第12話 結花②
◇ 13 ◇
「おまたせ。じゃあ、行こうか」
志緒理さんが車の運転席に座りながら言った。
私は助手席で頭を下げる。
私の様子を心配した志緒理さんが、家まで送ってくれることになったのだ。
「すみません。ありがとうございます」
「いいのよ。ひとりで帰らせるわけにはいかないわ。また幻覚を見たら困るでしょ」
幻覚という言葉に、少しだけ心がざわついた。
本当に幻覚だったのだろうか。
あの音。あの臭い。あの顔…。
すべてを幻覚で片付けるにしては、あまりにもリアリティがあった。もちろん、すぐそばにいたはずの志緒理さんが見ていないというのだから、ほかに説明がつかないけれど…。
志緒理さんがパワーボタンを押してエンジンを始動すると、軽い電子音がした。小刻みな振動がシートから伝わってくる。
「静かですね」
私がつぶやいた。志緒理さんは「ね」と相づちを打つ。
「結花ちゃんのお家は、ハイブリッドカーじゃないの?」
「父は、燃費重視なんて邪道だって言って、ずっと古い車に乗ってます」
「あー、うちの大学の先生でも、そういうひといる」
「気が合いそうですね、そのひとと」
「ね」
ふふ、とほほえみながら、志緒理さんが車を発進させる。
滑るような動きに身を任せた。車窓を流れる街路樹を見ていると、さっきの出来事が、本当に幻覚や夢だったような気がしてくる。
あれはなんだったのだろう。
なぜあのとき、ヒイミさまは私を殺さなかったのだろう。
「それで、ヒイミさまだっけ」
私の考えを読んだかのように、志緒理さんが言った。
私は、ゆっくり大きくうなずいた。
「さっきの結花ちゃんの話だと、朔太郎も結花ちゃんも…そのヒイミさまっていうお化けに呪われたってこと?」
「はい」
「ふうん。ヒイミさま、ねえ」
前方の信号が黄色になった。志緒理さんがブレーキを踏んで車を減速させていく。
「毎月24日の夜は、出歩いちゃいけない。ヒイミさまを見てしまうから。ヒイミさまを見たら呪われてしまうのだ、か。まあ、いかにも都市伝説って感じだよね」
車が完全に停止する。
「そんな中、朔太郎が24日の夜に自殺した。それも、あり得ない方法で。それで結花ちゃんは、もしかしてと思ったわけだ」
「はい。でも、先輩は24日の噂なんてデマだって言っていたし、確信があったわけじゃありません。ただ、亡くなった場所が仮屋町だったんで…」
「ああ。それで、なにかあったんじゃないか、って?」
志緒理さんがチラリと私を見た。
「…はい。実はあの日の放課後、私…先輩と里桜さんが一緒に帰っていくのを見てて」
「えっと、待って、ごめん。里桜さんって、元カノの里桜さん?」
「あ、はい。元カノだったってのは、さっき知りましたけど…」
「え、あの子。戻ってきてるの? ってか知り合いだったの?」
「はい。7月の頭に転校してきたんです」
私がそう言うと、志緒理さんは目を丸くして叫んだ。
「え、ええっ? えええ!」
その直後、信号が青になったが、志緒理さんはアクセルを踏むのを忘れ、両手で頭を抱えて呆然としていた。後ろからクラクションを鳴らされ、ようやく我に返って「はいはい」と車を発進させる。
交差点を過ぎたあたりで「オーマイガー」とつぶやくのが聞こえた。
「はー、謎すぎるね。でも、まあいいや。…ん、あれ? よくないな。朔太郎とあの子が一緒に帰ったのと、仮屋町に何の関係があるんだっけ?」
「えっと、それは…」
私は一瞬、言うべきか迷った。きっと先輩は、あの子の住んでいる場所を教えなかったのだ。それを私が明かしてしまっていいのだろうか。そう思ったからだった。
私の戸惑いを察して、志緒理さんが言った。
「あれ、もしかして、あの子の家って仮屋町?」「えっ」
今度は私が驚く番だった。
「どうしてわかったんですか」
「え? いや、話の流れからして、そうかなって思っただけで」
志緒理さんのあっけらかんとした様子に、私は拍子抜けした。
「全然嫌そうじゃないんですね」
「ああ、わたし、ほら。古い伝統とか、そういうのダメで東京に逃げたクチだから」
「そういうひともいるんですね」
「いるよ。みんながみんな、嫌ってるわけじゃない。朔太郎もそうだったでしょ」
「はい」
「でもそっか。あの子があの町の、ねぇ」
志緒理さんはひとりで納得するように、うんうんとうなずいた。
「で、ごめん。話、途中になっちゃったね。朔太郎とあの子が一緒に帰ったのを見て、それでどうしたんだっけ」
「はい。それで私…里桜さんならなにか知っているんじゃないかって思って、昨日、彼女の家に行ったんです。そしたら、里桜さんが言うんです。先輩はヒイミさまを見てしまった、って」
「…なるほど」
「私、もっと詳しいことを教えてって言いました。そうしたら、突然、仮面の男たちに追いかけられて…」
「ええっ、追いかけられた?」
「はい。大橋のところで、引き返して行きましたけど…」
「なにそれ。やばくない? あれかな。詳しいことを知られたくなかった、とか?」
「…どうなんでしょう。昨日は逃げるのに必死で、そこまで考えてませんでしたけど…でも、言われてみればそうかもしれません」
そうだ。あの町に降り立った瞬間から、あちこちから視線を感じていた。ずっと監視されていたのだとすれば、あのタイミングで追いかけられたことに、意味があるはず…。
「確かにヒイミさまって、なにかがありそうだね」
ハンドルを握る手にギュッと力を込めて、志緒理さんが言った。
「でも、まだわからないことが多すぎる。あのね。私、大学で化学を専攻しているの。まあ、だからってわけでもないけど、オカルト的なことは、ひとまず疑っちゃう性格なのよ」
「…はい」
「朔太郎があんなことになったのは、すごく…辛いけど、それがヒイミさまの呪いのせいだって証拠はなにもない。朔太郎が送ってきたっていう動画にも、殺される瞬間は映っていなかったんだよね?」
「はい。でも、ヒイミさまは映っていました」
「うん。でも証明にはならない」
「私の前にも現れたんですよ」
「幻覚でしょ?」
「違います…! あの音も臭いも、ハッキリ!」
「じゃあどうして…助かったの?」
「……」
「見たら呪われるんだったら、どうして?」
それは私も思ったけれど…。
「わかりません…。でも、私…うそを言っているわけじゃ」
私は言葉に詰まり、それ以上なにも言えなかった。
志緒理さんは「うん」と小さくうなずいて、続ける。
「もちろん、結花ちゃんがうそ言ってるなんて思ってないよ。朔太郎があの町で変な死に方したのは確かだし、結花ちゃんがあの町で追いかけられたのも、確かなんだよね。でもそれなら、まず先に疑うべきは、あの町のひとたちじゃない?」
「…それって、朔太郎先輩は、あの町のひとたちに殺されたってことですか?」
「ヒイミさまっていうのがなんなのかはわからないよ。お化けなのか、妖怪なのか。もしかしたらあの町の地下に巨大な実験施設とかがあって、そこで生み出された変な生き物なのかもしれない。で、24日だけお外を散歩するルールになってて、その現場を見られないように妙な都市伝説を流行らせたのかもしれない。にもかかわらず見に来た人間は、町のひとに殺される」
「…そんなの、アメリカのテレビドラマみたい」
「わたしからしたら、結花ちゃんの言っていることも同じよ? そのヒイミさまが直接手を下している現場を見ないことには、いま言った仮説のほうが、まだ理解できる」
そう言われると、そんな気がするのも事実だった。
さっき見たのは、やはり幻覚だったのだろうか。
ちょうど12時になろうかという頃、車が私の家に到着した。
家には誰もいなかったが、キッチンのフライパンにペペロンチーノが作り置きされていた。母親が作っておいてくれたようだ。
「ちょうどお昼ですし、一緒にいかがですか」
私は送ってくれたお礼のつもりで、志緒理さんに言った。
志緒理さんは「そんなの、悪いよ」と遠慮したが、「私が陸上部なもんで、母ったらいつも作る量が多いんです。もし、嫌じゃなかったらホントに、どうぞ」
そう言うと「じゃあ、ありがたくいただこうかな」と靴を脱いでリビングに上がってくれた。
「じゃあ、すぐ用意するので、テレビでも見ててください」
「うん。ありがとう」
リモコンでテレビの電源を入れると、私はキッチンに向かった。
コンロの火をつけ、ペペロンチーノに熱を入れる。その間に食器棚から大皿を2枚。すぐにジュウッと音が上がった。
不意に、麺の中で、なにかが動いた。
ぎょっとして手が止まる。
菜箸で麺をかき分けていくと、突然、細くて骨張った手が、菜箸をガシッとつかんだ。
「ああっ」
私は思わず、フライパンと菜箸を放り投げてしまった。
リビングから志緒理さんが駆け込んでくる。
「どうしたの! って、うわ、大惨事!」
志緒理さんがキッチンの床に飛び散ったペペロンチーノを見て、目を丸くする。私は、いま起きたことを説明しようとした。
そのときだった。
お風呂場の方から、ザバーッと水の流れる音がした。
私と志緒理さんはぎょっとして、顔を見合わせる。
「いまの…なに?」
志緒理さんが小声で言った。
「誰か、お風呂に入ってたの?」
確かにそんな音だった。勢いよくお風呂から上がったときのような音…。
だけど、そんなはずはないのだ。この時間にお風呂に入る家族なんか、誰もいない。
私は志緒理さんの目を見て、首を横に振った。
志緒理さんの表情が険しくなる。
「確かめよう」
ぎゅっと私の手を握ると、志緒理さんは音のした方へと向かった。
廊下に出たところで、ぷうんと魚が腐ったような臭いがした。
うっ、と志緒理さんが鼻を押さえたところを見ると、今度は幻覚ではないようだ。
「あっ」
私はお風呂場の曇りガラスを指さした。
白いなにかが見える。
先輩の家で見た、玄関脇の人影を思い出した。
「…ヒイミさまだ」
そう口にした瞬間、バキバキッと音がして、曇りガラスが粉々に割れた。
その向こうから出てきたのは、腕が4本あり、首を抱えた白い女。
「いいいっ!」
志緒理さんがのけぞった。
私は、声が出せなかった。
いや、声だけではない。
指一本、動かなかった。
「結花ちゃん、逃げよう!」
志緒理さんが私の手を引っ張って玄関へ向かおうとする。
けれども私は脚に力が入らない。
棒のように固まってしまって、なにもできなかった。
「結花ちゃん! 結花ちゃんってば!」
志緒理さんが私の身体を揺らす。
「動いて! 動かないと!」
私だって動きたい。でも、どうにもならないのだ。
ヒイミさまがニタリと笑い、2本の腕を私に伸ばした。
私の両手が、ゼンマイ仕掛けの人形のように、ぎこちなく持ち上がっていく。
ああ、ダメだ、このまま、死ぬ。
そのときだった。
突然、黒と白の仮面をかぶった少女が、玄関から飛び込んできた。
「ええええい!」
少女は右手に握ったライターを前に突き出しながら、ヒイミさまに突進する。
一瞬、ヒイミさまが怯(ひる)んだ。
その隙を逃さず、少女がライターに火をつける。
シュボッと音がして、ヒイミさまの髪が焦げた。
身体をのけぞらせ、ヒイミさまが
「ぐげえっ」
追い打ちをかけるように、少女はぐいっとライターの火を突き出す。
「
ヒイミさまがお風呂場に逃げ戻り、浴槽の残り湯に飛び込んだ。
水しぶきが派手に舞い上がる。
その瞬間、私の身体に自由が戻った。
「はぁッ…はぁッ…はぁッ…」
私はひざまずいて、肩を上下させた。
「ひとまず、これで大丈夫よ」
私の肩に手を置いて、少女が仮面を外した。
そこにいたのは…。
「里桜さん…」
どうして彼女が私の家にいるのか…。
私には、わけがわからなかった。
(続く)
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