30 女王の愛 1/2

 ◆24



 怪しげな二つの影が、一枚のディスプレイを隔てて会話を交わしている。トーンを限界まで下げた男の声が、一つの事実を淡白に告げた。


「奴等から知らせが。勇者が動いたと。明日にはこちらに向かってくるかと」


 応じるのは、憂いを帯びた艶やかな女の声だ。


「やはりあの程度では足止めにもならぬか。例の男は?」

「捕えてあります。ご覧になられますか?」

「ああ。興味がある」

「陛下に逆らうことのできないよう、仕込んでおきましょうか」

「いいや、そのままで良い」

「御意」


 感情の見えないやり取りだけが続く。


「お前を宮廷魔法師として迎える用意もできておる」

「兵は揃えました。用意は万全でございます。ここは、『絶対支配』の異形者いけいしゃである、このダルフ・シュトロームにお任せを。ユーレニア・レーヴェンス女王陛下」

「ああ。大いに期待しておるぞ」


 薄闇に沈み始めた自由都市で、悪意の花が開こうとしていた。



*



 何か、良くない夢を見ていた。思い起こしてみれば、幼少の頃の夢は、大抵が悪夢だったように思う。

 淀んだ幻に揺り起こされるように、レンリは目を覚ました。薄暗く窮屈な空間の、固く冷たい床に寝かされている。

 拘束の類は一切なされていないようだった。侮られたものだと思うが、杖がないのでは非力な自分にできることは少ない。

 と、すぐ傍でいくつかの靴音が聞こえ、レンリの背に緊張が走った。低いトーンの話し声とともに、複数の気配が近付いてくる。

 レンリが覚悟を決める時間を与えず、その気配たちは転がったままの彼を取り囲んで見下ろした。


「荒療治はしたくなかったものだが」


 聞き覚えのない女の声が降ってくる。暗く、重く、し掛かってくるような言葉が、一つ、また一つと落ちてくる。


「返すわけにもいかぬのでな。ダルフ、始めよ」

「御意」


 その言葉が手足を縛る枷となったように、レンリは身を起こすことができなくなっていた。胸が圧迫されるような間隔に蝕まれる。

 けれど、その原因がそこに立つ女から放たれる威圧感にあると、分析するだけの理性は残っていた。

 たっぷりと足先まであるドレスを従者に持たせている。考えるまでもなく、一目で彼女がこの国の女王だと分かった。唐突に訪れた謁見の機会は、しかし、とても幸運を運んでくるような代物ではない。

 逡巡したのはほんの刹那。レンリは、女王を真下から見上げた。皮肉な口が強気な口上を紡ぎ出す。


「御目通りを賜り、大変光栄でございます。とでも言えば満足ですか? 女王陛下」

「ほう、我を相手にそのような口を利くか」

「申し訳ありません。平民の家系の生まれゆえ、高貴なお方に対する敬意の払い方を存じ上げないもので」


 殊勝な態度を装って、形ばかりの詫びをする。一度彼女の言葉に屈してしまったが最後、二度と平常の自分を取り戻せなくなるような、そんな錯覚に駆られていた。


「まあ、良かろう。威勢の良い方が、奪う楽しみも増すというものだ。そうであろう?」


 低く甘やかな声で、うっとりと、歌うように、女王が言う。このあと自分に待ち受ける運命を予感して、レンリの胸中には激しい感情が渦を巻き始めた。

 反応に窮する彼の頭上から、もう一つの視線が注がれる。魔法絵の部屋で奇襲を掛けてきた男だった。


「女王陛下は、この国の全ての民を等しく愛しておられる。自国の民のためならば、どのような労苦も惜しまれないご立派なお方なのだ」


 レンリは口を動かした。頭を働かせ続けた。

 思考を止めてはならない。弁舌を途絶えさせてはならない。それらを放棄した時、自分にとっては言わずもがな、仲間たちにとっても望ましくない未来が確定してしまう。


「知っていますよ。究極の愛国主義者。その実体は、自国民だけを優遇し、他国民を徹底的に差別し、排除する。愛郷心なんて耳触りのいい言葉で飾り立てても、あなたの考えは選民思想以外の何物でもありません」

「我が国の民は選ばれた者であるべきだ。それの何が間違っている」

「間違っていますとも。もちろん、人間にそのような一面があることは否定しませんが。他者をおとしめることでしか幸福を得られないなんて、まともな価値観ではありません。そんな悪意だらけの基盤の上に築かれた平和が、長続きするはずがないでしょう……!」

「バブル」


 危機感に反して溢れ続ける言葉を塞き止めたのは、全身を駆け抜ける激痛だった。

 体内で何かが弾けるような凄まじい感覚が断続的に繰り返され、流れるようだった思考が一瞬にして焼き切られる。


「安心せよ。痛覚を付与するだけの魔法だ。よく鳴くねずみにはちょうど良かろう」

「ああっ! うああっ!」


 やめさせたいのに言葉にならない。意思に反して体が跳ね、声が溢れる。

 間もなく、体内を暴れ狂っていた怪物は消え、耳の痛くなるような静けさが辺りを覆い去った。頭を激しく床に打ち付けた痛みと、全身に残る激痛の余韻とで、レンリの意識にはもやが掛かっていた。

 脆弱な心に諦めという言葉がちらつき始める。


「大人しくなりましたな」

「商業都市と言ったか。価格競争? 経済改革? 金の流れを平民に委ねるなど愚の骨頂。力なき民は、我々の庇護なくしては生きられはしないのだからな」


 『愛と平和の自由都市』を掲げた事実上の独裁国家。この女王のご機嫌を伺いながらでなければ享受できない自由が、果たして国民たちに真の幸福をもたらしているのだろうか。

 少なくとも自分ならば願い下げだ、レンリは潰えそうになる思考を必死の思いで繋ぎ留めていた。



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