第2話 転校生
◇ 4 ◇
8時40分。
緊急朝礼のために体育館に集まった生徒たちは、先輩の自殺を知らない人がほとんどだったようで、いざ、そのことが知らされると水を打ったようにシーンと静まりかえった。それからややあって「信じられない」とか「どうして」という声が一斉に上がる。その地鳴りのようなどよめきを聞いていると、結花の脳裏に先輩のいろんな姿が浮かんでは消えていった。
屈託のない笑顔、爽やかな目、美しいランニングフォーム…。
そのすべてが、いまや儚い。…先輩はどうして自殺なんてしたのだろう。悩んでいたなら言ってくれたら良かったのに。そうしたら私、きっとなにか助けに…。
……なれただろうか?
ううん。わからない。もしかしたら先輩はとっくになにかサインを出していて…。私が気づかなかっただけかも。そうだとしたら私は自分が情けない。好きだ好きだと言っておきながら、そんなの…馬鹿みたいだ。でも…。こうも思う。──本当に自殺なのだろうか?
奈央と絵美の話では、先輩の死に方は妙だった。自分で自分の首を絞めるだなんて…そんなことできるの?想像してみる。両手を首に持っていって…ギュッと絞めて……息が苦しくなってきて…目がチカチカしてきて…手に力が入らなくなって………。無理だ。不可能だと思う。そんなふうに死ぬくらいなら、ふつうに首つりをした方が、ずっと楽だ。
でも……。もし、ヒイミさまを見たせいだとしたら? ヒイミさまの呪いが、先輩を死に追いやったのだとしたら?呪いが本当かどうかはわからないし、噂は噂でしかないかもしれないけど…とても不安な気持ちになるのは、なぜだろう。
そこまで考えたとき、背筋がぞくりとした。思わず身震いする。いつのまにか空気が冷え込んだ気がして、結花は自分の二の腕を強くつかんだ。その瞬間、いっそう大きなどよめきが起きた。ハッとして周囲を見渡すと、奈央と絵美が顔を真っ赤にして震えている。
「どうしたの」
小声で聞いた。すると奈央が目に怒りをたたえて言う。
「先輩が亡くなった場所…
「えっ?」
「だとしたら、ただの自殺じゃない。絶対、なにかあったのよ」
確信に満ちた声だった。
──仮屋町。
そこは、大きな川に挟まれて浮島のように見える、寂れた集落のことだ。学校がある町と結花の住む町の中間にある。広さは数百メートル四方といったところ。本来なら町というほどの規模ではないかもしれない。なにしろ仮屋町には1丁目しかないのだ。仮屋町何番地で郵便が届く。かつては仮屋地区と言われていたらしいが、昭和になって「町」が付いた。島のようになっているので、川に架けられた大橋以外に対岸に渡る道はなく、まるで時間が止まったかのような孤独な雰囲気がどこか不気味だ。
そんな仮屋町ついて、以前、先輩と話したことがある。天気のよい日だった。
バスは燃えるような夕陽を浴びながら川を貫く大橋を渡っていた。その川を見ながら、誰に言うでもなくぽつりと先輩がこぼした。
「…もうすぐ仮屋町か」
眉をひそめ、人差し指で窓枠をトントンと叩く。その向こうから夕陽が差し込んできて、先輩の顔は濃い影に覆われた。そのせいか、暗く沈んだ表情に見える。私は何と返すべきか戸惑っていた。
すると先輩がフイッとこちらを向いて「結花はこの町のこと、どのくらい知ってる?」と聞いてきた。
唐突だったから驚きつつ、えーっと、と記憶をたぐり寄せてみたけれど、よく知らなかった。停留所があることくらいしか。そう答えると、先輩は「そうだよな」と呟いて、もの悲しげにこう続けた。
「この町は、特殊なんだ」
「特殊…?」
「うん。もうすぐわかる。見ててごらん。乗ってる人たちを」
バスはいよいよ橋を渡り終え、仮屋町に入ったところだった。商店の並ぶ大きめの通りを走る。さびついたガードレールと立ち枯れした街路樹が窓の外を流れていく。別になんてことのない風景だ。
でも、車内にいる誰もがあからさまに顔を背けて、窓の外を…この町を見ようとしなかった。そればかりではない。停留所で扉が開くと、みんなが鼻を押さえて息を潜めた。まるで空気を吸いたくないとでも言うように。さらに乗ってきた初老の女性がシルバーシートに座ると、周りの人たちが口々に「
異様な光景だった…。いままで気にしたことがなかったのは、いつも先輩のことしか見ていなかったからだろう。
「わかった?」
声をひそめて先輩が言う。私はこくりとうなずいた。
「この町と、町の人は差別されているんだ。みんなから避けられ、嫌われている」「…どうしてなんですか」
「しょうもない理由だよ。本当にしょうもない…」
そのとき、前の席に座っていた禿げ頭のおじさんが、額に青筋を浮かべて、明らかに威圧的な視線を向けてきたので、この会話はここで終わったのだけれど…。
先輩の言う「しょうもない理由」って、どんなものなのだろう…。
私は疑問に思いながら、乗客を見渡していた。誰も喋らない中、ブザーが鳴ってバスが発車する。すぐカーブにさしかかった。すると吊革に掴まっていた一人の男性が、バランスを崩して大きくよろめいた。その先には、仮屋町から乗ってきた女性。男性は踏ん張りがきかず、女性の足を踏んでしまった。
「ぎゃっ」
女性は蛙が潰れたような声を出して男性を恨めしそうに睨んだ。男性は謝るかと思いきや、「あ、あ、あ、足が腐る!」と叫んだ。そして急いで靴を脱ぎ、ポケットティッシュを取り出すと、靴と足を必死に拭き始めた。私は最初のうちは唖然としていたけれど、徐々に腹が立ってきた。
女性の足を踏んだくせに謝りもせず、そればかりか慌てて靴を
私はなにか言ってやろうと口を開きかけた。その瞬間、先輩が私の肩にそっと手を置いて、首を横に振った。放っておいた方がいい、という意味なのはすぐにわかった。でも……。居心地が悪かった。同じ空間にいることが恥ずかしかったし、なにもできない自分が悔しかった。
後日先輩は「あれは嫌がらせでやっているんじゃないんだ。本当に腐ると思っているんだよ」と教えてくれた。町ごと差別されることがあるなんて、現場を目にしていなかったら、いくら先輩の言葉でも信じられなかったと思う。でも、確かにあるのだ。この現代にも、そういうことが。
朝礼が終わると、結花はすばやく視線を走らせ、里桜を探した。本当なら今日は顔を合わせたくなかった。でも先輩が亡くなった以上…それも仮屋町で亡くなった以上、そうも言っていられない。どうしても確かめないといけないからだ。なにを差し置いても…。里桜の姿を探すうち、結花の脳裏に初めて彼女と会った日のことが、まざまざと蘇ってきた。
◇ 5 ◇
里桜が転校してきたのは、7月初旬のことだった。初めて話したのは、その日のお昼。トイレに行くと里桜が手を洗っていたから、思い切って声をかけてみた。
「里桜さん。私、伊勢崎結花。よろしくね」
自分でもなかなかフレンドリーに言えたと思う。でも里桜は、チラリと目を上げて鏡越しにこちらを見ただけだった。その視線がナイフのように鋭くて、私は一瞬たじろいだ。空気がピリッと張り詰めた感じ。はっきり突き放されたわけではないけれど「近づくな」という雰囲気。せっかく声をかけたんだから、もっと優しくしてくれてもいいじゃん。
そう感じたけれど、里桜なりの気遣いだったのではないかと、いまは思う。きっとわかっていたのだろう。そのうち誰も寄ってこなくなると。確かに、どうせ嫌われるなら、最初から距離を取っておいた方が楽だ。でもこのときは、私はもちろん、みんなもまだ里桜に興味津々だった。
里桜はアイドルとかモデルみたいに誰が見ても美少女で…。だからというわけでもないけれど、転校初日に5人のクラスメートに告白された。それを聞いたとき私は、出会った初日に好きだなんて、よく言えるなと思った。私なんて、出会って何ヶ月経っても先輩に告白できないでいる。断られたらどうしようって考えてしまうから。案の定というか当然というか、里桜は全員を振った。
「いや、無理だし」
そんな断り文句だったらしい。でも、そのうちの一人は諦めきれなかった。なんとかして里桜の気を引きたいと思い、ある行動に出て…それが、すべてを変えてしまった。
……いま思いだしても嫌な気分になる。
その日の夜、クラスのLINEグループに、里桜の画像が送られてきた。大橋を渡るところ。仮屋町を歩くところ。そして一軒の家に入るところ。家の表札には「奥山」と書かれている。
そう。里桜は仮屋町に住んでいたのだ。送ってきたのは、里桜を諦められなかった男子だった。彼は放課後、里桜を尾行したのだという。家を突き止め、プレゼントを贈って、気を引こうと思ったのだそうだ。ところが思ってもみない事実を知った、というわけだ。
翌朝登校すると、クラスはどす黒い緊張感に包まれていた。バスでの出来事が脳裏をよぎる。嫌な予感がした。やがて里桜が教室に入ってきた。すると、入口に一番近いところにいた男子が、露骨に顔をしかめて「くせえ」と言った。
「やばいやばい。教室が腐る」
数名の男子が用具入れからモップを取り出して、里桜の歩いた跡を必死に拭く。
さらに別の男子が鼻をつまんで窓へ駆け寄り、
「窓開けて、窓。空気が汚染されて窒息しちまうよ!」
それを合図に一斉に窓が開け放たれ、校庭からの風が、びょうと流れ込んできた。ああ、やっぱり、と私は思った。やっぱりバスの中と同じことが起こってしまった。もちろん、歩いただけで床が腐るわけはないし、空気だって汚染されない。
でもみんなは、嫌がらせでそうしているのではない。本気で里桜を汚いと考えているのだ。その証拠に、誰もが里桜と一定の距離を置いて目を合わせないようにしている。私は、里桜がどんな反応をするのか気になって彼女を見た。里桜は、まったく動じた様子もなく、一直線に自分の席に向かった。すると奈央が、顔を背けたまま言った。
「迷惑なんだけど」
里桜の足がピタッと止まった。そして奈央の正面に回り、
「へえ。じゃあ、どうする?」と顔を近づける。
奈央の顔がスッと青ざめていく。そしてぶるぶると震えると、机をバンッと叩いて立ち上がった。
「あんたが出てかないなら、私が出てく」
叫ぶようにそう言うと、奈央は教室を出て行こうとした。ほかのみんなも奈央に続こうとする。私は思わず「ちょっと待ちなよ」と叫んで、みんなを止めた。
「なんでそんなことするの?」
みんな、驚いたようだ。一番驚いた顔をしているのは里桜だったけれど。
「どうして出て行くのよ。里桜さんがいると、なんで迷惑なの? なにをしたのよ、里桜さんが」
私は続けざまにそう言った。みんな顔を見合わせて、どう答えたものかと悩んでいる。その中から絵美が近づいてきて、私の耳元でささやいた。
「…知らないからだよ、結花は」
「なにを?」
「
「どういうこと?」
「…ホントは嫌だけど、しょうがないから見せてあげる」
言うがはやいか、絵美が里桜に駆け寄り、鞄をひったくった。
里桜は「ちょっとなにすんの!」と抵抗したが、絵美は強引に鞄を逆さまにして、中身を全部ぶちまけた。
すると教科書や参考書、筆記用具に交じって、右半分が白、左半分が黒に塗られた不気味な仮面がこぼれ落ちた。
えっ、仮面?
その瞬間、クラスにいるみんなが「あっ」と小さく叫んで顔を伏せる。見てはいけないものを見た、とでもいうように。
「あの町の奴らはね…」
絵美が薄汚れた雑巾を見るみたいに、顔をゆがめて言った。
「常に仮面を持ち歩いてる。キショいやつをね。なんでだと思う? 顔を隠すため。なんで顔を隠すと思う? 隠さないといけないくらい、穢れているから。だから私たちは避けるの。わかった?」
絵美が話す間に、里桜が憮然とした表情で仮面を拾い、鞄にしまっていた。私はなにを言うべきかわからなかった。仮面を持っているから穢れている…。穢れているから近づきたくない。わかるようでわからない。だって、たかが仮面だ。いや、そもそも……仮屋町の人たちが穢れているってどういうこと?
そのとき、担任の中村先生が教室に入ってきて、みんなに言った。
「なにしてる。席に戻れ」
だけどみんな、一歩も動かない。
「ほら、はやくしろ。授業が始まるぞ」
さっきよりも大きな声で言うと、奈央が泣きそうな表情で先生を見た。
「でも先生…。面人がいるのよ。同じ教室なんて、無理よ」
すると先生は奈央の肩に手を置いて、「そういうことか。お前たち、知ってしまったんだな」と慰めるように言った。
「気持ちはわかるよ。おれだって嫌だった。でも校長先生は県外の人だから、なにも知らずに奥山の転入を受け入れてしまったんだ。席を離すとかなにか対策を考えるから、少し我慢してくれ。別に仲良くしろとは言わない。な。みんなも、わかったな」
その言葉に、私は
うそでしょ…? 先生がそんなこと言っていいの? 許されるの?
ちょうどそのときチャイムが鳴った。みんなが苦虫を噛み潰したような顔をしながら、しぶしぶ席に戻っていく。私にはみんなの気持ちが全然わからなかった。仮屋町に住んでいるというだけで、里桜と同じ教室にいたくないなんて。でも里桜も里桜だ。こうなることはわかっていたように見える。それなのに転校してきたのは、なぜなのだろう。見慣れているはずの教室が、まったく別の場所のように感じた。
異世界にいる気分。
──いや、ホントにそうかも。知らない間にパラレルワールドに来ちゃったのかも。
いっそ、そうだったらいいのに、と思う。いや、良くはないけど、そうだったらみんなの変わりようも理解できる気がして。もちろんそんなの、意味のない逃避だ。できることならこんなことはやめさせたい。でも……なにができる? 彼らは本気で信じているようなのだ。里桜は穢れている、と。
どうしたら、どうしたら……。答えを出せぬまま悶々とし続け、1週間経ち、2週間経ち、なにもできずに時間だけが過ぎていった。
そして昨日。里桜は先輩と楽しそうにおしゃべりをしていた。確かに先輩は、仮屋町のことを差別していなかった。この辺では珍しい人なのだろう。本当に素敵だと思う。だから二人がおしゃべりしていても、なんの不思議もない。一緒に帰るのもそう。私の気持ちの問題でしかない。でも。
その先輩が亡くなって、しかもその場所が仮屋町だっていうなら話は別だ。里桜が先輩の死に、なにか関係しているなら……。
――私は、彼女を許せない。
だから結花は、朝礼が終わると里桜を探した。同じクラスなのだから、すぐ近くにいるはずだった。しかし里桜は朝礼に参加していなかったようで、どこにも姿は見えない。教室に戻り、ホームルームが始まっても現れない。クラスメートに聞いても誰も見ていないという。
――ということは学校にすら来ていない?
可能性はある。仮屋町に住んでいるのだから、先輩が亡くなったことはすでに知っているはずだ。とすればショックを受けていてもおかしくないし、もし……二人の仲が思っているより親密な関係だったら、なおさらだろう。だとすると。
――家に行ってみるしかない。
明日から夏休みだし、休みが明けるのを待っていたら遅すぎる。だけど、突然行っても会えるとは限らない。仲良くなったわけでもないのに。
そのとき、結花は中村先生に呼ばれた。
「伊勢崎。ちょっと話がある」
「はい、なんですか」
結花が近づくと、中村先生は大きな茶封筒を差し出して言った。
「…これ、奥山に届けてくれないか」
「え?」
「通知表とか、学校からのお知らせなんだがな。今日ほら、あいつ来てないから」
言いながらグッと押しつけてくる。
「先生が届けたいのは山々なんだが、あの町に近づくといろいろ、な。その点お前は県外からの通学だし、誰も文句は言わんだろう。だから、な。頼むよ」
こんなに堂々と差別意識を丸出しにするなんて。結花は内心かなりモヤモヤしていたが、このチャンスを棒に振る手はないと思った。
「わかりました。私が行きます」
結花はニコリと笑って茶封筒を受け取った。先生はホッとした様子で「悪いな、恩に着るよ」と両手を合わせて頭を下げる。
通知表を届けるとなれば、立派な理由だ。追い返されはしないだろう。
下校のチャイムが鳴り、生徒たちが一斉に廊下へ飛び出していく。一目散に帰る者。しばしの別れを惜しむ者。夏休みの予定を打ち合わせる者。その人ごみをかき分けるようにして、結花は下駄箱へと急いだ。
靴を履いてエントランスを飛び出すと、ちょうど大粒の雨が空からこぼれ落ちてくるところだった。あっという間に地面がぐちゃぐちゃになる。跳ねた泥が結花の白いソックスをみるみる汚していった。
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます