第6話 ヒイミさま

 ◇ 8 ◇


 目が覚めると、結花はふかふかのベッドの上にいた。

 ここは、どこだろう。

 見知らぬ部屋だった。

 青と黒をベースにした落ち着いた配色で家具が統一されている。

 窓外の景色からすると2階のようだけれど…。


「あ、気がついた?」


 ガチャリとドアが開いて、女性が顔を覗かせた。

 さきほど案内してくれた、ロングヘアの女性だった。

「急に倒れたから、びっくりしたよ。大丈夫?」

「あ、はい。すみませんでした」

 ──私、気絶しちゃったんだ。

 結花は身体を起こした。

「まあ、死んだ人の目が開いちゃったら、驚くよね」

「はあ…」

「滅多にないことだけど、筋肉が固まって、まぶたが開いちゃったみたい」

「そうなんですね」

「にしても、タイミングが最悪だけど」

 結花はなんと答えるべきかわからず、顔を伏せた。確かにすごいタイミングだった。まるで私が覗き込むのを待っていたかのよう…。

 ううん。そんなこと、あるわけない。ただの偶然に決まっている。

 でも…。

 まぶたが開いただけならともかく、私と目が合ったのは……?

 あれも偶然だろうか。それとも…。

 ──それとも?

 結花はぶん、ぶんと首を振り、それ以上考えるのをやめた。

 下の階からお経を読む声が聞こえてくる。それでようやく、結花はここが先輩の家の2階なのだと気づいた。

「それにしても、まさか朔太郎が、あんなふうになるなんてね」

 女性がポツリと言った。

 朔太郎、という言い方が気になって、結花は思わずたずねた。

「あの…先輩とは、どういった…?」

 女性は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにニコリとして、

「自己紹介がまだだったね。わたしは朔太郎の幼馴染みで、志緒理しおりっていうの。朔太郎とはふたつ違い」と言ってお辞儀をした。

「ということは、大学生ですか?」

「うん。1年。学校は東京なんだけど、いま夏休みで、ちょうど帰ってきてたんだ。それで今日はお手伝いを、ね。この家のひとたちとは家族ぐるみのつきあいだから、放っておけなくて…」

「そうだったんですね。あの、私は伊勢崎結花といいます。陸上部の後輩で…先輩とは毎日、バスが一緒で…その……」

 私の好きな人でした。そう続けたかった。

 でも、幼馴染みの女性にそう言えるほどの勇気を結花は持っていなかった。

 志緒理はその沈黙を、悲しみで胸がいっぱいになったため、と解釈したようだ。正座をして深々と頭を下げた。

「生前は、朔太郎と仲良くしてくれていたみたいね。ご家族の代わりにお礼を言わせて。ありがとう」

「そんな。こちらこそお世話になりっぱなしで……」

 慌てて結花も頭を下げる。志緒理はふふっと寂しげに笑って、部屋の中を懐かしそうに見回した。

「ここは朔太郎の部屋だったの。あいつ、あんな顔してホラーとか好きで……。あ、顔は関係ないか」

 言われてみれば、壁にはホラー映画のポスターがいくつも貼られている。私も好きな映画ばかりだった。やっぱり趣味が合っていたんだと思うと、少し嬉しかった。

 本棚にも百物語や実話怪談系の単行本が並んでいる。読んだことのある本もあれば、見たことのないものもあった。

 いつか…こういう本の話もできたらよかったなぁ。

 感慨深く本棚を眺めていくと、中段の左端にガラスのフォトフレームが飾られているのに気づいた。

 それは、先輩と里桜のツーショット写真だった。

「その子は、元カノだね」

 志緒理が結花の視線に気づいて言った。

「元、カノ…」

 やっぱり付き合っていたんだ。でも「元」ということはもう別れたということだろうか。

 結花の考えを先読みしたように、志緒理が説明した。

「その子のおうちが東京に引っ越すっていうんで、泣く泣く別れたのよ。まあ、朔太郎がそう言っていたのを聞いただけだけど」

「そうなんですね」

 思わぬ形で、先輩と里桜の関係を知ってしまった。

 もともと付き合っていて、しかも嫌いになって別れたのではないなら、おととい二人が見せた親しげな様子も納得できる。

「お似合いですね……」

 結花は、ふとそんなことを言っていた。

 自分でも驚いた。でも、見れば見るほど、本当にそう感じる。

 志緒理は、否定するでも肯定するでもなく「その子にも朔太郎のこと、連絡してあげないと…」とつぶやいた。

「え?」

「だって、元カレが自殺したのなら、やっぱり知りたいじゃない?」

 どうだろう。なんて答えるべきか…。

 だって、知りたいもなにも、里桜はとっくに知っている。というよりも、死ぬ直前まで一緒にいた。

 そこまで考えて、あ、そうかと思った。

 志緒理は大学が休みになったから戻ってきたのだ。里桜が転校してきたことを知っているはずがない。

 そのとき階下から「志緒理さん、ちょっとおねがい」という声が聞こえた。

 志緒理は「終わったかな」とつぶやくと立ち上がった。そしてドアを開けて「はあい」と返事をする。

「なんか、すみません。長話してしまって」

 結花が頭を下げると、志緒理は「全然、全然」と手を振って、

「こっちこそ、時間つぶせて良かったよ。わたし、葬式って苦手でさ」

 と笑った。

 でも、その声が少し震えているのを、結花は聞き逃さなかった。

「朔太郎のことは…弟みたいに思ってたから、なおさら…今日は……出たくなくて…」

「志緒理さん…」

「あー、ほんと…なんで死んじゃったんだかなぁ……」

 吐き出すようにそう言うと、志緒理はメガネを外し、天井を見上げて目頭を押さえた。結花はもらい泣きしそうになり、顔を背ける。

 2、3回鼻をすすると、志緒理はメガネをかけ直し、ふぅっと大きく息を吐いて、小さな声で「よしっ」と言った。

「ごめん。なんか湿っぽくなっちゃって。落ち着いたら降りてきてね。お茶でも淹れるし」

 結花が「ハイ」とうなずくと、志緒理はまたニコリとして、パタパタとスリッパを響かせ、階段を降りていった。

 そのタイミングを見計らったように、ポケットでスマホが激しく震えた。

 ベッドから起き上がり、スマホを取り出す。何気なく画面を見た瞬間、全身が総毛立った。


「うそ、でしょ?」


 それはLINEの通知だった。

 でも、差出人があり得ない。


 ──野村朔太郎が動画を送信しました。


「うそ…」

 だって、先輩本人が送れるわけがない。2日前に亡くなっているのだから。

 それとも…。

 ──遅れて届いただけ?

 経験がある。

 電波状況が悪いところで送信した場合、サーバーの問題かなにかで、ひどく遅れて届くことがあるらしい。

 もし、そうだとするなら。

 ──絶対に見なきゃいけないやつだ。

 結花は急いでロックを解除した。動画は、陸上部のグループトークに送られている。

 いったい、どんな動画なのだろう。

 もしかして、先輩からの遺言…?

 そう思うと指が震えた。

 でも……。

 それは、予想だにしていないものだった。


 夜の路上が映っていた。

 目的があるのかないのか。撮影者はゆらゆらと歩いているらしい。視界は悪く、ほとんど真っ暗で、カメラのLEDライトが周囲をほんのり照らしているほかは、なにも見えない。

 それが10秒ほど続いてから、突然声が聞こえた。


「えー、今日は7月24日です。日が暮れて30分ほど経ちました」

 カメラがインカメラに切り替わる。そこでようやく、声の主の顔が見えた。

 映っているのは、先輩だった。

 周囲を警戒するように、あちこちを見回しながら、先輩は続ける。

「見てください、周りの家には電気がついていません。今日はヒイミさまが出ると言われている日なので、住民は家に閉じこもって、おとなしくしているのでしょう」

 再びカメラがメインカメラに切り替わる。

「えー、今日ぼくは、このスマホのカメラで、ヒイミさまの姿を撮りたいと思っています。では、行ってみましょう」

 それだけ言うと先輩は沈黙した。

 結花は唖然あぜんとしながら動画を見つめていた。

 ヒイミさまを……撮る?

 ホラー映画ではこういうシチュエーションがよくある。心霊動画を撮ろうとして本当に呪われてしまうという展開。

 でもまさか先輩が、こんなことをしていたなんて。


 画面は再び薄闇の中を歩いていくだけの映像になった。ほとんどなにも見えない。虫の音と、地面を踏む靴の音と、緊張している先輩の息遣いだけが聞こえている。

 このまま見続けるべきかどうか、結花は迷った。実際に先輩は亡くなっているのだ。この後なにかが起こるのは間違いない。

 見るべきではない。心の声がそう叫んでいた。でも、先輩になにが起こったのか確かめたいという気持ちも、同じくらい強かった。

 迷ううち、動画に変化が訪れた。

 どこからかコ、コ、コ…という喉の奥を鳴らすような音が聞こえてきたのだ。


「おや、なんの音でしょうか」

 警戒した様子で、先輩が声を潜める。すると、道の奥から、なにか白いものが現れた。

「うわっ、あれは…なんだ?」

 びくっとしてカメラが揺れる。

 人のようでいて、人ではない、なにか。明かりがないのに、ハッキリと見える。

「え、え、え、あれ…もしかして…」

 先輩が慌てて電信柱の後ろに隠れた。手ぶれで画面が激しく揺れる。右上に「仮屋町」という文字が書かれた表示板が見えた。その瞬間、フォーカスが狂い、画面全体がぼんやりとにじんでいく。その中を白い「なにか」がゆっくりと歩いてくる。


 そう。

 その「なにか」は文字通り、歩いていた。

 真っ白で、骨張っていて、角材のように細い足が、ざくっ、ざくっと地面をつかんで、こちらに向かってくる。

 カメラのフォーカスが、その「なにか」にじわじわと合っていく。

 着ているのは、白い襦袢じゅばんのようだった。

 ところどころに血のように見える赤黒いシミが付着している。

 そして奇妙なことに襦袢は、いままさに海から上がったばかりのように濡れていて、ぼたぼたと水滴を垂らしていた。

 おかしなことはそれだけではなかった。

 首が、あるべき位置にないのだ。

 とはいえ首なし、というわけではない。首を持った、首なし死体。言葉にするとそんな感じだろう。2本の腕で胸の辺りにがっちりと、生首を抱え込んでいる。

 腕もおかしかった。右の袖から2本。左の袖から2本。全部で4本の腕があった。そのうちの2本で首を抱え、もう2本はだらりと力なく下に垂らしている。

 見るからに、生きている人間ではない。


「やべえ、やべえやべえ。このままじゃ、確実に…」

 見つかる。

 そう言いかけた瞬間、その「なにか」がカメラに気づいた。

 あっと叫んで、先輩が逃げようとする。

 しかし、足がもつれてスマホを落としてしまった。

 スマホは偶然、電信柱に寄りかかる形で横立ちになったようで、ちょうど逃げていく先輩の後ろ姿をとらえた。

 画面右手から、その「なにか」が歩いてくる。そしてクネクネと身体を震わせて、だらりとしていた2本の手を地面についた。

 そこから先は、一瞬の出来事だった。

 四つん這いになったその「なにか」は、獣のようにおそろしい速度で、先輩に突進していく。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁああ!」

 尾を引く長い悲鳴。

 瞬間、その「なにか」はフッと消えていなくなった。


 映っているのは、うずくまる先輩ただひとり。

 先輩は、なにが起こったのか理解できないというふうに、周囲をきょろきょろと見回して、言った。

「な、なんだ? 助かった…のか?」

 先輩はスマホを拾い上げた。恐怖で震えているのだろう。画面が小刻みに振動している。やがて、インカメラに切り替えると、荒い息まじりに言った。

「…いま、ご覧になれたでしょうか。白くて…手が…4本の……女。そう、あれは女でした。髪が長くて…顔が…そうだ、顔は、目がなかった。口が真っ赤で、ぬめっとしていて…それが、ぼくに向かってきて…ぼくはおそろしくなって、声を上げました」

 そこまで喋ると先輩は、つばをゴクリと飲み込み、ひとつ大きな深呼吸をした。

「死んだと思いました。でも、なにが起こったのでしょう。ぼくは……まだ生きています」

 額に玉のような汗が浮かんでいる。

「ヒイミさまは、見たら呪われて死ぬと言われています。でも、ぼくは生きている。呪いは、すぐに現れないということでしょうか。それとも、いまのは、ヒイミさまではないのでしょうか。わかりません…でも……」


 そのときだった。

 背後の暗闇から、先輩の右肩に、細く骨張った白い手が伸びてきた。


「先輩、うしろ!」

 結花は叫んだ。それが無意味なものだとわかってはいても、叫ばずにはいられなかった。

 手が、先輩の肩をガシッとつかんだ。

 ようやく先輩が自分の肩を見た。

 手はまるで蜘蛛のように、肩から首、首から顔へと先輩の身体を這い回った。

「おおわぁあ!」

 慌てた先輩が手を滑らせて再びスマホを落とした。

 スマホはアスファルトを2回バウンドして、みぞの中に転がり落ちたようだ。

「なんだよ、いまの!」

 その先輩の声を最後に、動画は終わった。


 見終わった後、結花の唇はかさかさに乾いていた。

 もしこれがヒイミさまなのだとしたら…。

 ――ああ、やばい。

 見てしまった。

 みんな、死んでしまうんだ。先輩と同じように。


 手の力が抜けていく。

 心の底から恐怖がわき起こってきて、結花はもう、なにも考えられなかった。


(続く)

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