36 届かぬ声と触れた唇 1/2

 ◆27



 魔法教会総本部に接する転移装置トランスゲートの、外へと続く扉の前で、痩躯の男が待っていた。

 きっちり整えられた赤茶色の頭髪に、紺碧色の切れ長の瞳。凛々しい顔立ちが印象的な30絡みの男。最高議会第三席の公認魔法師、ジュッカ・ハーバーであった。


「遅い。いつまで待たせる」


 開いていた本をぱたりと閉じて、ジュッカは吐き捨てた。低くはないが、硬質な声だ。

 スカーレットが優雅な礼を取る。胸の下まで伸びた髪は、真っ赤なリボンでハーフアップにまとめられていた。彼女の背では、薄いオレンジ色の頭が規則的に上下している。


「急なお願いにも関わらず、本件へのご協力を賜り、心より感謝申し上げます」

「その女は寝かせてあるな」

「ええ」


 スカーレットの背後に回り、その背に背負われた女をジュッカは無遠慮に覗き込んだ。

 現在ナナハネは、ごく軽い睡眠魔法で眠っている。無論、本人も了承済みだ。これから行うことを、最高議会以外の人間に知られてはならないからだ。


「貸せ」

「え? あの……」


 ぶっきら棒な言葉とともに、ジュッカはスカーレットの背から女の身体を乱暴に奪い取った。困惑するスカーレットへ、愛想の欠片もない台詞が投げ渡される。


「移動中に手放されては厄介だ」


 大荷物を抱え直すかのように、腕の中で女の身体を転がしている。そのぞんざいな扱いに不安が過るものの、この異形を初めて経験する自分よりは、彼に任せた方が安全だろうと判断した。


「場所は自由都市レニス北西部、ロダン・クライシーの邸宅だ。跳ぶぞ。いいな?」

「……っ」


 返事をする間はなかった。

 視界が押し潰されるように歪んだかと思うと、足場が抜けるような感覚とともに身体が宙に放り出された。上下も左右も前後も分からない空間の中で、光と音が信じられない速さで駆け抜けていく。遊園地のアトラクションなど比にならない凄まじいスピードに、体の底から溢れる絶叫を止めることができなかった。

 恐らくは世界で唯一の異形、『空間跳躍』であった。


「……。うぅ……」

「貴様。少しは静かにできんのか? 頭に響くだろうが」


 近くにあった石壁に両手をついて弾んだ呼吸を整えていると、煩わしげな声が降ってきた。刃をはらんだ瞳に射抜かれる。

 せめて心の用意を、と批難めいたことが過るが口には出さず、居住まいを正す。ふらつく頭でどうにか言葉を絞り出した。


「空間を飛び越えるというのは……。とても、大変なことなのですね……。私はてっきり、トランスゲートのように一瞬で済むものだと……」


 見れば、大事な女子社員は彼の細腕の中で安らかな寝息を立てている。ナナハネを彼に任せたことを英断であったと考える一方で、あれほどの衝撃の中で眠っていられる彼女の神経を頼もしく思った。


「改めまして、ご協力ありがとうございました。ジュッカ・ハーバー様」


 スカーレットが今一度深く頭を下げた。背負い治したナナハネが小さくうめき、身じろぎをする。

 ジュッカは、出会った時と少しも変わらない冷めた表情で、彼女の礼を突き返した。


「そんなことはどうでもいい。貴様、どういうつもりで最高議会に属した」

「総帥閣下に協力を依頼されましたので、微力ではありますが、お力になれればと」

「なぜ、討伐した」


 スカーレットの返答は、即座に続いた質問によって遮られた。鋭利な言葉はとがめる響きを持っている。

 台詞を向けられた女は、一度視線を遠くにやり、落ち着いた調子で聞き返した。


「……。フェイデルのことでしょうか?」


 スカーレットの相貌に男の影が落ちる。ジュッカが一歩、踏み出していた。

 仁王立ちで彼女を見下ろす凛々しい顔。強い口調に含まれているのがどのような感情なのか、心の機微の見えないスカーレットには推し量ることができない。

 糾弾にも似た詰問を受けた女は、変わらぬ微笑の奥に小さな困惑を滲ませた。


を行うのではなく、のはなぜだと聞いている」

「……。それは……」

「ん……? 社長……?」


 二人の間に流れる不穏な空気を揺るがしたのは、スカーレットの背後から届いた可愛らしいうめき声であった。控えめなあくびを一つして、声の主がもぞもぞと動き始める。


「そんなめでたい頭でよくも勇者が務まるものだな。いや、だからこそ、か」

「あの……。それは、どのように解釈すれば……」


 尖った眼差しでスカーレットを一瞥すると、案内人の男は速足で歩き去っていった。思い当たることは、ないでもない。

 骨の浮き出た痩身の背中に、彼が最後に吐き捨てた言葉が重なる。凪いでいた水面みなもに投じられた石が、一つの大きな波紋を生んだ。


「スカーレット社長?」


 傍らの柔らかな声に呼ばれ、スカーレットは我に返った。ざわざわと主張を始めた気掛かりを胸の底にしまい込み、思考を前へと切り替える。

 そして、ごく僅かな空気の揺らぎから、奇襲の予感を察知した。


「今の人は? 私たち、もう着いたのー? えーっと、結局どうやって……!」


 果たして、二人の周囲で不穏な気配が膨らんだ。


「グラント・アイシス!」


 ナナハネが回避の態勢を取るのと同時、スカーレットが杖を振り上げていた。風刃、火炎球、土塊つちくれいかずち

 二人を目掛けて飛来した魔法の数は10足らず。当然のように全てを多重詠唱の魔法で撃ち落として、勇者は傍らの遊撃手を見た。


「おはよう、ナナハネちゃん。起きて早々だけど、いける?」

「もちろんです。絶対に助け出しましょう。ガスパーとレンリさんを」


 厳重な金属で組まれた巨大な門の前に、10名ほどの魔法師が整列していた。中心に分厚い金属装甲を身につけた男が立っている。

 スカーレットは、今一度隣の社員に目配せをした。社長の意向を汲み取り、ナナハネが頷く。


「待っていてくれたみたいね。肩慣らしにはちょうどいいんじゃないかしら?」


 人数を数えて、ナナハネが踏み出した。無数の杖が一斉に彼女へと向けられる。リーダーの男を見据え、臆することなくもう一歩。

 刹那、張り詰めていた空気が弾けた。


「プラズマ・カーテン!」


 ブリッツブレードの先端で黄金の光がほとばしる。合図を出そうとしていたリーダー、杖を構えていた者、何かを言おうとしていた者、軌道を読んで回避しようとした者。一人として逃すことなく、硬い地面に縫い留めた。対象範囲の人間を、一時的にマヒ状態にする固有魔法だ。

 ナナハネの後から悠然と追い付いてきたスカーレットが、得意の挑戦的な笑みを振り撒く。


「呼ばれていないけど、白き勇者参上!」


 ナナハネは白銀の、そしてスカーレットは黄金のバッジを胸元で輝かせて、身動きの取れない魔法師たちを見下ろした。


「魔法教会公認魔法師、第710号。ナナハネ・ハートリーです」

「同じく、第707号、スカーレット・オリエンス。大事な社員を取り戻すため、オリエンス商会より出張して参りました」


 ところが、倒れた魔法師たちの中に沸き起こったのは失笑であった。勝ち誇ったような台詞が飛んでくる。リーダーの男だった。


「残念だが、俺たちの動きを止められても、そう簡単に門は開かないぜ。無意味な殺戮はしないのがお前等のやり方なんだろう?」

「ええ、あなた方に危害は加えません。門は壊すことにします」


 こともなげに言い放つ勇者の目前で、白々しい冷気が渦を巻き始めた。動きを封じられた敗者たちの頭上に、濃厚な白が立ち込める。


「何だ、あれは」

「フロスト・シャイン!」


 漂白の霧は見る間に濃度を増し、巨大な正門の周囲に集束していく。倒れていた者たちは、揃って目をむいた。開門にもそれなりの時間を要する巨大な鉄の塊を、魔法で破壊しようと言うのだ。およそ人の常識からはかけ離れた突破方法であった。

 そして、直後。正門の輪郭が鮮烈な輝きを放った。

 誤って触れてしまった積み木の家のように。波に浚われた砂の城のように。乾ききって朽ち果てた枯れ木のように。轟音とともに、堅固なはずの金属装甲が崩れ落ちていく。

 壁同然にそびえていた広大な門が呆気なく崩れ行く光景は、冗談のようで、非現実的で、ともすれば神の所業のようにも映った。

 凍てつく瓦礫がれきの下で藻掻く魔法師たちに冷めた視線を送り、白き勇者は凛然りんぜんと言い放った。


「さあ、教えていただけますか? あの子たちの居場所を」



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