44 前途は遼遠なれど 1/2

 ◆31



「うんでよー、そん時に式も挙げちまおうって話になってよー。レンリもくるだろ? 招待状出すからよ」


 耳に当てたディスプレイからは、上機嫌な男の声が流れてきていた。疲労を溜め込んだ身体の内に響き渡るような大声に、端末を耳から少し離す。隠すことのできない呆れ声が、深い溜息に乗って零れた。

 あの夜晩餐会で出会い、ともに誘拐事件の被害者となったはずの男、ラグレクスは、出会った時と変わらぬ気持の良い笑いをよこした。


「あのう。あなた、何をやってるんですか?」

「何だ何だー? 可愛い令嬢と結婚できる友が羨ましいかー? そうだろう、そうだろう!」


 世間を揺るがす大事件に巻き込まれたばかりだと言うのに、この知人はなかなかにめでたい頭をしているようだ。自警団が救出に駆け付けた際も、令嬢と二人でよろしくやっていたと聞いて、開いた口が塞がらないとはこのことかと、奇妙な感慨かんがいまで覚えたものだ。

 思わず本音が漏れた。


「ただ誘惑に勝てなかっただけでしょう」

「ちっ、違う! それだけじゃない。ちゃんと思いを確かめ合った! ご両親にも許可をいただいた!」

「はいはい、それはおめでとうございます」


 なおも弁明を続ける男を適当にあしらって、レンリは半ば強引に通信を切り上げた。こちらがあれこれと気を揉んでいた5日の間に、一方では新たな絆が誕生していたというわけだ。世の中というものは、全く以って予測がつかない。

 機械を机上に置いて、目についた紙を広げた。周りをにぎわすピンクの花は、風に躍るラビットツリー。鮮やかなその便箋びんせんには、甘い香気が残っていた。


「あなた方を見ていて決心がつきました。わたくしも、もう少し好きなように生きてみることにいたしますわ」


 晴れ晴れとした顔のシュリーネが手渡してきた便箋びんせんには、通信端末ミミアの番号が走り書きされていた。


「勇者様と万が一のことがありましたら、ぜひご連絡をくださいまし」


 恋人の背に甘んじるレンリの耳元で意味深な台詞を囁いて、の令嬢は去っていった。

 今回のことで、しばらくは気の休まらない日々が続くかもしれないが、彼女の未来にも良い影響がもたらされれば良いと思う。今一度彼女の人生を案じて、紙切れを手の中で塵へと変えた。



 6日ぶりにオリエンス商会に戻ることのできたレンリとガスパー。久々に顔を合わせた社員たちは、例外なく色濃い疲労を浮かべていた。

 誰一人、レンリたちがいなかったことを責める者はなかった。それどころか、彼等から怒涛どとうのように浴びせられた心配や安堵はいっそ痛々しいほどで、中には涙を浮かべる者さえあった。

 自分がどれほど恵まれた存在であるのかを思い知らされる一方で、そのような人間を多く引き寄せてきた社長や秘書の人徳を痛感する。二人が不在の間に会社が最低限の損害で済んだのは、間違いなく彼、及び彼女の功労の賜物たまものなのだ。

 功労者のうちの一人、秘書のセレンは、社長が復帰して社内の状況が安定するまでは現場を離れるわけにはいかないと、膨大な事後処理を淡々と片付けている。落ち着いたら長めの連休を取るつもりだと言うが、それにしてもつくづく生真面目な人間である。尤も、社長が不在の今、経営方針を正確に示すことができるのは彼くらいのものなので、いてもらわなければ困るというのも確かなのだった。


 そう。現在、社長は出勤していない。その理由は——。


「はぁ……そろそろ起きてくる頃じゃないでしょうか」


 たった2日ですっかり完治した左胸に手を当て、思案していたのはほんのしばし。人知れず呟いて、レンリは自室を後にした。


 目当ての部屋へと向かいながら、救出されてからの2日間に思いを馳せる。


 自由都市レニスで発生した、魔法絵氏と錬金師を狙った集団誘拐事件。多くの被害者と数名の死者を出したセンセーショナルな事件は、首謀者である魔法師、ダルフ・シュトロームが死亡したことにより、一応の解決を見た。

 心神耗弱の状態で発見された魔法絵師、ロダン・クライシーは、長期的に療養が必要との診断が下ったらしい。何事にも縛られない彼の魔法絵を再び見られる日がくることを、レンリは心から願っている。

 ダルフ・シュトロームが公認魔法師であったことは伏せられ、レニスの女王が裏で糸を引いていたことも、世間に公表されることはなかった。女王への反意を持っていたダルフが、彼女の名を語って独断で事件を起こしたという筋書きだ。

 と、ここまでが、世間に流布るふした表面上の話。

 教会の言を信じるのなら、彼が異形者いけいしゃであったことは教会側でも把握していなかったのだという。固有魔法の不適切な使用に加え、強力な異形いけいを使用しての殺人を数件犯していたことも判明し、結果、上記の扱いを受けることとなった。死人に口なしとはよく言ったものだ。


 そして、邪悪なる公認魔法師ダルフを打ち、被害者及び関係者を解放した功績を与えられたのは、やはり彼女であった。

 集団誘拐事件のヒーローとして祭り上げられている時の人は、現在レンリの目先で浅い呼吸を繰り返している。朱で彩られた白地の相貌が、不規則な息遣いに合わせて揺れていた。


「ん……」


 レンリが凝視していると、おもむろに、まぶたが持ち上がった。天井に向けられた顔が何かを探すように彷徨い、間もなくレンリの元へと辿り着く。寝ぼけまなこの勇者は、何か良い物を見つけたとでも言うように、嬉しそうに目を細めた。


「おはよう、レンリ。今日はついてるわ」

「どういう意味です? それ。すみません、起こしてしまいましたね」


 優しげな謝罪を受け止めた女はやがて、半覚醒の相貌にいくつもの疑問符を浮かべた。


「え、っと、私……何をしていたんだったかしら?」


 あくびを噛み殺しながら、ベッドへと歩み寄る。呆然とレンリを見つめる女の、その心に波風を立てぬよう、なるだけ落ち着いた声を用意した。


「あなた、事後処理の連絡を完璧にやり終えたあと、会談の下で急に倒れたんですよ。過労と、魔力の使いすぎ。それと風邪だそうです」

「か、ぜ? それって……あの風邪? この私が? そんなことってある? いいえ、あり得ないわ」


 瞳を大きく見開いて、スカーレットは早口に言った。

 彼女が狼狽ろうばいするのも無理はない。

 レンリが入社してからの3年間、彼女が寝込んだのはたったの一度、極寒の迷宮で氷結竜と死闘を繰り広げた後だけである。20年来の付き合いになるというセレンでさえも、彼女が体調を崩したところはほとんど見たことがないと言っていたのだ。鋼鉄の白百合の異名は伊達ではない。

 何かを思い立ったらじっとしてはいられない彼女のことだ、おとなしくベッドに収まっているかと言えば、答えは否だろう。ごそごそと身じろぐ様子に身構えつつ、レンリは気遣いの台詞を重ねていく。


「あなた、今も結構な高熱なので、動こうなんて考えないでくださいね。会社の方はセレンさんと僕等で協力して回していますから、とにかくあなたは安静に……って何をやってるんですか、言ってるそばから!」


 案の定、上半身を起こそうとするスカーレットを、両の手で押し留める。彼の腕を熱を帯びた手で払いのけようと藻掻もがきながら、スカーレットは長ったらしい弁明を始めた。


「今日は何日? 私、どのくらい寝てたの? 確か、近いうちに交易会社の合同会議があったはずよね? あと、延期にしていた社内会議も。見合わせていた液体ポーションの商品開発はどうなったのかしら? 耐魔服の商品価格見直しの提案期限は? まだ前期の決算報告書にも目を通していないのに。ああ、それから、それから……」

「落ち着いてください! もう終業時刻はとっくに過ぎています。あなたが倒れてから、まだ二日しか立っていませんし」

「二日も? だけど、よかったわ。まだ間に合うということね」

「僕の話、聞いていました?」

「聞きたくないわ」

「寝ていてくださいって。これは社員全員の意向なんですよ」

「いや。行かせて。せめてみんなの様子を」

「駄目ですってば! もう夜ですから、せめて今日は休んでいてください。早く体調を整えて、それから僕にも休日をください……!」


 起き上がろうとするスカーレット。押さえ付けるレンリ。ベッドの上での攻防は、はたから見れば色めいたものに見えなくもないが、当人たちは極めて真剣だ。

 しかし、万全でないとは言え、人の域を軽々と超えそうな怪力を披露されては、腕力のないレンリにはどうすることもできない。時には叱り、時には宥め、最終的に泣き落として、本気でベッドを抜け出そうとする相方をどうにかこうにか諦めさせた。



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