46 欲望たちの芽吹く夜 1/2

 ◆32



 「私のこの身体には、魔竜の血が流れています」


 カザールと向かい合う形で直立した勇者は、開口一番にそう切り出した。淡々とした語り口で、自らの内に秘めていた歴史の一端を紐解いてゆく。


 今から500年前、人と竜とは互いに生活圏を尊重し合い、平穏に暮らしていた。言葉の通じる竜も多く、彼等と話し、戯れる人の姿も日常の風景として見ることができた。

 ところが、約490年前のある日、何の前触れもなく、竜たちが人を襲い始めた。その時に竜たちを率いていたのが、魔竜に堕ちたフェイデルであった。


「彼女——フェイデルの目的は一つ、世界から人間を排除すること。反乱の根底には、私たち人間に対する激しい憎しみがありました。何度か対話が試みられましたが、彼女たちの怒りを鎮めることはできず。500年に渡る、人と竜との戦乱の時代の幕開けでした」


 妖精の多くを味方につけた人間と、無数の脅威を意のままに操る竜。両者の戦いは熾烈を極め、8年ほどの間に幾多の町が焦土と化し、世界人口の半数が命を落としたとも云われている。


「妖精暦520年。人間側に甚大な被害を及ぼしながらも、竜側の旗印であったフェイデルを、一時的に封印することに成功しました。ですが、世界に平和が戻ったと安心したのもつかの間。今度は、いつ目覚めるかも分からない魔竜の気配に怯える日々が始まったのです」


 不安定で、時とともに薄れてゆく魔竜の封印。彼女の復活を画策する勢力も現れ、人々は、依然として不安と恐怖に押し潰されそうな夜を過ごさねばならなかった。

 同じ頃、一人の高名な歴史学者が、魔竜の血液を体内に取り入れることで老化を止められるという研究を発表した。


「もうお分かりでしょう。フェイデルを監視し続け、世界の……いいえ、人々の平穏を守るために選ばれた、封印の管理者。それがこの私、ミーシェ・ヴァーレイです」


 勇者はカザールを見据え、きっぱりと告白した。その口から聞かれた英雄の名に、総帥はつかの間思考停止に陥った。厳格な表情は崩さず、尋ね返す。

 己の内心を置き去りにする術など、とうの昔に心得ていた。


「そして、君は500年余りの時間を経て、宿敵であったフェイデルを真の意味でこの世から葬り去ったのだな」


 目の前で話を続ける女の様子を子細に観察する。彼女の言葉は事実か、彼女に利用価値はあるか、今後の計画に組み込むべきか。それらを確実に見極めるために。


「ええ。私は魔竜の血のほとんどを用いて、彼女を世界に繋ぎ留めていたくさびを破壊しました。本来であれば、私も彼女とともに消えるはずだったのです。けれど、神の気まぐれか、運命の悪戯いたずらか。こうして生き永らえてしまいました」


 僅かに苦笑を浮かべる勇者を尻目に、胸の内でさまざまな可能性を吟味し、策略を巡らせてゆく。忙しなく頭を回転させながら、カザールの口は思ってもいない台詞を吐き出していた。

 魔法教会総帥の強固な外聞を守るため。そして、強力な手駒を失わないために。


「魔竜亡き今、最も恐れるべきはワンライン、すなわち人間だ。君がここにいることは我々、いいや、世界にとっての幸運と言えよう。我等が創造神に感謝せねばならぬな」



 仕事の早い補佐官に連れられて勇者が部屋を出ていくと、それを待ち構えていたようなタイミングで奥の窓がリズミカルに振動した。

 見れば、外のしげみに隠れるようにして、薄汚れたコートを羽織った男が座り込んでいる。厳重に施錠をしていたはずの窓が、いつからか僅かに開いていた。

 眉間にしわが寄るのを自覚しながらも、カザールは招かれざる訪問者を執務室の中へと案内せざるを得なかった。


「盗み聞きとは実に貴方様らしい行いでございますね。ガイアス・サンセット・ベルベリア陛下」

「良いではありませんか、カザール・ハイエスタ総帥?」


 灰色のコートをすっぽりと被った状態で、ガイアスは茶化した。僅かなコートの隙間から、軽薄に緩む目元が覗いている。


「たまたま通りかかったら、あの勇者様が魔法教会さんと談話に興じていたとあっては、黙って通り過ぎるわけにもいかなかったのですよ。王としての使命感が私を逃してくれなくってねー。いやー、難儀なさがですよ」

「大方、勇者の入国情報を聞きつけて尾行でもさせていたのでしょう。貴方様はそういうお人だ」


 カザールから見たガイアスは、決して人の見本となり得る人物ではない。時にはスパイを送り込み、時には自らが足を運び、地をひた走る情報の数々を集めることに執心している。

 女遊びと他人の秘密を暴くことに、異常とも言える執着を見せる男。それが、現在の魔法都市を治める王の正体なのである。


「まあ良いではありませんか。共有する秘密が多い方が、絆も深まるというものですよ。異形のこともちゃーんと守っているでしょう?」

「陛下」

「おっと、今ここでするお話ではありませんでしたかね」


 加えて、この無神経さである。カザールが閉口する様子を見ても、悪びれる様子は毛ほども感じられない。こんな食えない男を、世間では名君だともて囃したりするのだから、市民の見る目のなさにはほとほと呆れるばかりだった。

 カザールがしぶしぶ片付けた執務机の上にどっかりと腰を下ろし、ガイアスは喋り続ける。


「しかしながら、底なしの魔力でしょう? 魔法書によらない固有魔法にー、主属性を3つも持っていること。500年前の英雄だから、で、ぜーんぶ説明がついてしまいましたねえ」


 室内に響き渡る音量で、ガイアスは総括した。他人に聞かれないように配慮する頭は持ち合わせていないと見える。物事を快楽主義的に推し量る彼のことだ、あえて聞かせるような話し方をしているのかもしれなかった。

 声のトーンを落として問うが、心底楽しげな返答が返ってくるばかりである。


「もしや、全てを信用なさるおつもりですか? あのような世迷言を」

「もちろんですとも。何と言っても、その方がおもしろいですからね。真実なんて、わりとどうでもいいのですよ」

「奴等のことも、全て貴方様のてのひらの上、というわけですか。いやはやまったく、恐れいりますよ、ガイアス陛下」


 カザールは肉付きの良い肩を大げさに竦めて見せた。他の教会員の前では絶対に見せられない仕草だ。

 無論、本気ではない。表面上では白幡を上げておくことにしただけである。


「ええ、ええ。今回は甘い蜜をたくさんいただきましたから、厚労省を差し上げなければなりません。ユーレニア女王と、ワンラインのみなさんに。ただねえ……」


 精悍な目元が俄かに曇る。コートの留め具を無意味に付け外ししながら、王たる男は物憂げな言葉を繋いだ。


「あの魔法絵を一枚も回収できなかったことだけは、悔やんでも悔やみ切れませんね。貴重な文化遺産を破壊し尽くしてくれたのは、いったいどなただったのか」


 この言には、カザールも全面的に同意している。天才画家により大量に描かれた魔法絵は、残っていれば莫大な金銭を生んでいたはずである。

 遺憾の念を込めて応じた。


「あの大広間だけを的確に狙い、とりわけ頑丈なはずの耐魔壁を跡形もなく瓦礫に変えられる者など、この世界にはそうはいないと思いますがね」

「ともあれ、貴重な文化人に、研究価値のある文化遺産に、失った物はそれなりに多かったですけれど、それ以上に得る物も多い事件でしたよ。興味が尽きませんねえ。ぜひとも我が国にお迎えしたいものです。勇者様」


 薄汚れたコートの内側で残酷に微笑む男を、カザールの目は、はっきりと捕えていた。


「世界に唯一の竜人を敵に回すなんて、できれば避けたいところですもの。ねえ、カザール総帥?」



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