28 希望の在処 1/2

 ◆23



「ザビー様! 教会に不審者が侵入しました!」


 魔法都市ベルベリア、魔法教会総本部。

 中央にそびえる白亜はくあの大聖堂は世界一を誇る高さで、300年ほど前から人々の営みをただ静かに見守っている。

 信仰の対象は、世界を創り、人間と妖精を誕生させ、世界に魔法をもたらしたという創造神ユミール。と言われてはいるが、人々の心から神に対する信仰心が失われて久しい。それでも、救済を求めてこの大聖堂を訪れる者は連日後を絶たないのだった。

 荘厳な大聖堂を囲むように配置された建物には、宿舎や事務所、病院、孤児院やアカデミーなど、さまざまな施設が割り当てられている。

 詰め込まれたタスクを機械的にこなしていたザビー・ウィルドリーは、二つの事務所棟を隔てる渡り廊下で泣きそうな顔の事務員の女と出くわした。彼女の台詞を気の抜けた声で繰り返す。


「何、不審者だって? この中にかい?」

「はい。最高議会の人間に会わせろと言っていて」

「リト、何か感じるかい? 痛っ、聞くまでもなかったか」


 傍らの存在に問いかければ、すぐに軽いビンタが返ってくる。『感じてたらとっくに教えてるもん』、空飛ぶ少女の人形のような外見で、彼女は頬を膨らませた。

 ザビーの顔の横でふよふよと飛行士ながら、七色に輝く羽を顔やら肩やらに打ち付けてくるのは、先月新たに補佐役として迎えた妖精、ミスティー。リトという名前は、このミスティー本人が自ら名乗った物である。


「悪かったって。そのくらいのことで腹を立てるなったら。帰りに小悪魔プディング買ってやるから」

「あ、あのう……。ザビー様……?」


 好物の甘味の名を出して補佐役の機嫌を取っているところへ、控えめな声が掛けられた。奇妙な物を眺めるような眼に見つめられる。ザビーは、顔がかっと熱くなるのを感じた。

 ミスティーという妖精は、人の言語を持たない。即ち、先のやり取りはザビーの中ではれっきとした会話であっても、はたから見れば一人で要請に話しかけ続ける奇矯ききょうな男に見えたわけだ。

 『幻想掌握げんそうしょうあく』の異形を持つザビーにしてみれば、人も妖精も等しく対話の対象なのだが、そのことを知る者は、最高議会のメンバーと、親しい一部の友人のみである。そんな彼に言わせれば、妖精の声を聞けない人の方がよほど奇妙なのだが、誰からも理解されない主張であることは身に染みて分かっている。

慌てて咳払いをし、居住まいを正した。

 検問を突破された際に鳴る警報は鳴ってはいない。つまりは、第五席である自分自らが動くほどの事態ではないということだ。

 そう結論付けて、女の横を通り過ぎた。せめてもの情けに、同情の眼差しだけは送っておく。


「そりゃあご苦労なことだね。悪いけど失礼するよ。仕事が待ってるんでね」

「ザビー様ー!」


 背後から追い縋る声を振り払い、足を速めた時である。


「ごきげんよう」


 ひどく明るい女の声が後方から伸びてきた。つい今しがたまで威勢よく飛び回っていたミスティーが、小さな手を腕に回してすがり付いてくる。

 あまり聞き覚えのない声、その正体を確かめようと、ザビーは首だけを回す。そして、もっと早くに立ち去っておかなかったことを後悔した。


 薄青の長髪を靡かせながら、颯爽さっそうと歩いてくる長身の女。

 クリーム色の半袖シャツには襟がなく、丈の短いプリーツスカートの下には、運動用の野暮ったい靴を履いている。ジャケットも羽織っていなければ腕章やバッジも身に着けていない。

 魔法教会本部の人間は、職務に従事する時には正装かそれに順ずる服装でなければならないという決まりがあるのだ。そして、それは訪れる客とて同じこと。その女は、どう見てもこの建物の秩序から逸脱していた。


「やっとお会いできました。最高議会第五席、ザビー・ウィルドリー様。それに、リト様でしたかしら?」


 大人二人分ほどの距離で立ち止まり、女がふわりと微笑む。総帥に召集された時に一度顔を合わせただけの関係ではあるが、ザビーは彼女のことが好きではなかった。

 いつも快活で強気な相棒が、彼女を前にすると哀れなほどに怯えるのだ。さすがに魔法教会に害意を持っているということはないと思いたいが、警戒しておくに越したことはないだろう。

 じっとりとした眼差しに批難の念を込め、声を低めて問う。


「支給されたバッジは何のためにあるか、考えたことは?」

「そうですねぇ。身分を証明するためでしょうか?」

「その身分証明に必要なバッジを携帯していないみたいだが?」

「忘れておりました」


小さく肩を竦めて女は言う。悪びれる様子も見られないので、ザビーはついつい向きになった。


「だいたい何なんだい、その格好は。ここは魔法教会の総本部だぞ。ハイキングにでも行くつもりか」

「ここが総本部であることは存じておりますし、そのような予定はございません。これでも仕事中ですので」

「いちいち真面目に応えなくてもいい!」


 慳貪けんどんな台詞で反撃を試みても、彼女の微笑は揺るがず、堂々たる眼差しも変わらない。必死に説教をしている自分が愚かしく思えて、げんなりと肩を落とした。世の中には、こちらが気を揉むだけ無駄な相手が一定数いるものだ。


「それよりも、総帥閣下と第一席様にお取り次ぎ願いたいのです。受付の方に説明したのですけれど、どうにも分かっていただけなかったもので」


 人を食ったような笑みが、困ったようなそれに変わる。一見親しみ易くも見えるが、その表情が相手に取り入るための手段であることは一目で分かった。

 何せ、彼女の所作からは、気負いや遠慮というものがまるで感じられない。それ故かは分からないが、上から見下ろされているような錯覚に陥る瞬間があるのだ。この女が相手では、大概の人間はやりにくくて仕方がないはずである。


「そうだろうな。そんなふざけた格好で、バッジも持たずに入ってくれば、たちの悪い冷やかしだと思われて当然だ。勇者だからと言って、いつでも特別扱いしてもらえると思うなよ」


 わざわざ総帥の元まで足を運んでくるほどだから、彼女にとってはそれなりの重要事項には違いない。しかし、それをすんなりと彼の耳に届けてやるほど、ザビーはお人好しでも暇でもないのだ。

 薄い笑いが零れそうになった時、それをすんでのところで遮断するものがあった。それは、思いもよらない勇者の告白であった。


「では、このようにお伝えいただけますか? 第七席がワンラインの幹部に接触したと」

「何だって……!?」



 ザビーが慌ただしく取り次ぎをしている間、勇者は来客用の部屋で事務作業をしていた。熱心に書き物をしていたり、かと思えば端末で何者かと話をしたり、通りかかった女性職員に話しかけて驚かれたりとやりたい放題であった。総帥との重要な会合を控えているとは思えない、実に飄々ひょうひょうとした態度である。

 底の知れない厄介者というザビーの中の勇者の印象は、終ぞ揺らぐことがなかった。




*



 白き勇者がシャツ一枚で現れたという知らせを耳にした時、噂通りの型破りな女だと思った。しかし、彼女が携えてきたニュースが自身の予想の範疇はんちゅうを裕に超える物だったことで、魔法教会総帥、カザール・ハイエスタの感心は否が応でも高まったのだった。


「魔法教会の総帥を連絡なしで拘束しようとは何事か? 第七席公認魔法師、スカーレット・オリエンスよ」


 人払いを済ませた個室に、総帥、第一席、そしてくだんの第七席が向かい合っていた。暗に批難を匂わす口調で問うてみるが、勇者はまゆ一つ乱さず、見事な礼で応じて見せた。


「この度は、急なお呼び立てにも関わらず寛容なご対応をいただきまして、まことに恐縮でございます。カザール・ハイエスタ総帥閣下。ミント・エドナント様。ご連絡を差し上げなかった無礼を、どうかご容赦ください」

「おおよその話はザビーより聞かせてもらった。君がカロン・ブラックに遭遇し、御社の公認魔法師がマーシュ・クワイトに襲撃を受けたと。どちらも確かな情報なのだな?」

「ええ。相違ございません。経過はそちらにまとめておりますので、ご一読を」


 予めカザールに手渡していた紙束を指して、勇者は言った。一度ざっと目を通した報告書に一瞥を送り、カザールが切り込む。


「早急に対策を練る必要があることは理解した。しかし、この報告書には不明確な点も多いな」

「マーシュ・クワイトに接触したと思われる二人が、5日経過した今もまだ戻っておりませんので」


 やはり顔色を変えることなく、勇者は事実を告げた。カザールの隣で成り行きを静観していたミントが、目をみはる。


「公認魔法師が二人行方不明ですって? それも、5日も前からとは?」

「なんと。その者たちは無事なのか」

「ええ。健在であることは所持品の魔力痕から確認しております」

「ふーむ……」


 カザールは、顎に手を当てて思案に耽る仕草をした。

 これまでの会話から勇者の目的に察しはついていた。しかし、彼女が行方不明者を追うことでに接触する可能性が高いなら、事は慎重に運ばなければならない。少なくとも、正面衝突をさせるのは時期尚早だ。

 ひとまずは、目の前の女がどの程度真相に近付いているのかを探ることに決めた。なるべく重々しい口調を意識して、口火を切る。


「スカーレットよ。カロンが君に接触してきたのは何故なにゆえと考える?」

「そうですね。彼は、私が最高議会に席を置いたことを知っておりました。元第七席を殺害したことと、何か関係があるのではないでしょうか」


 予想通りの無難な回答に胸を撫で下ろす。世間の巷説こうせつによれば、破天荒ながら頭脳明晰で扱いにくい人物ということだが、この分では、にむざむざ潰されかねないとさえ思う。

 いずれにせよ、彼等の注意が勇者に向いているのは僥倖ぎょうこうというもの。彼女が気を引いている間に、こちらは存分にに専心できる。


「また君の命を狙っておるのやもしれん。君ほどの実力者に限って忠告は不要であろうが、くれぐれも警戒をおこたらぬようにな。また大事な戦力を失っては我々も慚愧に耐えない」

「心得ました」


 気まぐれに与えた忠告に、勇者が浅く首肯する。自身の身に危険が迫っているとは考えてもいない、そんな微笑で。

 僅かに頭をもたげた憐憫れんびんの情が、彼女の依頼を聞いてみようという気概を起こした。



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