第14話 真相②

 ◇ 15 ◇


 助手席に座った私は、志緒理さんが慎重にアクセルペダルを踏んで車を発進させるのを横目に見ながら、陸上部のトークグループに《見ちゃダメ》と書き込んだ。

 後部座席を振り返ると運転席の真後ろに、里桜がちょこんと腰を下ろしている。

 私の視線に気づいて、里桜がふいっと私を見た。


「結花、なに?」

「ああ、うん。移動している間に、いろいろ聞いておこうかなと思って。わからないことが多すぎるっていうか」

「そうだよね。あたしも話さなきゃとは思ってた」


「じゃあ、教えて欲しいんだけど…まず、最短で1時間って言っていたよね。あれはどういうこと?」

「そのまんまの意味よ。呪われるまでの制限時間。ヒイミさまは最終的には実体が現れるの。つまり、ひとりしかいないのよ。ひとりしかいないってことは、複数の場所に同時に出ることはない」


「…え、ごめん。まだよくわからない」

「たとえば、同じ場所で複数のひとがヒイミさまを見たら、みんな同時に呪われることになるよね。でも実際は、同時に複数の場所にヒイミさまが来ることはない。じゃあ、どうなると思う?」


 私は即答できずに少し考え込んだ。


 ヒイミさまは……1時間後に呪いに来る……でも複数の場所に同時にはいられないから…?


「タイムラグ。順番ね」


 答えたのは志緒理さんだった。


「そういうことです。ヒイミさまの呪いには順番がある…。見た順番なのか、見られた順番なのかは…あたしも詳しいことはまだわからない。でも…10人が呪われたのなら、最短で1時間後、最長で10時間後に、ヒイミさまが来る」

「そういうことか…」


 私もようやく理解できた。里桜がそんな私を見て肩をすくめる。


「次の質問は?」

「えっと…そうそう。里桜はどうして私の家に来ようと思ったの? なんで仮面をしてたの? なんで火をつけたらヒイミさまが消えたの? っていうかそもそも、なんで里桜はそんなにヒイミさまに詳しいの?」


 私が矢継ぎ早に言うと、里桜は「まあ、もっともな疑問よね」とうなずいてから、

「──あ、そこの信号を左に行った方が近いです」

 と、指をさして志緒理さんに教える。志緒理さんは「あい、了解」と返事をしてウィンカーを出した。


「で、最初の質問だけど、実は結花に…っていうか、結花たちにって言うべきかな…。まあとにかく、あんたにヒイミさまの危険が迫っているのがわかったの」

「えっ、どうして?」


 私は驚いて、思わず大きな声を出した。

 里桜はすぐには答えず、スマホの画面をじっと見つめていた。それから内緒話でも切り出すみたいに「あたし、付き合ってた人がいて…」と言った。


 ──ここでなんで朔太郎先輩のことが出てくるのよ。


 私はそう思ったが、口には出さないでおいた。

 志緒理さんも、あえてなにも言わずにハンドルを握り続けている。


「結花も知っている人よ。陸上部の野村朔太郎って言うんだけど」


 里桜が私をチラリと見る。

 私は、なんと答えるべきか逡巡した。驚いてみせるべきか、スマートに流すべきか…。一瞬の戸惑い。出てきたのは微妙な生返事だった。


「ああ、うん」

「…あれ? もしかして知ってた?」


 鋭い。


「えっと、うん」


 私は志緒理さんと顔を見合わせた。

 志緒理さんが、うん、と小さくうなずいてみせたので、私は里桜に告別式へ行って先輩の部屋に入ったことと、志緒理さんと先輩の関係を簡単に説明した。

 里桜は目を丸くして、両手で頬を覆った。


「…朔太郎さんから、幼馴染みがいることは聞いていました。それが、あなただったんですね」

「うん。志緒理っていうの。佐々木志緒理。こんな形で会うことになるなんて思わなかったけど…よろしくね。里桜ちゃん」


 ちらりと後部座席を振り向いて、志緒理さんが軽く頭を下げる。里桜もぺこりとお辞儀をし返した。

 そんな二人を見比べながら、私が話の先をうながす。


「──それで、私に危険が迫っていたことと、先輩と里桜が付き合っていたことと、どう関係があるの?」

「そうそう。そうだったね」


 里桜がうなずいて、スマホのロック画面を解除した。それを私に手渡してくる。


「これを見て」


 画面にはLINEが立ち上がっており、トークリストの一番上に「野村朔太郎」の文字が見えた。


「…見ていいの?」

「彼とあたしのことを知っているなら、細かく説明するより見たほうが早いから」


 里桜がそう言うので、私は秘密を盗み見るような気分でトークを開いた。

 一番下に、今日の日付で動画がある。


「…これ」


 私はハッと里桜を見た。


「わかるわよね。それがなんなのか」


 こくり、と私がうなずく。


「あたしは、この動画を送ったのが、彼ではないことを知ってる。ヒイミさまを拡散しようとしている奴らがいることもね。だから、きっとあたし以外にも送られているだろうって思ったの。たとえば陸上部の子たちとかね」


 それで、私たちにヒイミさまの危険が迫っているのを察知したというわけか。


「止めなきゃと思った。でも住所がわかっているのは、生徒手帳を落とした結花だけだった。だから、ね。まあもっとも、ほかの子たちは、あたしがなにをしようが受け入れなかったかもしれないけど」


 クラスでの里桜の扱われかたを考えれば、あり得る話だと私も思った。


「これで答えになってるかな。結花の家に行った理由」

「…うん。でも…ヒイミさまを拡散しようとしているひとたちがいるって、どういうことなの」


 私が聞くと、里桜はふぅとため息をついた。


「ひとつ答えると、ひとつ疑問が増えるって感じね」

「あ、ごめん」

「ううん。わかってる。仕方ないことだと思う。だからまずは、順を追って説明したほうがいいと思うんだ。長くなるけど、いいかな」

「わかった」


 里桜は座席に深く腰掛け直して膝の上で手を組み、すぅっと大きく息を吸った。


「あたしが住んでいる仮屋町が嫌われているのには、理由があるの」


 低く、静かな声が車内に響く。


「仮屋町は、江戸時代に開かれた集落らしいんだけど、ある特殊な仕事を請け負うひとたちが住んでいたの」

「特殊な仕事…?」

「あたしも親から聞いただけで詳しいことはわからないんだけど、呪術ってわかる?」

「わかるよ。ひとを呪って不幸にしたり殺したりする…怪しい魔法みたいな」

「そう。それをやっていたの。仮屋町のひとたちは」


 私は、白装束をまとった仮面の集団が、かがり火をいて呪詛じゅその言葉を繰り返す光景を想像した。

 呪いを生業なりわいとする集落。闇に生きる死の集団。


「…そんな仕事があったんだ」

「…いまでは考えられないけど、当時は存在していたらしいわ。わら人形、生き霊、蠱毒こどく…。いろんな家が、いろんな呪いを扱っていたみたい」

「非科学的…」


 ゆっくりとブレーキを踏みながら志緒理さんがつぶやいた。


「そうですね、あたしもそう思います。だけど、呪いは確かにあったし、その中にヒイミさまもいたんです…」


 里桜の言葉に志緒理さんはなにも答えなかった。じっと赤信号を見つめて、目を細めている。


「当時は死を扱う仕事はけがれているってされていたんだけど、その穢れを避けるために、仮面が使われた…。異様な光景だったでしょうね。右も左も仮面のひとだらけなんだから」

「仮屋という名称はそこから来ているのね」


 志緒理さんがうなずきながら言った。


「おそらくそうだと思います。でも仮面をしているということは、イコール、穢れのある仕事をしているってことだから、周囲からいい顔はされなかった」

「それで、いまでも嫌われているわけ?」


 私の問いに、里桜がうなずく。


「そう。まあ、無理はないわよね。あたしだって、気味が悪いわ」

「──いまでも、呪術を仕事にしているの?」


 青信号になり、車を発進させながら志緒理さんが聞いた。


「…すたれたと聞いています。うちの親は普通のサラリーマンですし」

「そうなんだ」

「でも、うちの親が言うには、20年くらい前に、過激なひとたちが出てきたみたいで」

「過激、というと?」


 志緒理さんがバックミラー越しに里桜を見た。

 里桜は顎に手を当て、どう答えるべきか考えているふうだったが、なぜか気まずそうな表情をして、

「…24日の噂って、聞いたことありますか」

 とささやくように言った。

「それって、24日の夜は外に出ちゃいけないってやつ?」

 志緒理さんの代わりに私が答える。

「そう。それは、偶然生まれたものじゃないらしいの」

「どういうこと?」

「…仮屋町は呪いを請け負うひとたちが住んでいた。でも、現代になるにつれて廃れていった。わかるでしょ。いまは、呪いなんて非科学的なものを信じるひとは多くない。お客さんが減ってしまったの」


 わかるような気がする。私は里桜の言葉に小さくうなずいた。


「だから、みんな仕事を変えていった。よくある話。生きていくために、いままでの生き方を捨てた」

「普通の町になっていったのね」


 志緒理さんが言う。


「そうです。だけど…20年くらい前、突然、24日の夜は外に出るなって言われたらしいんです」

「誰に?」


「…《猿》と言われる家に、です」


「《猿》?」

「さっき言ったみたいに、仮屋町にはいろんな呪いを生業にする家がありました。大きく分けると、12の家があったと言われています」

「12…ああ、干支(えと)かしら」

「はい。12の家は干支にちなんで呼ばれていました。その中の《猿》は、ヒイミさまを扱う家で。もちろん彼らも、違う仕事に就いていたはずです。でも…20年前に復活させた」

「なぜ?」


 志緒理さんの言葉に、里桜は少し間を取った。

 対向車がものすごいスピードですれ違っていく。そのエンジン音が聞こえなくなる頃ようやく、吐き捨てるように里桜が言った。

「復讐」

 忌々いまいましい、という気持ちがにじみ出ているような言い方だった。

「仮屋町は普通の町になろうとしていました。でも周りからの差別は残ったままだった」

「《猿》はそれが不満だった?」

 志緒理さんが聞く。

「はい…。不当な差別は恨みを生む。彼らは世の中への復讐を企んだのです。ヒイミさまの呪いを拡散して、世の中に自分たちの力を知らしめようと…。それで、24日だけヒイミさまを解放することにした…」

「うそでしょ…」

 私は思わずそう漏らした。

「なんで24日?」

「そんなこと、あたしにわかるわけないでしょ。問題はそこじゃなくて…。目的が復讐だから、呪いの拡散に制限をかける気がないってことなの。いい? どんなに嫌われている場所でも、なにかの用事でやってくる外の人間はいるわ。たとえばバスとかタクシー。そういうのに乗ったひとが24日の夜、うっかりヒイミさまを見てしまったらどうなると思う? そのひとたちはもちろん死ぬでしょうね。でも死ぬ直前、近しい誰かが、現れたヒイミさまを見てしまったら? そのひともまた死ぬわ」


 そこまで一気にまくしたてると、里桜はひとつ息をついた。


「あたしの両親もそうだけど、ほかの11の家は《猿》を止めようとした。呪いを広めるなんて…そんなことをしたら、仮屋町への差別がより強まっていくだけだって。でも《猿》は聞く耳を持たなかった。結局、呪いを捨てた11の家には《猿》を止める力はなかったのね。彼らがどうやってヒイミさまを操っているのかわからなかったから、止めようがなかったの。それで、警告を出すことにした。それが、あの噂」


 私はごくりとつばを飲み込んだ。

 ──24日の夜、外に出てはいけない。

 この都市伝説に、そんな背景があったなんて…。


「11の家は、ヒイミさまをなんとかできないか、長い間研究をしたらしいわ。もちろん、たくさんの犠牲を払ってね…。その結果、ようやく3つのことがわかったの。ひとつは、ヒイミさまは仮面をしたひとのことを呪えないってこと。もうひとつが、ヒイミさまは水の中から現れるということ。最後が、火に弱いってこと」


 私はお風呂場から現れたヒイミさまを思い出した。

 そして、仮面をつけて火をかざした里桜の姿も。


「もしかして、いつも仮面を持ち歩いてるのも、それが理由?」


 私の質問に、里桜は肩をすくめる。


「11の家ではたくさんのひとが呪われたから…もしもの用心のために、ね。うちはまだ呪われていないけど、全滅した家もある」

「そんな…」

「いまは《猿》の家以外、ほとんど町に残っていないわ。あたしの両親は、最後まで説得しようとがんばってた。でも、とうとう諦めて…。3月に引っ越したの。幸い父の会社は東京に支社があったから…」

「だけど、あなたは帰ってきた」


 志緒理さんが再び、バックミラー越しに里桜を見た。


「ご両親も一緒なの?」

「いいえ。あたしひとりです」

「よっぽどの覚悟じゃない? それ」

「もちろんそうです。でも、一番大切な人が24日に仮屋町へ行こうとしている以上、帰って来ざるを得なかった」

「えっ」


 志緒理さんが急ブレーキを踏んだ。

 ハザードランプを付けて路肩に車を寄せる。


「どういうこと、それ?」


 険しい顔で里桜を振り返る。


「朔太郎さんは…呪いとか都市伝説が、好きだった。それで、真相を確かめようと思ったみたいで……」

「それを止めるために、帰ってきたの?」


 私がそう尋ねると、里桜は暗い表情でうなずいた。


「彼にヒイミさまのことや、仮屋町の過去について話したことはなかった。いくらなんでもそんなことを打ち明ければ、嫌われると思ったから…。あたしはなにも知らないふりをして、彼を止める必要があったの。それであの日の夜、あたしは彼とずっと一緒にいて、監視するつもりだった」


 24日の放課後のことが、私の頭にフラッシュバックした。

 先輩と里桜が笑い合って一緒に帰っていったあの光景…。里桜のあの笑顔の裏に、そんな思いが隠されていたなんて、まったく気づかなかった。


「彼は、どうしても仮屋町に行きたいって言ったわ。だから、あたしの家に来てもらった…。あたし、彼に言ったわ。《ずっと一緒にいたい》《だから都市伝説を確かめるなんて、こわいことやめて》って。彼、わかったって。あたしはそれを信じた」

「でも、先輩は外に出てしまった…」


 里桜の目に涙がたまっていく。


「信じたあたしがバカだったのかな? 嫌な予感がして目が覚めたの。まだ暗かった。彼はいなくなってて…あたし、急いで外に出た。そしたら、なにが起きたと思う?」

「先輩がヒイミさまを撮っていた?」

「ちがう」

 里桜が震える手を口元に当てる。

「彼は、仮面の男たちに囲まれていた。結花を追いかけた、あいつらよ。あいつらが《猿》なの」

 私は、木塀きべいの向こうから現れた4人の男たちを思い出した。

「あいつらは、彼のスマホを奪おうとしていた。あたし、彼を助けようとしたけど…あいつらに押さえつけられてなにも出来なかった。あいつらは…彼からスマホを奪うと、指紋認証でロックを解除して、その場でパスコードを全部変えていたわ。あのときは、どうしてそんなことをするのかわからなかったけど、きっと彼が動画を撮ったのを知っていたのね。動画を拡散するためにはパスコードが邪魔になる。だから…」

「ちょ、ちょっと待って」


 私は手を上げて里桜の言葉を遮った。


「じゃあ、あの動画は《猿》の家のひとたちが、呪いを広めるためにわざと送っているの?」

「そう! あいつらが彼を殺したようなものなのよ!」


 叫ぶようにして里桜が言った。彼女にしては珍しく、ヒステリックな声だった。


「あたしはなにもできなかった。家に連れていかれて監禁されたから。彼がヒイミさまを見たのかどうかも、わからずじまい。でも翌朝…彼が…ああなって……ああっ」


 里桜が唇を震わせてうつむく。

 それから先は言葉にならなかった。

 車内に沈黙が訪れ、ハザードランプのチカチカという音がやけにうるさく聞こえた。


 私は妙に納得していた。

 いままでのことが全部つながったと思った。


 世の中への復讐を企むひとたちが仮屋町にいて…。そのひとたちはヒイミさまの呪いを不特定多数に拡散したかった。だから24日の夜だけ解放していたけど、もっと効率のよい方法があることに気づいた…。それが、先輩の撮った動画を、交友関係にばらまくこと。


 どうして24日なのか…。どうして自分で撮らないのかはわからないけれど…呪いを拡散しようとするいびつな悪意を持った人間に、理屈や論理を期待するのが間違っているのかもしれない。


 ──呪いの無差別攻撃。

 不意にそんなフレーズが思い浮かんだ。


 ジメッとした空気が車内を包みこんでいた。

 志緒理さんが運転席の窓を全開にしていく。強い風が吹き込んで、志緒理さんの髪が大きく暴れる。


「次はわたしの番ね」


 志緒理さんが髪を右手で押さえた。

 言われてスマホの時刻を見ると、あと10数分で13時になろうとしている。

 私がヒイミさまに襲われたのが、12時過ぎ。志緒理さんはそのときにヒイミさまを見たのだから、最短で1時間後…つまり13時以降は、いつ襲われてもおかしくない。

 風の音に消え入りそうな声で、里桜が言った。


「…はさせないから」

「え?」


 私が聞き返すと、今度はハッキリと。


「そうは、させない」


(続く)

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