39 少女の意地 2/2

 唐突に、アウリエッタが声を張り上げた。


「おいでください! ランディ・コート様!」

「え……?」


 ナナハネは、確かに見た。開きっぱなしになっている廊下、その一角に光が集束し、そこに飾られていた絵がはっきりと人の形に変じる様を。


「えっ……!?」

「これが、魔法絵兵ですのね? 何と美しい殿方なのでしょう……」

「すごいわ……」


 それだけではない。飛び出してきた男の造形に、3人は言葉を失った。

 紫を溶かし込んだ深い夜空色の髪。宝石のように煌めくロイヤルブルーの瞳。白地の肌に、計算され尽くした顔形。約500年前に世界を救ったと云われる青き勇者、その人であった。

 呼び出した張本人までもが、しばしその立ち姿にうっとりと見惚みとれていた。


「何、この人……」


 ナナハネは、戸惑いから彼の顔を凝視した。彼女の中に生まれていた物は、憧憬しょうけいや好意などではなかった。その感情を一言で表すなら、恐れだ。

 運命さだめを捻じ曲げる力を得た少女は、翡翠ひすいの瞳に愉悦を滲ませ、勝ち誇ったようにあざ笑った。


「お胸ぺったんこのあなたと違って、私には殿方を誘惑できる胸があるの」


 絵から飛び出してきた男は、黒光りする武器を手に中庭へと歩を進めた。それは、魔法が主流となったこの時代には決して存在しない、遠距離攻撃の武器。

 故に、回避は不可能だった。

 表情のない顔で武器の照準をナナハネに合わせる青き勇者。何かがくる、その直感に従って彼女が動いた時には、すでに引き金が引かれていた。


「……っ!!」


 ぱん、と、乾いた音。避けられる。そう思ったのは幻想だ。

 人の視認速度を凌駕りょうがする速度で、ナナハネの左足を何かが通り過ぎた。途端、溢れる鮮血。皮膚を焼かれるような激しい痛みが、ナナハネの脳内を真っ白に染め上げた。


「あっ……いっ……!!」

「あなた、21なんでしょ? 私はまだ16だから、若い身体でいくらでも尽くしてあげられる」


 無意識のうちに、膝を着く。前のめりに倒れそうな身体をどうにか両手で支え、ナナハネは目いっぱいに視線を上げた。

 その先には、不可視の攻撃を打ち出した武器を、こちらに向けている青髪の男。咄嗟に身を捻った。しかし、今一歩間に合わない。


「いっ、あぁ……!」


 もう一度、打ち込まれる。右腕から鮮血が噴き出した。ナナハネの胸中に、絶望が広がる。死を意識したためではなかった。


「それに、私の家系には経済力だってある。借金の型に売り飛ばされそうになるなんて馬鹿な真似、絶対にしないんだから」

「……」

「ガスパー様を悲しませるようなこと、私なら絶対にしないんだから!」


 それは、まさに決定的な一言だった。ナナハネの心を黒い陰が覆い始める。

 そしてついに、涙が零れた。後から後から溢れて、傷口に沁み込んでいく。

 しかし、そこにあるのは怒りでも憎しみでも、そして悔しさでもない。目前で涙を流す少女への、哀憐あいれんの感情であった。

 再度、武器を構える青髪の男。けれど、打った先に、ターゲットはもういない。負傷した手足で、涙に濡れた顔で、それでもナナハネは駆け出していたのだ。


「レンリたちとの縁は、あなたが繋いでくれたのよ」

「僕等にあってスカーレットさんにないもの、何か分かりますか? 諦めの悪さですよ」

「言いにくいとか、恥ずかしいとか、全然思わなくていいからな。だって俺たち、これから死ぬまでずーっと一緒なんだからさ」


 痛む腕は、体重を支えることを良しとしない。出血を続ける足は、今にも立ち止まってしまいそうなほど頼りない。

 けれど、そんな有様でも、心は折れなかった。蘇る仲間たちの声を気力に変えて、ナナハネはなおも駆け続けた。例え、あの武器を避けられる見通しがなかったとしても、それだけで命を諦められるはずがないではないか。


「ブレイジング・スターー!」


 それは、幻聴と呼ぶには鮮明な声。幻覚と呼ぶには鮮烈な光景。

 降ってきたのは、炎だった。それも、いつも見ている黄赤ではなく、稲妻のように閃く青色の炎。

 涙に濡れてくぐもった声で、ナナハネは待ち侘びたその名を呼んだ。


「ガス、パー……」


 青い炎の猛攻が止むと、襲撃者の姿は跡形もなく消えていた。残っていたのは、一角を綺麗に焼かれた庭園と、大木の影で雛鳥のように震える二人の女だけである。


「何なんですの? いったい」

「ガスパー様……」

「おっ待たせー! まさかまさかレンリくんに裏切られるとは思いもしなくってさあ。いやはや、遅くなっちまって面目ない」


 令嬢たちに堂々と背を向け、駆けてくる愛しい姿。彼は首の後ろを掻きながらナナハネの前までやってくると、彼女の真正面に腰を落とした。場にそぐわぬ悠長な掛け声が、再会の実感をより強固な物にする。


「よっこらせっと」


 そして、未だに出血を続ける彼女の手足を見、背後の女たちを振り返った。


「誰か、ナナハネを回復してくれないか?」

「ごめんね。私、治癒魔法は……」


 ぼろぼろと涙を落としながら、アウリエッタが言った。


「そ、そうでしたわね」


 シュリーネが杖を持ち上げ、しかし、すぐにその手を下ろす。訝しむガスパーに向かい、彼女は言った。


「レンリ様にお任せしましょう。わたくしは光属性ですが、中級魔法しか使うことはできませんわ。それでは、きっと完治はできないでしょう」

「そっか。治癒魔法は重ね掛け厳禁だもんな。でも、レンリは……」

「レンリ様に何かありましたの?」

「大丈夫だよ」


 ガスパーの袖を引き、ナナハネが言う。穏やかなれど、確信を秘めた声だった。


「レンリさんは、誰かに身体を利用されてただけだと思う。今頃社長が必ず助け出してくれてるよ」

「だよな。俺等のボスは絶対者パーフェクトウーマンだもんな!」

「うん。だから、ガスパー。私をレンリさんたちのところまで連れてって」

「合点承知! アリーたちも一緒にくるっしょ? レンリに掛かればそのぐらいの怪我はあーっという間に元の木阿弥よ!」

「その言葉、使い方を間違っていますわよ」

「でも、私は……私は、あなたを殺そうとして……」


 シュリーネの密かな指摘は他の3人には届かなかった。

 真っ赤に充血した目に涙を溜めて、アウリエッタは俯いた。その視線は、先ほどまで目の敵にしていた女へと注がれている。


「みんなで行こう。私たちが戦う理由ももうないでしょ?」


 心優しい魔法氏は、自身を害してきた者にも変わらずはにかんでみせる。彼女たちが女王に利用されていただけであることを、ナナハネは分かっていた。


「あーら、ずいぶんと偉そうな勝利宣言だこと」


 呆れたような声色で、シュリーネ。患部が痛んだのか、顔を顰めて負傷した肩を押さえた。


「むかつくわ。でも……悪かったわ。私、あなたが羨ましかったの。ガスパー様の気持ちを独り占めしてるあなたが、でも」


 アウリエッタは、服の袖で何度か目を擦ってから、嘆息混じりに言った。ヒスイの瞳が柔らかく細められる。


「適わないわ。ナナハネさんには」

「そんなことないと思うけどな。だって私、胸もないし、お金もないし……。アウリエッタちゃんが持ってる物の方がずっと多いはずだよ」


 ガスパーの背に背負われながら、ナナハネが自嘲気味に笑んだ。

 ガスパーが歩き始め、令嬢二人が続く。アウリエッタは、顔を赤らめながら重なる二つの影を追った。


「そ、その話は忘れてちょうだい。どうしてもあなたより優位に立ちたくて、ついつい言ってしまっただけなの」

「俺の可愛いお姫様にそんなことを言うなんて、いくら女の子でも許されないなぁ」

「悪かったわ……」


 母屋の廊下を進みながら、ガスパーが言う。前を歩く彼の表情を図り知ることはできない。

 しかし、それでも、彼が心底からそう言っているのだということは分かった。ぽつりと、こぼれた謝罪の言葉は小さく、頼りない。


「もう許してあげようよ。ねっ? それより、ガスパー」

「うん? 何?」


 明るく、温かいナナハネの声。振り向いたガスパーの頬に、ナナハネの唇がそっと触れるのを、アウリエッタは目前で見ることになった。


「ありがと。ガスパー」

「ナナハネも、ありがとな。助けにきてくれて」


 何者の侵入も許さない二人だけの領域。それは陽だまりのように暖かで、綿あめのように甘やかで。アウリエッタは、今一度儚い初恋の終幕を悟るのであった。

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