40 解き放たれた英雄たち 1/2

 ◆29



 ナナハネの背中が見えなくなると、二人の間の空気が若干の緩和を見せた。すぐにでも戦闘に突入すると思っていたレンリは、内心で肩透かしをくらう形となった。

  彼の身体の支配者が、広い廊下をぐるぐると歩き始めた。視線だけはスカーレットから外さずに、口角を上げて余裕の表情を演出する。


「あなた、異形者いけいしゃなのね」

「お目にかかれて嬉しいぜ。勇者様? 自己紹介ぐらいはしておいてやろう。俺はダルフ・シュトロームと言うんだ」

「話し合いましょう。その身体を解放する条件を教えていただけないかしら?」

「お前が死ねば解放してやるぜ」

「交渉をする気はないと理解したわ。その身体、今はあなたの支配下のようだけど、持ち主の意識はどこにあるのかしら?」

「さあな」

「言っておくけど、私は強いわよ。必要とあらば、仲間を切り捨てることもいとわないわ。油断を誘えるなんて考えないでね」


 レンリを見据える女の目に、冷酷な光が宿る。一切の戯れを許さぬ圧倒的な気迫に、否応なくレンリの鼓動が早まった。

 向けられているのが自分ではないと分かっていても、逃げ出したい気持ちに駆られる。現在の彼の身体に、そんな自由は許されていないのだが。


「この身体の持ち主はもう用済みとなったのだ。魔法絵はろくに描けない。女にも靡かない。女王陛下にも屈しない。そんな使い道のない人間は、この国には不要だ。まあ、最後ぐらいは情報源として役立ってもらうがな」

「あなた方に必要とされなくていいの。彼を必要としている人間は、私を含めいくらでもいるのだから」


 ——必要とされる? 僕が?


 レンリの胸中に猜疑が生まれる。スカーレットは、得心がいったように首肯し、言葉を繋いだ。


「ああ、そう。そういうことなのね。ロダン・クライシーを利用したのは、この国の女王のために魔法絵が必要だったから。魔法絵って、確かに神秘的な物よね。けど、それだけよ」

「はん、それはどうかな?」


 レンリの背後で物音がした。くぐもった何者かの声、金属音、何かがぶつかり合う音。

 ところが、自身の支配者も、さらにはスカーレットさえも、そのことにはまるで注意を払わない。


「あなた、さっきレンリのことをただの治癒氏と言ったわね。全然違うわよ。あの子はね、一度やると決めたことは最後まで必ずやり通す、芯の強い人なの」


 ——それは、僕のことなんですか?


「他人の知らないところで努力ができる人なの」


 ——心当たり、ないんですが。


「私と違って、誰かのために一生懸命になれる人なの」


 ——あなたのその顔は、違うんですか?


 さらに続けようとしたスカーレットを、レンリが放った蛮声ばんせいが制した。


「万事、用意は整った!」



 そして。


 レンリの背後の大扉が開き、飛び出してきたのは一人。否、3人。否、まだまだそれでは終わらない。

 片手では数えられなくなり、両手の指の数を超えて、間もなくスカーレットの正面に立派な隊列を成した。

 過去に世界を救ったと云われる勇者と、その仲間たちであった。


「……」


 スカーレットは放心したように彼等を眺めた。微かに動いた唇が音を紡ぎ出すことはなかったが、レンリには見えた。

 『どうして』。彼女はそう言っている。


 しかし、それ以上、感傷に浸る時間は与えられなかった。色彩も年齢も性別も服装も、全てがばらばらな英雄たちが、一斉に攻撃の態勢を取ったのである。

 さまざまな色の長い杖が、レンリの知らぬ武器が、あちらこちらで掲げられる。その切っ先は、全て廊下に立つ女へと。この状況で、彼女に生存の未来があると、誰が信じられるだろう。


「お前が負けたら、死ぬ前に恋人の身体を使って蹂躙してやろう。せいぜいいい声で鳴けよ」

「そういうことは、冗談でも言うべきじゃないわ。男が下がるわよ」

「その虚勢が崩れるのが今から楽しみだな」


 これでもかと口角を釣り上げて、自分の中の自分でない者が、自分の声で聞くに耐えない台詞を吐き出す。

 名状し難い感情がごちゃごちゃに混ざり合い、レンリは心中で絶叫した。当然、その叫びが声を伴うことはない。

 そして、次のレンリの行動は、彼の心の叫びの代わりと言うにはあまりにも無慈悲な物であった。


「アース・シールド!」


 レンリの傍に大樹が芽吹き、広域に深緑の結界を巡らせた。対象は無論、スカーレットを除く、この場の全ての人間たちだ。

 一度ひとたび魔法に触れれば消え失せてしまう、そんな魔法絵兵の最大の弱点を補完した見事な策だと言わざるを得ない。


「あなた、レンリの固有魔法を使えるの?」


 ほんの一瞬、スカーレットは動揺する様子を見せた。しかし、それをすぐに凛々しい表情で覆い隠して、臨戦態勢に入る。


 まず動いたのは、白髪頭の老兵であった。


「パラライザー」


 色のない声が呼び寄せたのは、4つの静電気の球体。小さなそれらが、ゆっくりと回転しながらスカーレットへと迫る。恐らく、当たれば身体の自由を奪われ、徹底的に蹂躙される未来が待っている。

 攻撃の中心に追い詰められたスカーレットを、新たな刺客が狙う。今度は、オレンジ色の髪の少女。


「ロック・ブラスト」

「ティアベール!」


 手の届く距離まで迫った静電気が、他方向から続けざまに飛来した大岩が、残らず光のカーテンに吸い込まれた。結界が消えると、そこには跡形の痕跡もない。


「アストラル・サンダー」

「アクア・エッジ」


 続いての攻撃は、こちらも表情のない二人から。ピンクの髪の大人しそうな女、ミントグリーンのサイドテールの幼い少女。

 鞭のようにしなる幾本もの雷撃が、刃と化した水の激流が、そこに立つ女を打ち据え、切り伏せようと肉薄する。


「ティアベール! レンリ! どこにいるの!?」


 ——ここにいます。


 攻撃の波をまたもや結界一枚で切り抜けて、スカーレットは呼びかけた。すぐさま、次の魔法が殺到する。今度は長身長髪の女から。


「ホーリー・ブレード。ブラック・ホール」

「アイスバーン! レンリ! 思い出して!」


 白と黒、左右から迫る二つの魔法。スカーレットは迷うことなく振り下ろされる光の剣だけを氷漬けにした。

 虚空に禍々しい空間が開き、彼女を飲み込もうと襲い掛かる。ところが、女を丸飲みにするかと思われた深い闇は、その身体に触れた傍から大気中に霧散していくではないか。

 スカーレットの周囲では、ふわりふわりと紫色の粒子が漂うばかりであった。


「ランサー! レンリ! ねえ、私を思い出して!」


 透明で形のある何かが、細い奇跡を残して飛んでくるのが見えた。その物体が結界の壁に触れると、ひび割れるように大樹の領域が崩れ去る。結界の破壊のみに特化した、氷属性の上級魔法であった。

 自らが張った結界が失われるのを肌で感じながらも、レンリの意識は遠く深い場所へと沈んでいこうとしていた。


 ——スカーレット。思い出せない。


 遠い現実で、自らの手が持ち上がるのが見えた。


「アース・シールド!」

「ランサー! 思い出してよ! レンリ!」

「アース・シールド!」


 ——すみません。僕も、あなたを思い出したいのですが。


 結界を張り、崩され、また張る。レンリの体内の魔力は瞬く間に削られていく。

 このままやり合っていれば、間もなくレンリは魔法絵兵たちを守る手立てを失う。勝負の行方は知れたかに見えた。


「さあ、本番はこれからだぜ」


 己のあざ笑う声に、5つの詠唱が重なった。


「アイシング・メテオ」

「シルバー・スペクトル」

「フラマ・アビス」

「ウィンド・カッター」

「ティアベール!」


 名も知らぬ魔法が矢継ぎ早に放たれる。直後、押し寄せたのは4つの大波。

 スカーレットは三度目の結界でその一団を迎え撃った。しかし、今度は数が多すぎる。

 あまつさえ、氷と光の属性相性は、スカーレットにとって分が悪い。

 薄いカーテンは氷塊によって容易く貫かれ、防ぎ切れなかった無数の氷が彼女の全身を洗い流した。まだらに混じり合った鮮烈な光が、深紅の業火が、苛烈な風の刃が、情け容赦なく追撃を加える。


「くっ、う……」


 肩から腕に、胸から腹に、腿から足に。スカーレットの耐魔服に大きな亀裂が走り、うち何枚かが剥がれ落ちた。リボンが解け、長い髪がちぎれて舞った。

 女の周りに赤が散る。相当上位の耐魔服がこうも容易く破損するところを、レンリは未だかつて目にしたことがなかった。迸り、滴り、流れ落ちる鮮血が、廊下に赤い模様を描いていく。


「このくらい、大したことないわ」


 その時、目の前の女の姿に幻の声が重なった。


「あなたって、いつも大げさだわ」


 ——あなたは。


「私なら本当に大丈夫なのよ」


 ——あなたは、いつも。


 目を反らしたいのに反らせない。耳を塞ぎたいのに塞げない。話しかけたいと願っても、それすら叶わない。気が触れそうだった。


「くっくっくっ」


 どこからか、くぐもった声が聞こえた。すぐにその出所が自分であると気付く。喉の奥が小刻みに震えていた。

 こんな笑い方が自分にもできたのかと、妙に冷静な心地になる。


「こいつの記憶で見たぜ。白き勇者様ってのは、氷と風が大の好物なんだってなぁ。五体満足のうちに降参しなくていいのか? 大事な装備もなくなっちまったし、次魔法を受けたら一発退場だぜ」


 結界の中から嘲笑うレンリ。スカーレットは、再度結界を壊すことで答えとした。


「ランサー!」


 恐らく結界を張りなおすためだろう。レンリの右手が僅かに上がり、しかし、何も成さずに脱力した。


 ——打てない?


「魔力切れね。次はどうするつもりかしら?」

「くくっ、魔力切れはお互い様だよな? 魔法絵兵には魔力はいらないんだぜ」

「心配する相手を間違えているんじゃないかしら?」

「はん、強がりは……!?」


 その時、胸の奥で何かが揺らいだ。

 ふと、レンリは違和感を感じた。先刻までは全体に巡らされていたスカーレットの視線が、ある一点のみをじっと注視していた。


 ——誰に?


 レンリが答えに達する前に、清涼な声が広い廊下に反響した。


「レイガント!」


 レンリは見た。青い瞳に宿る攻撃的な光を。思わず目を反らして、そして気が付いた。


 ——顔が、腕が、足が、動く!


 スカーレットの瞳に温度が戻り、二人の視線が通い合う。彼女の顔に、とろけるような笑顔が咲いた。


「おかえりなさい。レンリ」

「……ただいま。ご迷惑をおかけしました」

「本当よ」


 それは、久しぶりに届いた自分自身の言葉であり、本心からの安堵であった。同時に、レンリは十全に理解した。


 ——僕は、この人が好きだ。



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