第5話 告別式
◇ 7 ◇
陽がだいぶ西に傾いた頃、結花は重い足取りでようやく自宅にたどりつき、門扉を押し開けた。
ちょうど太陽が家を挟んだ反対側にあるせいで、玄関には濃い影が差している。それが妙に不気味に思えて、結花は急いでドアを開けると「ただいま」を言うのもそこそこに、2階の自室に駆け込んだ。
スタンドライトのスイッチをオンにすると、暖かみのあるオレンジ色の灯りが部屋を包む。
ようやくホッとして、結花は「ふあああ」と声を上げながらベッドに飛び込んだ。
ふと横を見ると、映画のキャラクターのぬいぐるみが目に入った。いつもなら可愛い彼らも、スタンドライトの光で顔が陰になり、いまは少しこわい。
思わず、ぶるっとして目を閉じた。
すると、追いかけてきたあの男たちの姿が脳裏に浮かんだ。
黒と白に塗られた仮面。不気味で異様で…。
――嫌だ嫌だ、思い出したくもない。
幻影を振り払うように身体を起こし、鞄からスマホを取り出すと、ロック画面にLINEのトーク通知が出ていた。絵美からだった。
ほぼ無意識のうちにトークを開く。
すると、続けざまにこう書かれていた。
《結花、もう家かな?》
《さっき先生から話があって》
《明日、先輩の告別式があるらしいんだ》
《それで部の代表としてひとり、行かないかってことになって》
《結花、行ってくれない?》
告別式……。
その文字を見ているだけで悲しい。
でも、なんで私なんだろう。
部の代表となれば、普通は上級生が行くものだ。なのに入部して数ヶ月の1年生を行かせようとするなんて。
そこまで考えて、ピンときた。
理由は、ひとつしか思い浮かばない。
仮屋町で死んだ人のところへは行きたくないのだ。
だからよそ者の私に押しつけようとしているのだろう。
結花は無性に
翌朝、制服に身を包んだ結花は、沈んだ気分で先輩の家へ向かっていた。
結局、行くことにしたのだ。
絵美たちの思惑通りになってしまったとしても、これが先輩との最後の思い出になる。
ちゃんとお別れをしないで、のちのち後悔しない?
自分にそう問いかけると、答えは考えるまでもなかった。
いつものバスに乗り、30分。先輩が使っていたバス停で降りると、歩道には赤と白のタイルが敷き詰められていた。50メートルくらい離れたところに商店街のアーチがあり、さらにその向こうには駅らしき建物が見える。
この駅を背にして2分ほど歩くと、左右に同じような一戸建てが並ぶ通りに出た。
右側の手前から3番目の家。
そこが先輩の家だった。
白い壁にチャコールグレイの屋根。南向きの2階建て。南欧風の門扉の脇には家族の趣味だろうか、ピンクと紫の可愛らしい花が植えてある。
「こんにちは。高校の陸上部の者ですが…」
玄関を開けてそう告げると、上がってすぐ左にあるリビングに通された。
広さは教室の半分くらいだろうか。奥に祭壇が置かれ、壁を埋め尽くすように白黒の垂れ幕がかけられている。身内だけと聞いていたが、すでに十数人の弔問客が座布団に座っていた。
どこに座ればいいのかわからず、結花が立ったまま戸惑っていると、メガネをかけたロングヘアの若い女性がスッと近づいてきて、
「部活の子よね? こっちにどうぞ」
と祭壇を回り込むように手招きした。
こんなところ、通っていいの? と思いながらも、ほかに通れるところはない。仕方なく結花は身を低くして祭壇に近づいた。
祭壇は2段のひな壇になっていて、1段目に仏花やお供えの果物が並び、2段目に、白くてきれいな布がかけられた
先輩は安らかな顔だった。
お化粧をされて、ほのかに頬が赤い。こんなことを言うのも変だけど、美しかった。
いまにも目を覚まして「結花、おはよう」と言ってくれるような気すらする。
そうであってほしい。
全部が悪い冗談で、私がだまされているだけならいいのに。先輩が生きていてくれるなら……生き返ってくれるなら、私は全世界の人に笑われてもいい。
でも……。
死んだ人は生き返らない。何がどうあっても無理だ。私がどんなに先輩のことを好きでも、自然の摂理にはかなわない。
そう思うと、グッと喉が詰まった。
じわりと涙があふれてきて、結花は顔を背けようとした。
そのときだった。
突然、先輩の目がカッと開いた。そしてぎょろりと動いて、結花を見る。
ぎょっとした。驚きのあまり、なにも言葉が出てこなかった。
白濁した瞳。どこを見ているのかわからない、あやふやな視線。ガラス玉のような質感。
それは先輩の目とは、まるで別物だった。空虚で、無気力で……。
あるのは、ただ底知れない失望。
血の気が引き、目の前が真っ暗になっていく。そして身体がひっくり返る感覚を最後に、結花は意識を失った。
(続く)
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