38 少女の意地 1/2

 ◆28



 恋人の姿を求め、ナナハネは走り続けた。

 途中、思い出して自身に素早さを上昇させる魔法を掛け、すぐに疾走を再開する。


「ラピード!」


 息を切らしながらも屋敷中を駆け回り、扉という扉を開け放っていく。並んだ寝室。浴場。倉庫。食堂。

 驚愕する男を見た。抗議の声を上げる女を見た。絡み合う男女を見た。一心不乱にキャンバスに向かう男を見た。

 広大な屋敷の中、母屋と思われる建物を全て調べても、求める男の姿は見つからなかった。

 そうこうしているうちに、空虚な風に乗ってスカーレットの悲痛な声が届いた。頻りにレンリの名を呼んでいる。


「スカーレット社長……」


 立ち止まること、しばし。できることなら引き返したい。敬愛する社長の傍に駆け付け、彼女の力になりたい。

 しかし、脳裏に過るのは愛しき者のおどけた笑顔。

 後ろ髪を引かれる思いで、ナナハネは走りを再開した。食堂の隣の扉を開き、中庭へ。

 視界に飛び込んできた、緑、緑、緑。庭園と呼ぶには風趣ふうしゅに欠ける広大な庭には、樹齢100年は立っているであろう一本の巨木が、まるで訪問者を威嚇するように聳え立ち、太く無骨な枝葉を四方に広げている。


「待ちなさいよ!」


 ナナハネが中庭に飛び出すのと同時、瑞々しい少女の声が鼓膜を震わせた。

 数歩進んで振り返る。明るい緑色のポニーテールを揺らしながら、少女が駆けてくる。


「あんたがナナハネね」

「そうだけど。えっと、あなたは……?」

「私の名前はアウリエッタ・ヘインハウゼン。ガスパー様は私の物よ!」

「どういう……!!」


 その言葉の真意を図る時間は用意されていなかった。彼女の右手では、大きな宝石の飾られた風の杖が獲物を狙っていたのだ。


「エアル!」


 ナナハネを目掛け風球が飛ぶ。届くまでは、瞬きをするほどの間しかなかった。しかし、すでにナナハネの姿はそこにはない。


「ちょっと! どこにいるわけ?」

「こっちだよ」


 頭上から届いた声に、少女は目をみはった。女は、目の前の巨木の幹に直立していたのだ。


「ブースト!」

「上級魔法!?」


 少女が呼び寄せたのは、対象者の素早さを底上げする追い風。今度はナナハネが驚く番だった。

 どう見ても魔法を覚えたばかりにしか見えない少女が、一般人が持つはずのない上級魔法を行使してきたのだ。


「あなた、素早さ上げてるんでしょ? これで私とあなたは互角のはずよね」


 少女は考える。

 近衛兵団の団長の娘として、魔法での戦闘訓練は相当数こなしてきた。特例が認められて12で魔法氏の資格を授かり、16にして上級魔法を扱う権利を与えられているアウリエッタを、同年代の少年少女は嫉妬や羨望の眼差しで見つめていた。

 両親も、親戚も、隊の部下も、皆口を揃えて言うのだ。アウリエッタほどの才能を持った人間はこの世にいないと。

 相手が年上だからと言って、ここで敗北を期すわけにはいかないのだ。


「エアル!」


 未だ木の上で構えを取るナナハネへ、風球を一つ。当然、当たらない。しかし、見える。女の動きを追うことができる。

 地を駆けるナナハネの目前に、風の刃を叩き込む。


「エアレイド!」

「エクル!」


 少女は勝利を確信していた。ところが。


「いっ、たっ……!」


 返ってきたのは、左肩の痛みだった。庭園の主である巨木の上に、ナナハネが立っている。堂々と、無傷で。

 そう。魔法は彼女に当たっていない。


「これでもダメだって言うの?」

「私はガスパーを助けにきたの。あなたがそれを邪魔するって言うなら、私も本気で行くよ」


 戦いを好まない遊撃手から、慈悲深い最後通告がなされる。アウリエッタは後退り、間合いを取りつつ近くの大木の裏に身を寄せた。


「負けたくないの。あんな女に。こんなとこで死にたくないのよ」


 唇を噛んで、呟く。たった一度の攻防で、少女は気付いているのだ。この勝負、自身に勝ち目などないと。自身の身に死が迫っていると錯覚する頭が、巨木に立つ女との対話を阻害しているのだと、気が付く余裕もない。



「フラッシュ!」

「えっ……!?」


 その時、ナナハネの物とは別の女の声が聞こえた。巨木の上で今にも杖を振るわんとするナナハネの目前で、小さな光の粒子が激しく明滅する。はっとしたように瞳が閉じられるが、今更だ。

 しばらくの間対象の視界を閉ざす、光属性の中級補助魔法であった。伸び放題の雑草の犇めく中から、桃色の髪の女が進み出てくる。


「うふふ。木の陰に隠れながらチャンスを伺っておりましたの。あまりお行儀はよろしくないけれど、いけないことをしているみたいで楽しかったですわ」

「シュリーネお姉様。邪魔をしないでよ。あの女にタイマンで勝って、私はガスパー様と結ばれるんだから!」

「あらあら、気丈なこと。左肩を打たれて泣きべそをかいていたくせに」

「ちっ、違うわ! もう、勝手な真似しないで!」

「ヒール!」


 新たに加わった女、シュリーネが、光の杖を掲げる。アウリエッタの肩口の傷が癒えると、二人は視界を閉ざされた女に一瞥を送った。


「わたくしは補助魔法と治癒魔法くらいしか使えませんの。ですから、あなたに勝っていただかなくては困りますわ。これは戦闘訓練ではありませんのよ」

「分かってるわ。ここであの女を止めなきゃ、私たちが殺されるんでしょ?」

「それ、どういう……!?」


 巨木の幹を支えにして二人のやり取りを聞いていたナナハネが、不意に足を滑らせた。曖昧な視界の中で受け身を取ることもままならず、背中から土の上に落下する。


「チャンスですわよ」

「分かってるわ」


 痛みを堪えて立ち上がり、先刻アウリエッタがそうしていたように、巨木の陰へと身を隠す。近づく声を聞いても、視界は曖昧なまま。強化した素早さは時間の経過によって失われ、伸びた植物が俊敏な足運びを阻害していた。


「ラピード!」


 彼女にできたのは、効果が薄れると分かった上で素早さ強化の魔法を掛けなおすことと、僅かな光を頼りに、少しでも安全と思われる場所に避難することだけであった。


「このままじゃ……。速くー……」


 逸るナナハネ。迫る少女。


「隠れたって無駄よ。エアレイド!」

「……っ!!」


 ナナハネが駆け出した。瞬間、視界が鮮明になる。あわや大木に激突しそうになったその勢いを利用し、木の根の周囲を巡るように、枝から枝へ。

 腕の力だけで身体を引き上げ、幹の上にとんと飛び乗る。10年以上に渡りサーカス団で鍛えた肉体が、動物さながらの身軽な動きを可能にしていた。


「アウリエッタ? ここは、意地なんかに固執している場合ではなくってよ」

「分かってる!」


 短いやり取りの中で、意思を通じ合わせる令嬢二人。


「レイガ!」


 そして、光の檻がナナハネの正面に迫る。彼女が空中に身を躍らせる、ここまでは想定通り。

 あとは、着地点に向けて風の刃を放てばいい。


「エアレイド!」


 アウリエッタは、ナナハネが被弾する未来を確信していた。よもや、彼女が人の足で10歩分以上も離れた木に飛び移るなどとは、考えつきもしなかったのだ。


「何なのよ、その動き!」

「ダブル・エクル!」


 振り下ろされる二筋の雷撃。愕然と見上げる二人の肩を、黄色の閃光が控えめに貫いた。


「きゃっ!?」

「いやっ!」

「ねえ、私の勝ちでいいでしょ? ガスパーのところに案内して」


 半ば懇願の様相で、ナナハネが言う。実力の差は十分に思い知らせた。これ以上戦う意味はない。少なくとも、ナナハネにとっては。

 しかし、対する二人は違った。ここで彼女に勝たなければ、自分たちの命はないと信じて止まなかった。

 それだけではない、アウリエッタの熱意は本物だった。ここで強さを証明しなければ、ガスパーとの恋が成就することはあり得ない。それは、端から見ればちっぽけな思い込みであったが、当人にしてみれば死ぬか生きるかの大舞台だったのである。



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