29 希望の在処 2/2

「先に申し上げました通り、現在我が社所属の公認魔法師が消息を絶っております。自由都市レニスで発生中の大規模誘拐事件に巻き込まれたと見て、相違ないかと」

「あの国が関わっているのか。これは厄介なことになった。それも、我が教会の公認魔法師が二人も行方不明とは」


 隣席の部下から伺いの視線が届く。頷きを一つ返して、了承の意を示した。

 レニスの事件のことは無論耳に入っている。被害者に画家と錬金師が多いという話も聞き及んでいる。

 しかし、当該国の自警団が強く牽制をしてきており、関与しない方針を固めたところであった。勇者の口ぶりから傍観したままではいられないことを悟りつつ、カザールは台詞の続きを促した。


「そこで、折り入ってご相談がございます。ミント・エドナント様。あなた様の異形をお貸しいただきたいのです」

「チーナにでも聞いたか。最近懇意にしているようだな」


 再度、腹心と視線を交わし合う。総帥の意向をよく汲み取った補佐官は、期待と違わぬ返答を口にした。


「そういうことでしたのね。ですけど、わたくしの『広域探知』は魔力の消費が激しく、おいそれと使用できるものではありませんわ。わたくしの心身のため、一日に一度しか使わないと決めているのです」


 補佐官が息を継ぐ。勇者が無用な希望を見出す前に、透かさず続けた。


「そして。当分は優先順位の高い依頼がすでに入っておりますの。10日……いいえ、どんなに譲歩をしても5日間は待っていただきませんと」

「もう少し早めていただけませんか? 今日中にお願いしたいのです」


 落胆するでもなく、食い気味になるでもなく、さりとて妥協を受け入れる風でもない。堂々とした態度で虫の良すぎることを言う女に、ミントはもちろん、カザールまでもが失笑を禁じ得なかった。呆れた返答が返される。


「聞いておりませんでした? どんなに早くても5日後と申し上げたではありませんか」


 ミントの横から、カザールが言い募る。でき得る限り余計な感情は排したはずだったが、呆れかえる気持ちを抑制し切ることはできなかった。


「第一席の異形を必要としている者は数多い。それこそ、今の君のように。彼等の悲願をないがしろにしても自分の欲望を優先しろと言うのは、さすがに身勝手が過ぎるとは思わぬか」


 たしなめるように、言い含めるように。そんな総帥の説得にも、勇者は背筋を伸ばしたまま、臆することなく反論する。


「罪のない二人の市民が命を奪われました。これ以上看過しておくわけにはまいりません」

「それは本件に限ったことではないぞ」

「二人が無事に戻れば、マーシュ・クワイトとワンラインに関する情報を得られる可能性が高いと考えます。無用の犠牲を出さないために、ワンラインの行方に迫るためにも、最優先にすべき案件ではないでしょうか?」


 カザールが厳粛な態度で反駁しても、勇者は一歩も譲らない。強固な意志がせめぎ合う。鋭利な視線が交錯する。

 間もなく、小さく息を吐いて、折れたのはミントだった。


「分かりましたわ。3日後にいたしましょう。それ以上は無理ですわ。5日間待っていられたのですから、あと3日間くらい待てますわよね?」


 ミントは無言で返答を急かした。承諾以外を許さない空気に、それでも、彼女は当てられなかった。

 折り目正しい姿勢を維持したまま、勇者は告白した。サファイアブルーの瞳に決然たる意志を宿して。


「以前お会いした際、総帥閣下は私の素性について尋ねてこられました。今ここでお話しします。閣下のおっしゃられた仮説は事実です」


 唐突な話題転換に、聞いていた二人は狐に摘ままれたような顔をした。しかし、すぐにその意味するところを理解して、表情を引き締める。


「要するに、君は、自分の正体を明かす代わりに早急に社員の居場所を捜索しろと、そう言っているのだな?」

「ええ」

「その情報が我々にとっても有益であると?」

「ええ。閣下のご意向次第で、如何様にも利用できるかと」

「うーむ……」


 知らず、カザールは唸りを漏らしていた。明らかに人の枠を超えた勇者、彼女に対する好奇心が、全ての打算を凌駕している。

 力強く肯定する勇者を真正面から見下ろす。さすれば、彼女が自分たちを欺く可能性など見出せるはずもない。その相貌にあったのは、半端な覚悟ではなかった。

 なればこそ、問わずにいられない。


何故なにゆえ、そこまでする」

「そうですわ。3日ですわよ。たったそれだけの期間を縮めるために、これまで守り通してきた秘密をわたくしたちに打ち明けるとおっしゃるのですか? あなたの立場が危ぶまれるかもしれませんのに?」


 呼吸3つ分ほどの、重々しい沈黙。二人に注がれた等分の眼差しが、俄かにかげりを帯びた。

 正体不明の感情で確かに相貌を揺らして、勇者は語った。とてつもない何かを秘めた瞳だった。


「一日、一時間……いいえ、一瞬。たった一瞬でも判断が遅れれば、人は簡単に命を落とすのです」



*



 夕日せきじつに燃える街並みを、ナナハネは急いでいた。

 両腕に抱えた風呂敷包みはずっしりと重く、今日一日で集めた情報の多さを物語っている。

 レニスの現在の女王についての噂、ロダン・クライシーを取り上げた雑誌や広告の切り抜き、関連があると思われるトランスゲートの使用履歴。苦手な活字を読み漁り、自警団に直談判をし、得意先の事情通に聞き込んで周った。真偽の精査を先送りにして集めた情報は凄まじい量となっていた。


「私は一日出かけてくるわ。ナナハネちゃんは情報を集めておいてくれる?」


 今朝早く、勢いのあるノックとともに現れた社長は活き活きとしていて、いっそ心配になるほどであった。しかし、彼女の纏う雰囲気からは、希望や光明と呼べそうな光が溢れていて、それにすがらない選択肢はナナハネにはないのだった。例え、それが不確実で儚い望みだったとしても。

 一刻も早く思い人を取り戻したい。彼等に繋がる糸口を決して見逃したくはない。

 そして、弱みを見せることなく一人戦い続ける彼女の力になりたい。


 雑踏の中に二階建ての白壁を認めて、ナナハネは足を速めた。逸る気持ちを抑えきれず小走りになり、そして、道の端の段差に足を取られる。


「あっ」


 そこは元サーカス団員、重心を移動することで転倒を逃れることはできた。ところが、両手に抱えていた包みの中身は想像以上に重量があり、支えきれずほどけてしまう。

 慌てて抱え直した結び目から本や紙片が怒涛どとうの勢いで流れ出す様を、ナナハネは諦観の眼差しで眺めた。


「ああ……。何やってるんだろ、私。しっかりしないと」


自身のうかつさにほとほと呆れながら、屈みこんで散らばった紙を拾い集める。一つ一つ汚れを払いながら風呂敷の中に収めていると、背後から規則的な靴音が近付いてきた。通行の邪魔にならぬよう、足元の荷物を慌てて端へと寄せる。

 やがて足音が止み、かと思うと、ナナハネの目端に白い手が伸びてきた。


「お疲れ様。お姉ちゃんのおまじない、今日も掛けてあげましょうか? もちろん目覚ましもサービスするわよ」


 背中から届いた凛々しい声。気遣いの台詞に茶目っ気を混ぜ込んで、彼女は微笑んでいた。


「スカーレット社長」

「分かったの。ガスパーくんたちの居場所が」

「っ! それじゃあ!」

「先方の様子が分からない以上、視界の利かない夜は危険だわ。私たちらしく、真正面から、正々堂々。明日の朝一で救出に向かうわ。絶対に二人を連れ戻しましょう」

「はい!」


 強靭な意思を相貌に湛えて宣言する社長に、ナナハネは力強い頷きを返した。眼前の景色が明るく塗り替えられる思いだった。

 社長は、勇者は、スカーレットは——。本当に希望を手にして戻ってきたのだ。

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