43 6つの花咲く廊下から 2/2

 圧倒されている面々の端で、不意に顔を輝かせる男がいた。両手を打ち合わせる小気味の良い音に、少年のようなちゃらけた台詞が続く。


「すんばらしいっ! レイディアント・ブロッサムという名にしようではないか! ねぇねぇボス? 俺等の固有魔法と違って、名前は自分で決められるんですよねー?」

「え? 何? もう一回言って」

「レイディアント・ブロッサムだよー! 光り輝く花の祝福です!」

「ごめんね、ガスパーくん。覚えられないから、それは却下ね」

「がーん! 絶対かっこいいと思ったのにー!」


 冷めた治癒師を筆頭に、何人かの苦笑が飛び交う。大げさな身振り手振りを交え、熱を入れて無益な口上を述べる男は、外見年齢においては、ここにいる5人の誰よりも年上なのだから始末に負えない。

 廊下の壁に寄り掛かって浮かびくる思考と戯れていたレンリの耳に、またもや錬金師の声が届いた。ふざける時に彼がよくする、わざとらしい低音だ。


「さあ、姫。こちらへ」


 目の前に現れた広い背中を呆然と見たあと、ナナハネは弾かれたようにかぶりを振った。俯けた顔がほんのり朱に染まっている。


「傷も塞がったし、もう自分で歩けるよ」

「遠慮することはない。長旅で疲れているだろう」

「長旅って……。私は社長に運んでもらっただけだし」

「連日の調査でお疲れと見た」

「ありがと。ほんとに大丈夫だから」


 どうにかして世話を焼きたい男と、気を遣わせまいとする女。微笑ましいのは結構なことだが、直前まで戦闘が行われていたことを、彼等はもう忘れているのかもしれない。こんなことをしている場合ではないのだ。

 レンリが話に水を差して良いものかと逡巡している隙に、それまでにこにこと静観していたスカーレットが、あっさりと会話に入っていった。


「ナナハネちゃん、せっかくだからお言葉に甘えたら? あなたの傷、まだ完治というわけじゃないのだから」


 和やかな戦いで見事勝利を収めた錬金師が、思い人を背に乗せて得意顔をしていた。ふらふらと歩みを再開する治癒師へ、含みのある4つの眼差しが渡される。


「っというわけで、レンリくんよ。君を背負ってあげられなくてすまないな」

「ごめんなさい、レンリさん。ガスパー取っちゃって」

「ちょっとした悪意を感じるんですが。僕なら自分で歩けますから、ご心配には及びません」


 支えにしていた壁から手を離して、見せつけるように、数歩歩いてみせる。想像以上に体が重く、左胸の傷が痛んだが、顔には出していない自信があった。眩暈めまいも残ってはいるが、決して歩けないほどではないのだ。

 ところが、目前にアイスブルーを認識したと思うや、左右から二本の手がレンリの腰へと伸びていた。


「何を言ってるの。あなたには私がいるじゃない。ほらほら、遠慮しないで」

「じ、自分で歩きますから!」


 半ば向きになっていることを自覚しつつも、レンリはかたくなに首を振り続けた。優しげな声に諭される。


「無理しないで」


 その語調に反して、恋人を手放すまいとする彼女の力は信じられないほどに強い。遠巻きに見守るシュリーネたちにまで露骨な笑みを向けられて、レンリは必死に弁明した。


「あらあら、観念なさればよろしいのに」

「嫌なんですー……! あなたに背負われて街を歩くなんて、観られたら今度はどんな噂になるか……。考えるだけで眩暈めまいがします……!」


 荷物よろしく背中に抱えられながら、レンリはじたばたと抗議を続けた。薄青のベールに包まれた頭を控えめに小突いてやると、くすりと笑う声が返ってくる。

 背中越しに見える庭園は清々しく輝いていた。降り注ぐ陽光と優しい風が混ざり合い、ほっとするような陽だまりの香りを辺り一面に振り撒いている。

 一つに重なり、揺れ動く影。その様を見ているだけで感傷的な思いが胸中に込み上げて、レンリの目頭をじわりと熱くした。


「レンリ。起きてもいないことについてあれこれ考えられるのはあなたの取柄でもあるけど、今は体に毒だからやめておいた方がいいわよ」

「大抵はあんたのせいですからね! はぁ」


 思わず声を上げて、思いの他強い痛みに顔を顰める。吐息を漏らして、目の前の肩に頭を押し付けた。どんな時でもペースを崩さない彼女に、これ以上ない安心感を抱きながら。

 無事に恋人と再会できたこと、そして、図らずも彼女と密着する形となったことは、気分を害するものでは決してない。このままつつがなく会社に辿り着けるのなら、些末なことは多めに見ても良いかもしれない。

 寛大とも投げやりともつかない思考に身を委ねようとした時、後方からおずおずと話しかけてくる者がいた。


「あのう、勇者様。一つ、お聞きしたいのですけれど。本当ですの? この方が、その……。あなたの貞操を無理矢理奪ったというのは?」

「っ!」


 不意の言い草に、反射的におもてを上げていた。ナナハネが激しく咳き込み、ガスパーが言葉を掛けている横から、もう一人の令嬢が追撃を加えてくる。


「そうそう。弱みを握られて、仕方なく身体を許したんでしょ?」

「……っ!」


 言い返してやりたいと意気込む頭は、しかし、言葉の信号を何一つ送ってこない。否定しようと上半身を起こして、危うくずり落ちそうになった。

 そんなレンリを軽い跳躍で背負い治して、スカーレットは歩みを止めることなく応じた。


「事実無根よ。むしろ、この子には私から交際を申し込んだのよ」

「えっ!?」

「うっそー!」


 今度は思いもよらない嘘がさらりと飛び出す。楽しげに揺れる彼女の背で、レンリはある種の悟りを得た。すなわち、他人の度肝を抜くことにおいて、彼女の右に出る者はいないのだと。


「あなたはまた、なぜそういう嘘を」

「いいじゃない。せっかくの機会だから、私たちは相思相愛だって、彼女たちに広めてもらいましょうよ」


 こんな時にもユーモアを忘れない恋人を、どのような心持で受け止めればいいのやら、レンリには分かりかねるところだ。


「いったい、この方のどこにそんな魅力が……?」

「シュリーネさん? あなた、さっきから失礼じゃないですか?」


 やっとのことで抗議の視線を飛ばして、レンリは再び項垂れた。好奇心に輝く瞳が一斉に二人を取り囲む。

 あのね、と前置きしてから、彼女は唇に人差し指を当てた。とても大切な秘密を打ち明けるように、そっとそっと、囁く。悪戯っぽくいたいけで、けれどどこか妖艶ようえんな、複雑な微笑みを浮かべて。


「そういう肝心なことっていうのはね……。軽々しく口にしない方がいいのよ」


 優しい陽だまりを集めて輝く横顔は、息を呑むほどに、美しかった。

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