47 欲望たちの芽吹く夜 2/2

「まことに不愉快な話だな」


 静謐せいひつとも言える執務室で、カザールは呟いた。傍らには、補佐官であり最高議会第一席でもあるミントが控えている。

 例の事件が勇者の手により解決してから、すでに3日が経過していた。


「各国の首脳陣も自警団も知っていたことが、何故なにゆえ我々の耳に入ってこなかったのだろうな?」

「やはり、彼等の仕業ですわよね。そうまでして、自警団に栄誉を与えたいのかしら? 結局今回もこちらがいただいてしまいましたけど」


 陰鬱な影を漂わせて、ミントが言った。カザールが渋い表情で頷く。

 自警団は、原則的に各国、各都市の管轄である。そして、自警団と魔法教会は実質的には敵対している。そういった事情もあり、首脳陣営が魔法教会に対する情報規制を敷くことは、決して珍しいことではないのだった。

 しかし、カザールの脳内を占拠している案件は、ちっぽけな領土争いの話などではない。


「ミントよ。勇者を最高議会に引き入れた私の判断は、間違っていたと思うか?」

「いいえ。わたくしは、貴方様のご判断こそが正しいと信じておりますわ」


 聡明な補佐官が返答を誤ることはない。しかし、カザールははっきりと見抜いていた。彼女が胸に疑心を抱いていることを。

 このような時、彼女は必ず真意を確かめてくる。結局は総帥の意向に迎合することになると分かっていてもだ。


「ですけど、カザール様。なぜ、お話になったのですか? それも、勇者にではなくて、あの治癒師に」

「確信を持っていたようだったからな。下手に隠し立てをするのは得策ではないと判断したまでのこと。想定よりは大幅に早まるが、賭けてみるのも悪くはなかろう」

「わたくしは、心配なのです。またするようなことがあっては……」


 若草色に縁取られた女の相貌には、不安の影が濃い。その台詞から苦いものが込み上げて、カザールは無意識にわざとらしい咳払いをしていた。

 彼は後悔していた。勇者を公認魔法師に迎えた時点で、最高議会に縛り付けておかなかったことを。しかし、どれほど悔やもうとも、魔竜が消滅したという事実が覆ることはないのだ。


「安心しなさい。万が一我々の邪魔になるようなことがあれば……」

「ええ、カザール様。わたくしたちに恐れるものなどあってはなりませんもの」


 期せずして、二人は全く同じことを考えていた。すなわち、自分たちの手駒であるべき勇者が、教会の秩序を脅かす存在となり得る可能性を。




 場所は移り、商業都市カルパドール。

 有能な市長によって平穏が保たれているこの街で、宵の闇に紛れ、智謀ちぼうを巡らす者たちがいた。


「なーんだ。あの治癒師、普通に戻ってきてるんですけどー。女王様もあんなになっちゃったし、完全に作戦失敗じゃない」


 わざとらしく肩を落としているのは、少年に扮した漆黒の髪の少女。


「失敗じゃないよ、ハウ」


 一方、落ち着いた物腰で苦情を受けるのは、危険な思想を内に秘めた調法師ちょうほうしの男。

 二つの影がたたずむのは、何物にも認識できない隔絶された世界。その資格を持たぬ者には、立ち入ることはおろか、見ることすら叶わない。

 この領域の主を妹に持つカロン・ブラックが、挑発的に口角を上げた。


「魔法教会の名声を落とす第一歩だと思えば上々だよ。それに、居場所ここは守られたまま。何より、おもしろい話が聞けたじゃないですかー」

「勇者がフェイデルの親戚だったって話でしょ? どこがおもしろいんだかさっぱりなんだけど」


 口先を尖らせるハウを目端で一瞥し、カロンは上機嫌に語った。


「竜を以って竜を制すって、よく言ったものだと思わない? 脅威じみた存在感も馬鹿みたいな魔力も、なるほど納得ってねぇ。となると、今度はあの子の血が見てみたくなるよねぇ」


 カロンの相貌には、残酷な微笑みが満ちていた。今の彼の表情を最も近しい言葉で表現するなら、それは狂気だ。


「ねぇ、ハウ? あんなにいろんなものに恵まれて、あんなににこにこして、きらきらして、眩しすぎると思わない? ふふふ、優しい世界しか知らない勇者に現実を教えてあげないとねぇ? あぁ……欲しいなぁ。堕としたいなぁ。壊したいなぁ。今すぐに輝かしい舞台から引きずり下ろして? ふふっ、犯して、汚して、引き裂いて? なーんにも見えなくなるまで、うんと可愛がってあげたいなぁ。この世界に希望なんか必要ないのだから。ねぇ? ふふっ、あははは!」


 独りよがりの世界でわらい続ける彼には、相槌を挟む余地すら見出すことができない。

 思わず、ハウは身を引いていた。彼の全身から立ち上る凄惨せいさんな気配を意識しては、対等に話すことなどできそうになかった。

 震える唇を戒め、普段通りの生意気な態度を装う。


「でー? 結局どうするわけ?」

「もちろんいただくものはいただきますよー。計画通りにねぇ」


 カロンは、時折こうしてとてつもなく惨たらしい一面を覗かせる。その度に、恐ろしい、と思う。体が震え、のどが詰まり、脳内で警鐘が鳴り響く。


「カロンが言うならそうするけど」


 それなのに、それでも、ハウの心は彼を求めることをやめられない。傍にいたいと欲することをやめられない。彼が振り向くことはないと、分かっているけれど。

 たくましい腕にしがみついて、端正な顔を上目遣いに見上げた。


「でも、忘れないでよね。あの女は僕の、父さんのかたきだってことを」

「どうかなぁ? 俺、頭は悪いからねぇ」


 と、無邪気で愛らしい音色が二人の鼓膜を唐突に打った。

 正体は、探すまでもなく二人の足元に。闇を着込んだような出で立ちの生物が、じっと二人を凝視していた。


「分かってるよ、チェルシー。僕等の準備はばっちりだよ。お偉方が慌てるとこ、早く見たいなぁ」


 右手の親指を立てて、ハウはかげりのある笑みを見せつけた。隣の男は、意味深な冷笑を湛えて妖精を見下ろしている。


「お礼、ちゃーんと伝えておいてねぇ。君のご主人様に」


 二人の言葉を肯定するように、高い鳴き声が辺り一帯に反響した。

 月のない空は分厚い雲によって占拠され、瞬き一つ見つけ出すことは叶わない。


 その夜、カルパドール一帯を湿った微風が通り過ぎた。戦乱の兆しを運んでくる、不穏で不気味な風であった。

 組織の思惑は、間もなく勇者たちを飲み込み、世界の命運をも揺るがしてゆくことになるのである。



第四章 「愛と虚栄の自由都市」 完

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