと、ぼくなりに仮屋町のことを調べてみたんだ。言うだろ、ふるきをたずねて新しきを知るって」


 森繁はデスクに戻り、山のように積まれた資料から、ごそごそと何冊かの書物を引っ張り出した。


 * * *


 いま仮屋町があるあたりは、歴史的にいろいろあった場所でね。とくにスポットが当たったのは、戦国時代後期。ちょうど織田信長が各地の一向一揆と戦っていた頃だ。


 記録では、仮屋町のあたりに一向宗が砦を築いて、織田軍と激しく戦った、とある。けれど数で勝る織田軍が、やがてこの一帯を包囲してね。すぐに砦の食べ物が底をついた。砦の門徒たちは死人の肉を食べ合い、石や草にかじりついて…全滅。織田軍は死体を焼きもせず、放ったまま去って行った。


 それ以降だな。この地域で、人魂や幽霊の目撃談がひっきりなしとなったのは。…残念なことだけれどね。一向宗門徒がそんなことになるなんて。だってそうだろ? 彼らは南無阿弥陀仏と唱えていれば、死んでも極楽浄土にいけると信じていたんだから。


 で、時代が進んで徳川家康が天下を統一すると、この地域は刑場となった。刑場ってわかるかな。罪人の首をはねたり、はりつけにしたりする場所だ。


 刑場には、刑を執行したり、死体を処理する《刑吏けいり》が必要になるんだけれど、そういう人々がこの地域に住みついていった。で、ここが面白いんだが、刑吏はその仕事柄、仮面をつけて素顔を見せないようにしなければならなかったんだ。法律でそう決められていたんだな。だからこの地域はいつしか仮面のひとばかりが住むようになった。それで《仮屋》と呼ばれるようになり、さらには死の穢れとか刑へのおそれから《入ってはいけない場所》と言われるようになったんだ。


 ところが家康が死んだ後、刑場が廃止になった。刑場がなくなったんだから刑吏たちは出て行かなきゃいけない。でも嫌がってね。結局彼らは住まいを移さなかった。しかも、相変わらず人魂や幽霊の目撃談は絶えないわけだ。なんとかしてほしいと、時の藩主が大々的にアイデアを募集した。そこにやって来たのが、双観そうかんという呪術師だった。彼は蘆屋道満あしやどうまんの子孫を自称していて、確かに怪しげな術をいくつも使ったらしい。蘆屋道満というのはわかるかな? あの有名な安倍晴明あべのせいめいのライバルだった陰陽師だ。


 双観のアイデアは、仮屋を呪術集落にすることだった。穢れているし、怨念も渦巻いているし、呪術に最適な場所だというわけだな。募集した手前、藩主も引くに引けなくなり、なるようになれと許可を与えた。


 結果的に、双観はうまくやった。彼の実力は本物で、仮屋の評判は各地に知れ渡っていったようだ。時の権力者とも交流を持ち、裏の仕事を請け負っていたと記録されている。


 やがて名うての呪術師たちが全国から移住してくる。江戸中期には、北は東北から南は琉球まで、さまざまな呪術師が一堂に会していた。集落は12の家に分かれ、それぞれが別々の呪術を担当するようになっていた。中でも《猿》は江戸の「監獄島かんごくとう」と呼ばれる場所で修行を積んだ呪術師がおこした家だったらしい。ほかの家が医術や占術も扱っていたのに対して《猿》は殺し専門の集団で、もっとも恐れられていたようだ。


 * * *


「その殺しの道具に使われたのが、ヒイミさまなんだろうとぼくは思う。記録にはこうあるからね。《猿なる者ども、異形いぎょうなる白き醜女しこめを用いたり》って」


 書物をデスクに置くと、森繁はフラスコからコーヒーを注ぎ足して革張りのチェアに腰掛けた。ギシッと音がする。


「…ともあれ、江戸時代に暗躍あんやくしていた呪殺集団が現代に蘇ったわけだ。最初に話を聞いたときは、どうせ他愛もない都市伝説だろうと思っていたけど、いやぁ、大当たりだったね」

「大当たり、ですか」


 志緒理が森繁を見る。


「そうだよ。知ってるかな? 都市伝説っていうのはたいてい、歴史的裏付けなんかまったく無視した作り話なんだ。デマなんだよ、ほとんどは。だけど、これは違う。ヒイミさまには文化がある」


 森繁はぴょんと跳ねるように立ち上がると、うっとりした表情で中空を見た。


「でも、だからこそ、弱点もある」


 結花の隣に座っていた里桜が、ガバッと立ち上がって森繁を凝視する。


「弱点?」


 森繁は里桜の目を真っ直ぐ見返すと、強くうなずいた。


「うん。要するに《猿》は呪いのビジネスをやっていたわけだ。でもビジネスである以上、呪って終わりなわけがない。わかるかい。毒を扱う者は、必ず解毒剤を持っている」

「呪いを解く方法は、必ずあると?」

「ある。だから諦めずにがんばるんだ」


 森繁がゆっくりと近づいて、結花と志緒理を交互に見る。


「ただ、調べる時間が少なすぎてね。もう少し霊的に突っ込んだことを知る必要がある。明日、ぼくの知り合いの霊能者を紹介するよ。いいね」


 うむを言わせぬ森繁の言葉に、結花たち3人はうなずくしかなかった。


「じゃ、そういうことで。明日の朝、10時に集合しよう」


 森繁が3人の顔を見回して言った。


「そうだな。どこだったらわかりやすいだろう。渋谷ハチ公前とか?」

「いえ」


 すぐに里桜が首を横に振る。


「あんまり人が多いところは、いざというとき大変なことになるので、避けたいのが正直なところです」

「なるほど。ヒイミさまが現れるかもしれないからね。しかし、東京で人の少ないところというのは難問だなぁ」

「そうなんですよね」


 志緒理がメガネを拭く。


「だから、移動手段も車にしたし…」

「ふうむ」


 森繁が腕を組んで考え込む。

 時計の針がコチコチと時を刻むのを聞きながら、結花はぼんやりとコーヒーを見つめた。

 確かに、いつヒイミさまに襲われるかわからない状況では、自由に動くことは難しい。

 さっき車で少し通り過ぎただけでも、東京の人の多さはよくわかった。


「それで、できればなんですけど…」


 志緒理がメガネをかけ直す。


「なにかな」

「待ち合わせも、そのあとのお話も、大学の中にしたほうがいいように思うんです」

「ああ、なるほど。夏休みで学生はほとんど来ていないから、悪くない考えかもしれないね」

「可能ですか?」

「もちろん。それに…そうだ」


 森繁はいま思い出したというように、ポンと手を打った。


「この研究棟なら階段も複数あるし、エレベーターも東と西で分かれているから、いざというとき逃げやすいかもしれないな。それに、ここならビデオに……いろいろ……うん、よし…先生にOKを…なら……いいな」


 最後の方はぶつぶつと独り言のようにつぶやいていたので結花にはよく聞こえなかったが、満足げに何度もうなずいているのを見ると、どうやら森繁は志緒理の提案を受け入れたようだ。


「じゃあ、明日の10時。今日と同じところから入ればいいですか」


 自分の世界に入り込んでしまった森繁に、志緒理がちょっと大きめに声をかける。森繁はハッとしたように3人を振り返ると、とってつけたような笑顔で答えた。


「うん。守衛さんには伝えておくよ」


(続く)

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