24 地雷姫の嘆き
◆20
密かに脱出計画を
決定的な糸口を掴みたいレンリに、令嬢は
「あなたは、命が惜しくはありませんの? わたくしがその気になれば、今からでもあなたを告発することができますのよ」
「僕が魔法絵を描けないことを今更あなたが報告した場合、あなたも少なくない責めを負うことになるでしょうね。ずっと監視していたはずなのに、なぜ今まで気が付かなかったのか、とね」
「でっ、でしたら、助かる方法はもうこれしかありませんわよ」
「いえ。方法ならまだあります」
驚愕に見開かれた瞳がレンリを捕える。
「な、何をしようと
「さあ、どうでしょうね」
焦燥の滲むシュリーネの問いを挑発的にはぐらかす。
「そんな危険な道を選ばなくたって、わたくしを抱いてくだされば命は助かりますのに」
「僕も男ですから、それなりの手順を踏めばあなたとでも交わることは可能です。ですが、そんな健全でない関係なんて願い下げです」
「どうしてですの? わたくしにはそんなに魅力がありませんか?」
「少なくとも、体を重ねたいとは思いませんね。あなたも望んでここにいるわけではないのですから、なおさらです」
間を置かず、レンリは断ずる。シュリーネは、気丈な瞳を俯けて、何かに耐えるような顔をした。
こういう時は、下手に期待をさせるような回答は慎むべきだと知っている。例え、本能的に女としての彼女に心惹かれた部分があったとしても、だ。
「わたくしは、この日のために淑女としての正しき嗜みを……そればかりを磨いてまいりましたのよ」
深海色の瞳から水滴が溢れた。両手を顔に押し付けて
ただ一言、こう言い聞かせただけだった。
「それだけじゃないでしょう。人の魅力というものは」
その後はしばし、女の泣き声だけが部屋を満たしていた。
女のしゃくり上げる声を聞きながら、レンリはオリエンス商会で自分を探しているであろう女に思いを馳せた。
多忙な女社長は、今頃消えた恋人の行方を捜して飛び回っているのだろうか。あるいは、放っておいてもそのうちに戻ってくると
すっかり思考の水底に沈んでいたレンリは、届いた声にはっと我を取り戻した。
「わたくしは、パパの決めたことには逆らえないのです」
泣き腫らした目を藤色のハンカチで押さえながら、シュリーネが俯いていた。どこか遠くを彷徨っているような、そんな眼差しで。
聞くべきかを迷って、控えめに促した。
「なぜです?」
「一度、失敗していますから」
目だけで頷いて、拝聴の意思を示す。
「3年前の話ですわ。わたくしは、アカデミーの高等科を卒業したら、すぐに有名な領主様のお屋敷に嫁ぐことが、ずっと前から決まっていたのです。わたくしは、お相手の方が好きではありませんでした。公式の場ではとても誠実な対応をなさる方だったのですけれど、二人きりになると豹変して」
シュリーネは一挙にそこまでを話して、そして、言葉に詰まった。唇が、
「その……飢えた獣のような目で、わたくしを見て……
なるほど、と思った。相手の男はシュリーネの恐れる様子を見て楽しんでいたのかもしれない。よもや彼女に逃げられるなどとは思いもかけなかったのだろう。
それほどまでに、彼女の住む世界での婚約は重大な意味を持つのだ。
大きな深呼吸が二度、聞こえた。
「両家の手前、手を出されることはありませんでしたけれど、とても妻になる気にはなれなくて。わたくしは、婚姻の儀を執り行う当日に、
男は国内でも有数の領主であったため、大々的な騒ぎとなり、大層な恥を晒すことになった。無論それはローリントン家も同様で、シュリーネは地雷姫として国中に知れ渡ることになったのだという。
家の財政も傾き、苦境に喘いでいるところに舞い込んできたのが、今回の計画であった。
「勇者一行の仲間を系譜に割り込ませることに成功すれば、ローリントン家は再び世間の信頼を取り戻せると。パパはそう
「あなたは、そのための道具だと」
「ええ」
「あなたは納得しているのですか?」
「するしかないでしょう。家紋に泥を塗ったのはわたくしなのですから」
彼女等の事情は理解し難い、と思う。この世に生まれ落ちた瞬間から歩むべき道を設計され、決まりきった役目や家系の未来を背負わされる。どの社会にもしがらみは付き物だが、貴族社会の窮屈さたるや他の比ではない。
他人を慰めるなどという高等技術を持ち合わせないレンリには、気の利いた台詞を用意することはできなかった。
「良かったじゃないですか」
口を突いて出た言葉は無神経なことこの上なく、案の定、シュリーネの
「いえ、今のは決して悪い意味ではなく……。あなたは、ご自分の未来を変えるために行動できるじゃないですか。周囲がどう言おうと、逃げる選択をしたあなたの勇気はとても立派だったと僕は思います」
「でも、みなさん
彼女の心痛を思えば、言うべき答えは決まっている。彼女の言葉を否定し、その行動を肯定し、称賛すればいい。
けれど、押し出されるように口から溢れたのは、本人も全く予期せぬ台詞だった。
「いいですか、シュリーネさん。他人というものは、得てして好き勝手に何でも評価をしたがるものなんですよ。誰があなたの代わりに責任を背負ってくれると言うんです?」
「でも……。今度失敗したら、わたくしはもう、パパからも期待すらしていただけなくなってしまいますわ。それが……とても怖いのです」
「重荷にしかならない期待があなたにとって有益なのか、僕には判断できませんが」
言葉を区切り、息を継いだ。目前の令嬢は、顔を俯けたまま、黙って話に聞き入っている。
押し付けがましくならないように、あえて平坦な口調を意識する。
「誰かの言いなりになるだけの人生なんかより、責任を持って自分で選んだ道の方が何倍も魅力的だと思いませんか? どうせ、未来なんて誰にも分らないのですから」
脳裏に過るのは、レンリの前を歩み続ける彼女の姿。
自らを見失う度に支えにしてきた言葉たちが、シュリーネの心にも何かを呼び覚ましたようであった。女の顔から少しずつ
なぜなのかは分からない。分からないけれど、何かが詰まったようになって、胸の奥がひどく苦しかった。
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