33 勇者と治癒師 2/3
「我が名はガスパー・ディアンツ。またの名をミッドナイトエンペラー。闇夜に生きるトレジャーハンターさ」
「ナナハネ・ハートリーです。精一杯頑張るので、よろしくお願いします!」
年が明けて間もなく、ガスパーとナナハネが入社してきた。
とかく体力がなく、毎日訓練や素材採取に励んで泥のように眠る生活を送っていたレンリと違い、二人は難なく社長の課題に応えて見せた。それまでもダンジョン探索などで生計を立てていたらしいガスパーはともかく、ナナハネは入社するまでは戦闘したこともなかったと言うが、脅威を見ても臆する様子がないのには驚いた。
それからは4人でダンジョンに赴き、素材の採取を行う日々が始まった。脅威由来の素材は特に貴重で、杖や耐魔服に使用されるということで、レンリたちは社長に命じられるままに世界各地のダンジョンに向かい、楽ではない探索活動に勤しんだ。
しかし、レンリにはどうにも
肝心の社長は見ているだけで、ほとんど戦闘に参加しないこと。
「——社長、この扉の仕掛けが解けなくて。助けてくださーい!」
「えっ? 私? ちょっと待って。このプレゼン資料ができてからでいい?」
「なんか仕事してるー!」
「僕等もだいぶ消耗してきましたね」
「ボスー、援護をー!」
「つきましては、後ほど担当の者がご説明に上がりますので。少々お待ちを。ダブル・アイシス! それでは、明日以降のご都合を……」
「って、誰かと通信してるー!?」
「あなた、ここをどこだと思ってるんですか? ふざけてるんですかー……!」
万事がこの調子である。
そして、もう一つ、気掛かりなこと。それは、行く先々で必ず竜に襲われることだった。
「この子は
「大地竜・ルードリッヒ。弱点は闇と氷ね。ナナハネちゃんは大地属性の攻撃に気をつけて!」
「
「風邪竜・シルフィード。水と氷が弱点よ。範囲の広い攻撃に注意してね!」
竜と鉢合わせる度、社長は明晰かつ簡潔に解説を与えた。まるで、初めから戦うことが定められてでもいるかのように、その流れは自然なものだった。
この探索には、素材収集以外の目的がある。そう確信していたレンリは、再三に渡り女社長を問い詰めた。しかし、彼女は
「今はまだ、話すべき時ではない」
「もっと強くならないと。そうしたら……」
この頃の社長がしばしば口にしていた台詞も、刹那に見せる感情の
*
「これだけは覚えておいて。世の中っていうのはね、9割型どうにもならないことでできてるの。諦めることも見捨てることも、選んでいかなければ、私たちは前には進めない。そして……。時はそれを待ってはくれないということもね」
救出が間に合わず、10人以上の人質が閃光竜・ルクシオールに捕食されるという悲惨な事件があった。救えなかったことを悔やみ、あるいは涙する3人に、社長は忠告した。
彼女の使う氷のように冷え切った声だった。冴え渡る青の瞳は温度を持たず、いっそう寒々しく見えた。
どんな経験が、いかなる思いが、こんな顔をさせるのか。当時のレンリには、推し量るべくもないのだった。
氷結竜・グレシアス。極寒の迷宮の最奥で待ち受けていたのは、氷属性に耐性のある竜であった。
社長は致命的なほどに寒さに弱く、彼女の使う魔法は悉く防がれるという、非常に苦しい戦いを強いられた。そこで手に入れたのが、現在も彼女が肌身離さず持ち歩いている竜殺しの杖、フォースラビリンスだった。
会社に戻ったあと、社長は重ね重ね3人を労ってから、自らの抱える秘密の一つをそっと教えたのだった。
「私の生まれた年は、妖精暦496年。実は、もう500年以上生きてるの」
*
「あら、みんな。せっかくお休みをあげたのに、こんなところで素材採取?」
「だっ、誰のせいだと……!」
魔竜の配下となった人間たちに襲われていた彼女の援護に駆けつけた時の台詞。
貴重な休日が一日無駄になったあの日。密かにレンリが退職の決意を固めていたあの時。3人は、思いもよらない選択を迫られることとなったのだ。
「近いうちに、私は、ある強大な存在と戦うことになっているの。私の命と、この世界の命運を賭けてね」
初め、レンリは何かの冗談だと思った。突拍子もないことを言い出すのは、この女の専売特許であったからだ。
しかし、女の真剣な眼差しが、紡がれる台詞の内容が、不真面目な思考を許さなかった。
「あなたたちを採用したのは、私と一緒に戦ってもらうため。だから、中途半端な実力の人間ではだめだったの。素材の収集という名目であなたたちを連れ回したのは、あなたたちを強化して、少しでも勝率を上げるため。属性竜を倒して周っているのは、彼女たちの戦力を削るため」
女社長は世界の真実を語った。会議の議事録を読み上げるような淡白さで。予め定められた筋書きを辿るような完璧さで。
「戦闘に適さない現代の人間からあなたたちを見つけ出すのには、本当に骨が折れたわ。数えきれない失敗を重ねて、何度も諦めたくなって、その度に何度も思い直して、言い聞かせて。そこまでしても、集められたのはたったの3人だったけど」
「何を……言っているんです?」
遠い記憶の中で、レンリが聞き返す。
青い瞳が順に3人を見た。そこにあったのは、見慣れた笑顔の仮面ではなかった。
彼女は問うた。願うように、祈るように。
どこからか吹き抜けた風が、長い髪を揺らしていた。
「ねえ、みんな。私と一緒に、賭けてくれますか? たった一つの……大切な命を」
*
「あの子たちが羨ましい?」
魔竜フェイデルとの決戦を控えた夜のことだ。
逸る心を抑えきれずに会社を飛び出したレンリは、思いがけず女社長とばったり出会った。頭上に広がっていたのは、少し欠けた月と小さな星たちに彩られた、特筆するところのない、至って平凡な夜空。
家族にも、才能にも恵まれた二人の仲間に、嫉妬や羨望を抱くことも多かったのは確かだった。命懸けの戦闘を控えて感傷的になっていたことも手伝って、本音が口を突いて出てしまった。
「まあ、羨ましくないと言えば嘘になります」
そして、こともあろうに、心を許すはずのない上司に、打ち明けてしまった。親の
何の身にもならない告白を一頻り聞いたあと、彼女が言った言葉は、慰めでも同情でもなかった。
「本当の孤独を知ってること。いろんな痛みが分かること。それはあなたの何よりの強みになるわ」
「僕の強みなんて……。そんなもの、とてもあるとは思えませんけど」
「
「頼っていただけることは、正直嬉しいです。ですが、どうしても僕は、自分にそれだけの価値があるとは思えません。フェイデル討伐が成功すれば、この気持ちも少しは変えられるでしょうか。その前に、生きて戻れるかも分かりませんけど」
心の奥底に押し込めてきた思いが、堰を切ったように流れ出していく。一時期はあんなにも嫌悪していた上司に、どういうわけか
彼女は、もったいぶるようなことはしない。すぐに暖かな声が返ってきた。
「私から言えることは一つだけ。あなたがここにいてくれて良かったわ。今まで付き合ってくれてありがとう。これからも、あの子たちを……。いいえ、私たちを支えてね」
「……」
不意に込み上げてきた感情に、レンリは返す言葉を探すのを忘れた。目の前の流れる髪に、華奢な肩に、冷たそうな手に、触れてみたいと思った。
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