27 描き続ける男 2/2

「リティ・ファーレッジ!」

「っ!」


 突如、男が立ち上がり、声を高々と張り上げた。

 レンリにはその行動の真意が読めない。理解できたのは、発せられたのがかつての英雄の名だということだけだ。

 困惑を隠せないレンリに、クライシーは得意げな笑いを見せた。


「何を……」

「ここにあるのは全て、陛下よりご賞賛を賜った特別製の魔法絵。聡明なあなたにこそ見てもらいたい」

「いえ、もう十分見せていただ……っ!?」



 刹那。

 壁に貼られた絵画の一枚が一際強い光を放った。あまりの驚愕に、言いかけた言葉が潰える。

 輝きの中に影を見た。輪郭だけだったそれが次第に色を帯び、鮮明になり、忽ちのうちに実体となってそこに立っていた。

 よく跳ねた茜色のポニーテールに、活発そうな深紅の瞳。肌は健康的に日焼けしていて、タンクトップとショートパンツから筋肉質な手足が曝け出されている。

 彼女の手に鈍く光る刃を認めて、レンリの全身に緊張が走った。脅威や動物を解体するのに使われる、ハンター用のナイフによく似ている。


「赤き勇者。なぜ、あなたが」

「ふははっ! どうだ、そっくりだろう? と言っても、ははっ、はははっ! 本物の姿は誰も知らないけれどね。魔法絵兵の恐ろしさを噛み締めながらせいぜい逃げ惑え!」


 先ほどまでの無表情が嘘のように、すこぶる愉快げに笑い声を響かせるクライシー。レンリは、流れるような口上の中から重要な単語を拾い上げ、歴然たる事実に行き当たった。即ち、酷似してはいるが、本物ではないということに。

 故に、加減は不要。


「っ!」


 赤髪の英雄がナイフを構えた。刹那、駆け出す。跳び退った。自分のいた場所に飛び込む影を目端に捉えながら、魔力を解放する。


「アース・シールド!」


 英雄が片足を軸にして方向転換、すぐに間合いを詰められる。が、一瞬だけレンリが速い。

 突き立てられるナイフを深緑しんりょくの結界が受け止めた。正面、切り上げ、切り下ろし。凄まじい速さで3回、突き出される刺突。

 レンリは瞠目どうもくした。女は、ナイフだけで結界を破壊しようとしている。


「ちょっと、そんな無茶な……!?」


 女は間合いを取り、ナイフを構え直した。かと思えば、脱兎だっとの勢いで走り込む。レンリの目では追うことのできない、恐るべき俊足だった。

 届かないと分かっていても、刃が結界に触れる度に背筋が泡立ち、息が止まる。


 正面が駄目なら脇から、それが駄目なら背後から。幾度か、それが繰り返された。結界を維持する魔力が失われていく。


「私の魔法絵兵は魔力を必要としない。いい加減に諦めな。命を取ろうと言うんじゃない」

「何の考えもなしに、僕が結界を張っていたとお思いですか?」

「何?」


 挑発的な台詞をぶつけて、レンリは結界を解いた。間合いはぎりぎり、タイミングは完璧。

 体重を乗せて突き出されたナイフ、その横を臆せずすり抜ける。渾身の一撃を送り出したばかりの女は、突然結界の中から現れた男に対応できない。

 決まりきった攻撃動作の合間、そこに大きな隙がある。

 すぐに振り向こうと足が動くが、治癒師の魔法の方が数瞬速い。


「ダブル・アルバード!」


 仮物の杖とは言え、上級魔法の威力は伊達ではない。降り注ぐ土塊は容赦なく女を土砂の山に沈める、そのはずだった。

 しかし、その魔法に触れた傍から、彼女の姿は紙屑と化して消えていくではないか。レンリが二重詠唱をする必要もなかった。


「なるほど。これが、魔法絵兵という物なんですね。何て儚い」

「魔法絵兵が破られた? それも、赤き勇者が? こんなことが……あなたはいったい」

「どうやら運が良かったようです」


 狼狽ろうばいし立ち尽くす男へ、レンリは一言だけ言った。

 有体ありていに言って、赤き勇者の魔法絵は脅威足り得なかった。確かに手数は多く、一撃一撃の殺傷力も侮り難いものであった。ただ、その動きが単調に過ぎたのだ。

 無論、そのことをみすみす知らせて対策を取らせるような愚かな真似をするつもりもない。

 ただ、と、レンリの思考に待ったが掛かる。それらの事実は、この部屋に存在する魔法絵が危険でないと、そう結論付ける根拠になり得るわけでもない。


「これが女王の狙いというわけですか」


 単純な動きをするだけの兵士も、使い方さえ心得れば十分すぎる凶器となり得る。増してや物だ、命を失うことを恐れる必要がない。そんな使い捨ての兵士をレニスが求める理由は。

 圧倒的で揺るぎのない真実を前にして、レンリは平静を保つことで精一杯であった。


「満点の回答、おめでとう! レンリ・クライブ!」


 盛大な音を立てて開いた扉から、聞き覚えのある声が流れ込んできた。緩みかけていた背筋を再び激しい緊張が襲う。

 晩餐会の舞台上で見た黒いローブがさわりと揺れ、高く上がった杖の先が冷気の色に輝いていた。


「シール!」

「アースシー……!」


 詠唱の開始は同時だった。二人の運命を分けたのは、魔法名の長さの違い。レンリの詠唱が最後まで形になることはなく、彼の傍に顕現しようとしていた大樹は溶けるように姿を消した。

 得意げに笑ったのは、相手の方だった。


「ぎりぎりだったな」


 黒衣の男が使用したのは、しばらくの間対象の声を封じるもので、氷属性の中級補助魔法。少なくとも人間は、声を乗せなければ魔法を打つことができなくなる。

 レンリは決して油断してなどいない。単に運の問題だった。


「……」


 まともに働かなくなった喉を押さえ、レンリは自嘲気味な笑いを見せた。こうなったからには敗北は必至。あとは無様に逃げ回ってこの男の手を少しでも煩わせるぐらいしかできることはない。


 ——これまでですかね。


 最後の悪あがきをしようと覚悟を決めたレンリに、魔法絵師を装っていた男が杖を向けた。


「お前の負けだ。ウィンター・ベルズ!」


 固有魔法、それも、広い範囲内に効果を及ぼすものだ。初めから避けられる可能性など残されていなかったのだと気が付いた直後、覆い被さってきた黒いもやに抗うことは叶わなかった。

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