火忌

病因

第1話 奇妙な死

 ◇ 1 ◇

 夏休み最後の日、私は死ぬ。

 自分で自分の首を絞め、首から上はびっしょり濡れて。

 警察は「またか」と困惑しながら自殺として処理するだろう。

 せめて美しく死ねるように目を閉じたのは、我ながらよくやったと思う。


 本当のことを言えば、もっと生きていたかったけれど……まさかあいつが生きているとは…。


 仕方ない。やれるだけのことはやった。

 ………。

 …………。


 ああ、目の前が真っ暗になっていく。こわい。これが…これが死ぬということなのね。

 おとうさん、おかあさん、ごめんなさい。

 私、頑張ったよ。

 頑張ったけど、ダメだったの。だからゆるして。

 できることならだれか。

 だれかおねがい。

 おねがいだから、この呪いを止めて。



 ◇ 2 ◇

 灼熱の晴天が1週間ほど続いただろうか。気象予報士が「夏の小休止といった天気になるでしょう」と自信たっぷりに発した宣言が珍しく当たり、7月25日の朝は気温も低く、いまにも降り出しそうな雨雲が町ゆく人々の心をざわつかせていた。


 伊勢崎結花いせさきゆかの心も同じだった。明日から待望の夏休みだというのに、夜中うっかり大好きなシュークリームを食べ過ぎた次の日みたいに、身体の芯がむかむかして、とても嫌な気分だった。

 理由はわかっていた。

 ──あの転校生のせいだ。

 朝6時。

 県をまたいで通学をしている結花は、たっぷり1時間はかかるバスに乗るためいつも早起きをしているのだが、この日は寝覚めが最悪で、なかなかベッドから出られなかった。いつもならしっかり食べる朝食も喉を通らない。ボーッと見ていたテレビの占いコーナーでも最悪の運勢だったからすっかりやる気をなくしていると、

「さっさと着替えなさい。遅れるわよ!」

 普段なら気にならない、そんな母の小言もささくれだった心にはわずらわしい。

「うるっさいなー」

 ぼそりと言うと、のそのそと部屋に戻り、制服をハンガーから外した。外したはいいが、着替えるのがおっくうだった。学校に行きたくなかった。行けばあの転校生と顔を合わせてしまう。そのとき、いったいどんな表情をしていればいいのか…。見当もつかない。

 ため息をく。

 とはいえ今日は終業式だ。授業はなし。午前中で終わるから、うまく立ち回れば会わずにすむかも知れない。

 仕方なくやる気を出して制服の袖に腕を通していると、机の上のフォトフレームが目に入った。結花と爽やかな男子高校生が写っている写真。

 ──先輩…。

 自然と胸が高鳴るのがわかる。

 先輩、先輩、先輩。

 ──あの子には会いたくないけど、先輩には会いたい。

 名前は、野村朔太郎のむらさくたろう。妙に時代がかったそんな名前がぴったりなくらい、最近にしては珍しく男っぽい人。

 別に筋肉質というわけではない。というより結花は筋肉系男子を好きではない。

 その点、朔太郎先輩は真逆。

 痩身という言葉がぴったりなほど、すらりとしている。ウェーブがかった髪。雨が降ると好き勝手に暴れて言うことを聞かなくなるのもちょっと可愛い。モデルみたいに小さい顔に収まったパーツはバランスがよくて、血色の良い肌の輝きは、見ているこちらまで快活な気分にしてくれる。話す言葉も丁寧で、声は穏やかで優しく、下ネタなんて絶対に言わない。


 先輩のことを思うと顔が熱くなる。最近ようやく普通に話せるようになったけど、出会った当初は自分でも笑っちゃうくらい、しどろもどろになってしまった。

 恋。そうだ、恋してる。高校1年生の女子だもの。恋してなにが悪い。

 出会ったときのことは、いまでもハッキリと覚えている。


 入学してすぐの頃。

 新しい環境になじもうと必死だった結花は毎日緊張して寝不足だった。寝不足にバスの揺れは天敵だ。席に座ってものの数分で夢の世界へ旅立った。


 どれくらい眠っていただろう。学校最寄りの停留所がアナウンスされてハッと起きたとき、結花の頭は隣に座った男子高校生の肩にのっていた。ご丁寧にハンカチまで敷いてある。

「──よく眠れた?」

 男子高校生が言った。結花は自分の顔がカァァッと赤くなるのがわかった。

「あっ、ご、ごごごめんなさい。私、いつの間に…」

「全然かまわないよ。とても気持ちよさそうだったから、起こすのも悪くて」

「いやっ、もう、全然…! たたき起こしてくれても全然ホントよかったのに」

「ううん。枕代わりになれて嬉しいよ」

「ま、枕代わりってそんな…」

「冗談冗談」

 肩に置いたハンカチをサッと取るとポケットにしまう。

「きみ、1年生?」

「あ、はい。伊勢崎結花…です」

「ぼくは野村。2年の野村朔太郎」

 ニコリとしたその笑顔に心が震えた。

 時が止まる感覚。

 鼓動がはやくなり、顔がほてる。

 一目惚れ。まさかうっかり枕代わりにした先輩に一目惚れするなんて思いもしなかったが、人生なにが起こるかわからない。「伊勢崎さんは部活なにに入るか決めたの?」「あ、はい。中学までずっと陸上だったので、高校でもそうしようかなって」「そうなんだ。じゃあ、放課後も一緒だね」「えっ」「陸上部なんだ、ぼくも」

 舞い上がった。そんなこと言われたら運命なんじゃないかと思ってしまう。意味もなく胸で十字を切って「神よ!」と念じたのも、いまとなっては懐かしい。


 スカートのホックを留めながら鏡台の前に立つ。鏡をスライドさせると上中下3段の棚があり、下段に家族全員分の歯ブラシが並んでいる。父の強いこだわりで、すべてが有名メーカーの電動ブラシ。めちゃくちゃ高価らしい。

「歯は一生ものだからな」

 そう言って、結花も小さい頃から電動ブラシを与えられている。

 高いだけあって優れもので、ボタンを押すときっかり2分動く。15秒ごとに振動で合図をしてくれるので、むだに時間だけが過ぎていくということがない。

 なによりすばらしいのは、片手で持って歯に軽く当てているだけでキレイに磨いてくれるので、その間はもう片方の手でビューラーを使ったり、ストレッチをしたり、O脚体操をしたりできること。

 時短をしつつ、自分を磨く。

 すべては先輩によく見られたいから。


 入学して4ヶ月。先輩に会いたくて毎日同じバスに乗っている。長い乗車時間は先輩とゆっくり話せる絶好の機会。まだ恋人でもないのに毎朝一緒に登校できるなんて、最高すぎる。

 しかも先輩はただカッコいいだけじゃない。


 いつだったか…確かまだ梅雨に入ったばかりの頃だったから6月だったと思うけれど、いつものように朝、並んで座って話をしていたら、一番後ろの席にいた他校の生徒がこんな会話をしていた。

「この辺ってさ、夜になったら外に出ちゃいけない日があるんだって。なんかこわいよね」

 こわいよねと言いながら笑っている。冗談なのか都市伝説なのかわからないが、結花は興味を持った。

 結花はこういう話が大好物だった。こわい漫画を読むのも好きだし、テレビでこわい番組があれば必ず見ている。だからこの噂のことも気になった。

 先輩に聞いてみると「ああ、いまの? もちろん知ってるよ」と言う。「噂だけど…その夜はヒイミさまが出るんだって」

「ひ、ひいみ…?」初めて聞いた。

「うん。ヒイミさまを見ちゃうと呪われて死ぬって言われてる。だから外に出ちゃいけないんだって」

「ええっ。なんですかそれ、すごい」

「そこですごいとか言っちゃうところが、結花のすごいところだよね」

「え、いやあ」

めてない褒めてない」

 笑いあう。この頃には、先輩は結花と呼んでくれるようになっていた。

「でもヒイミさまってなんなんですか? 怨霊かなにか?」

「わからないんだ。人の名前なのかなんなのかもハッキリしなくてね…。たぶん、日を忌むってところからきてるんじゃないかと思うけど」

「あ。なるほど」

 湿気で曇った窓に指で書いてみる。

 日、忌み。

「なんか、意味深というか…不気味ですね」

 水滴が流れて字が崩れていく。その様子が血のしたたりに見えて、急にこわくなった。サッと指で消す。

「で…それって何日のことなんですか」

「うーん、24日って聞いたことあるけど」

「へえ。じゃあ先輩もその日は外に出ないんですか」

「出るよ。全然出る」

「ガセじゃないですか、じゃあ」

「だって、都市伝説だしね」


 とまあこんなふうに、見た目に反して先輩もこの手の話が好きで、学校の七不思議とかネッシーの新説とか宇宙人の正体とか、たくさんの怪しい話をしてくれた。好きな人と趣味が合うのは本当に楽しい。一気に距離が縮まった気がする。夏休みになったら、一緒に怪談ライブを聞きに行ったりして…。結花はそんな妄想で幸せいっぱいだった。

 もちろん、何気ない会話も楽しかった。テレビ番組の話、部活の話。話題はなんでもかまわなかった。ただ二人の時間があることが嬉しかったのだ。なのに。

 昨日の放課後のことだ。

 結花は部活中だった。

 水を飲みたくなってグラウンドを離れ、校舎に入った。そのとき、見たのだ。


 先輩が女の子と二人っきりで話しているのを。


 先輩はランニングの途中で抜け出したらしく、汗をびっしょりかいている。

 その女の子こそ、最近転校してきた美少女。同じクラスの奥山里桜おくやまりおという子だった。先輩と接点があるなんて知らなかったから思わず盗み見てしまった。


 そうしたら先輩は、私には見せたことのない表情で親しげに笑っていて……すごくショックだった。見てはいけないものを見た気がした。

 そればかりか部活が終わった後、先輩と里桜は密かに待ち合わせして一緒に帰っていった。

 先輩を横取りされた気分だった。苛立ち。焦り。いろんなものが、ない交ぜになって、家に帰るまでの間のことはあまり覚えていない。バスの中に先輩がいなかったことだけは、ハッキリと覚えているけれど。

 あれこれ考えてしまった。二人の関係は? 知り合いレベル? それとも恋人?

 わからない。わからなくてツラすぎる。

 だけどもし、私の邪魔をするなら…負けられない。

 歯を磨き終わると少し茶色がかった髪にスプレーして、前髪を上げる。昔からおでこには自信があった。卵みたいなゆるやかな曲線。ほくろひとつなくツルッとしていて「結花って、いいおでこしてるな」と先輩も言ってくれた。だから上げる。上げれば元気に見えるし、それが私の魅力だと思うから。


 そうよ。自信を持って。

 結花は自分を勇気づける。

 鏡に向かって「うんっ」と頷いて笑顔を作る。その瞬間、脳裏に里桜の顔が浮かんできて、結花は途端に自信をなくしてしまった。

 さらさらでキレイな黒髪のボブ。前髪は揃っていて眉まで下りている。おそろしく黒目が輝いていて頬はスッと引き締まっているのに、唇はぷるんとしていて、悔しいけれど、とても魅力的。

 ああ、いけない。うつになる。

 ぶんぶんと首を振って、結花は里桜の幻影を追い払った。

 私は私。女は見た目だけじゃない。中身でも勝負よ!

 いつもより気合いを入れて髪をまとめた。

 次は化粧に取りかかる。学校は化粧禁止だが、そんなことにかまってはいられない。恋にルールは無用。ルールを守っていても負けてしまえば意味がない。部活で先輩もそう言っていた。恋愛でも同じこと。振り向いてもらうためには、どんな手だって使う。使わないと損だ。だって16歳はいましかないのだ。

 とはいえ、あまり厚化粧しても逆効果ということはわかっている。母の読む雑誌にもそう書いてあった。


「男はスッピンが好き。だけどその意味をはき違えてはいけません。『スッピンが好き』。この言葉の本質は、スッピンに見える化粧が好き、ということなのです」


 目立たないように、それでいて弱点をしっかりカバー。特にほっぺたのそばかすは隠さないと。小さいときに海で遊びすぎたせいか、いつのまにかできていた。すごく目立ってカッコ悪い。コンプレックスだ。そのコンプレックスをパウダーで隠す。隠せば自信がわいてくる。

 そうこうしているとあっという間に家を出る時間になった。


 バス停は家から歩いて5分の位置。先輩が乗ってくるまでに30分。その間に爪を磨く。この前LINEニュースにこんな記事があった。「恋上手は爪上手! 爪を磨けば女が光る。女が光れば男が落ちる」


 そうよ。振り向かせるためにはなんでもやらないと損。何度でも自分に言い聞かせる。どうせ窓の外を流れる町並みを見るくらいしかやることがないんだし、特に今日は念入りにやらないと。頭をフル回転させてときめく準備をする。バスに乗っているときは、私のことだけを見て欲しいから。

 だけどその朝、先輩がバスに乗ってくることはなかった。



 ◇ 3 ◇

 どうしたのだろう、風邪かな。丈夫そうな先輩にしては珍しいけど。

 そんなことを考えながら歩いていると、学校に着いた。


 3階にある教室へ向かおうと階段に足を掛けたとき、同じ陸上部1年の奈央なお絵美えみが駆け下りてきた。顔が引きつっていて、なにかよくないことが起こったと一目でわかるくらい動揺している。


「おはよ」

 結花が声をかけると「結花ぁ…どうしよう」奈央がかすれた声で言った。

「…どうしたの?」

「あ…いま来たとこだから知らないか…」

「え? なんのこと?」

「驚かないで聞いてね」

 絵美が結花の肩をつかんだ。つかんだというよりは、結花にしがみつくような。小刻みに震えている。

「なにがあったの?」

 二人の目を見て結花がたずねる。

 奈央も絵美も、さきほどまで泣いていたのだろう。まぶたがれて、目が真っ赤。

「あのね。先輩がね…」

「先輩って?」

 わっと奈央が泣き出した。

 嫌な予感がする。

「朔太郎先輩」

 的中。

 今朝、バスに乗っていなかったことと関係あるのだろうか。

 ううん、あるはずない。

 結花は自分にそう言い聞かせた。

 なにもない。ただの風邪だ。奈央や絵美を泣かせ、ここまで動揺させるような事態は起きていない。

 けれどそう思えば思うほど、結花の心の奥底がツーンと痛んだ。

 夏の小休止、という気象予報士の言葉が、なぜか頭をよぎる。

「朔太郎先輩がどうしたのよ」

 声が震えていた。その先を聞いてはいけないような気がした。

「驚かないで聞いてね」

 絵美がもう一度言った。

「だから、なによ」

「──亡くなったの、昨日」

「……」

 目の前が真っ暗になる。

 いま、なんて?

 亡くなった、と言ったの?

 うそ、そんなわけない。

 あ、わかった。いなくなったって言ったのよね。その「い」の部分を聞き逃したんだわ。

 瞬時にそう考え、ざわつく心を静めようとする。

 しかしそうではないことは、わかっていた。

 確かに聞き取れていた。

 野村朔太郎は亡くなった、と。

「うそ…」

 やっとそれだけ言う。

「自殺だって」

「自殺? あの先輩が?」

 思った以上に頓狂とんきょうな声になる。

 だって、あんな素敵な人がなにを悩んで自殺などするというのか。

 いや、そりゃ、悩みのひとつやふたつ、あったかもしれない。けれど、突然なんの前触れもなく死ぬだなんて、そんなこと──。

「ありえない」

 結花がそう言うと、奈央も絵美も強くうなずく。

「そうだよね。なにかの間違いだよね」

 涙声の奈央。奈央も先輩のことが好きだったのかな、となぜかそんなことを思った。

「だれから聞いたの、それ」

「先生たち。これから緊急朝礼だって」

「誤報であって欲しい」

 絵美が手をすりあわせて言った。

 動揺のあまり、体温が下がってしまったのだろう。重ねた手にハァと息を吹きかける。そしてそのまま妙なことを言った。

「道ばたで倒れていたらしいんだけど、亡くなり方が、変だったんだって」

「変って?」

「うん。自分で自分の首を絞めてたって…」

「え?」

 自分で自分の首を…?

「そんな自殺、ある?」

「でしょ、変でしょ。なにがあったのかなぁ…」

 絵美が涙ぐんで鼻声になる。奈央が同調してうんうんとうなずく。それから思い出したようにハッと顔を上げ、

「っていうか結花、先輩と同じバスだったよね。なにか気づいたこと、ない?」

「うん。でも、昨日の帰りは一緒じゃなかったんだ」

「そうなの?」

「うん」

 なぜなら昨日先輩は、里桜と一緒に帰ったのだから。気づいたことと言えばそれくらいだ。でもそれが先輩の自殺と関係があるようには思えないから、別に言うほどのことではない……とそこまで考えて、なにか違和感が残った。なんだろう。なにが気になるんだろう。えーっと、えーっと。

 ──昨日? そういえば昨日って……24日じゃない?

 え、うそ。24日って、先輩が言っていた日だ。外に出てはいけない日。外に出たらヒイミさまを見て呪われてしまう、そんな日。

 先輩は都市伝説と言って笑っていた。でも、もしなにか関係があったら?

 結花の背筋にひんやりとした汗が流れた。


 (続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る