20 動揺の昼下がり 1/2

 ◆17



「セレン、杖の納品期日を延ばしてもらえるか交渉して。話の分かりそうなお客様から。値下げは20パーセントまでね」

「了解」


 始業直後のオリエンス商会オフィス。通常時よりも活気の足りない屋内には、凛然とした女の声がよく響く。

 デスクの間を忙しなく渡り歩きながら社員たちに支持を出しているのは、寒色系の色彩が涼しげな女社長である。


「シャルナちゃん、契約書の発行をお願い。シャルネちゃんはとにかく優先的に納品書を。お客様がきたら、まずはセレンに回して。リーゼちゃん、ガルオンくん、何かあったらフォローをお願いね」

「分かりました」

「液体ポーションの商品開発は見合わせましょうか。その代わりに、代替商品の在庫を多めに確保したいわ。その辺りの交渉は私が。都度連絡するから、頭に入れておいてね」


 書類や封筒を渡し、あるいは受け取り、時折手帳を開いたり、何事かを書き加えたりしながら、足運びも軽やかに、デスクからデスクへ。社員たちの質問にも的確かつ簡潔に応じていく様は、まさに辣腕らつわんの経営者である。

 恋人が失踪中の身とは思えない颯爽とした態度だが、そのことを薄情などと断ずる者はこの会社にはいないのだった。



*



 スカーレットとナナハネは、再び自由都市レニスへと足を運んでいた。現地の自警団から仕入れた行方不明者リストに載っていた住所を当たり、手掛かりを掴むことが目的だ。

 扉の隙間から怪訝そうな顔を覗かせた老人に、スカーレットは膝を折った優雅な礼を見せた。途端に、相手の目には困惑と警戒の色が宿る。


「おっ、お前さんたちゃ、いったい?」


 透かさず自然な笑顔のナナハネが前へと進み出る。急に戸を叩かれて、様子を見にきたら品の良さそうな見知らぬ女が敬礼をしてきたとあっては、猜疑か緊張化顰蹙ひんしゅくのどれかを買うのは目に見えている。


「えっと、私たちは、この辺りで行方不明になった人を探しているんです。少し協力していただけないかと思って」

「そうかい。そりゃあ気の毒だが、わしは何の役にも立てんぜ」


 一言言うと、老人はすぐに扉を閉めようとした。半信半疑、あるいは、厄介事はごめんだという顔だ。

 慌てたように、ナナハネが言う。彼女の特技の一つ、真に迫った表情を浮かべて。


「私たちの探し人なんですけど、同じところにいたかもしれないんです。あなたのお孫さんと」

「何じゃと?」


 老人は、それまでの警戒が嘘のように、錬金師として生計を立てていたという孫が行方不明になった経緯いきさつを語って聞かせた。


 二軒目には、失踪した錬金師の母親を名乗る女が住んでいた。警戒心も露わだった彼女も、ナナハネとの世間話を経てすっかり心を開き、行方の知れない息子のことを涙ながらに吐露とろした。


 持ち前の自然体と機転でナナハネが聞き込みをし、スカーレットがその内容を記録していく。

 スカーレットは時折何かを言いたげな様子を見せることはあったが、ナナハネの聞き込みに口出しをすることはなかった。

 転移装置トランスゲートを使い、相当の距離を歩いて、さらに数軒の家を当たった。

 通行人に尋ねたり手帳に書かれた住所を疑ったりしつつ、通ったこともない街を歩くのには、いくらスカーレットと言えどもかなりの神経を要した。あまつさえ、中は留守のことも多く、その度に二人は収穫のない身体を引き摺って、次の目的地まで移動せねばならなかった。

 そうして心が摩耗まもうするような調査を3時間ほど続けて、二人は行方不明者の共通点を見出していた。即ち、ほとんどの人間が錬金師か魔法絵師のどちらかであったことだ。


「レンリさんは魔法絵を描いてたし、ガスパーは錬金師だった。こんな偶然があるわけないですよね」

「ええ。この失踪事件を追えば、必ず二人のところに辿り着けるわ」


 彼等の行方に繋がる糸口を見出したことで、曇りがちだったナナハネの表情に晴れ間が覗いていた。


 例によって午後から仕事に戻ることになっている二人は、本日最後の民家へと足を運んでいた。

 青い外壁に赤い屋根、背が高く窓の大きいその家は、魔法絵師の夫とパン職人の妻が住んでいる家であった。

 周囲をぐるりと取り巻くように配置された花壇はよく手入れされているのに、どこか活気がないように見える。

 スカーレットは家の外観が見渡せる位置でしばらくの間立ち止まっていたが、心配そうに見つめるナナハネに小さな頷きを一つ送って中へと進んでいった。


「こんな物が届いたの」


 毎日やってくる客のために、店を休みにするわけにはいかないと気丈に振舞う妻は、一枚の封筒を二人の前に差し出した。


「晩餐会の招待状だよ」


 白い鳥が描かれた封筒の中には、何も入ってはいなかった。中にあったのが招待状だったとするなら、失踪した夫が晩餐会とやらの会場に持参したと考えるのが自然だろう。


「これはこの国の王家の紋章でしたね。確か、極楽長と申しましたかしら?」


 空の封筒を片手にスカーレットが問うと、女は小さく首肯してから顔を曇らせた。


「そうだよ。うちの亭主ときたら、女王陛下に認めてもらうんだって大張り切りでねぇ。それが、このザマだよ」

「差出人が書かれていませんけど、どなたからだったか覚えてませんか?」


 封筒の両面をくまなく調べながら、ナナハネが言った。これまでの調査では明確な答えを得られなかった質問だ。

 しかし、彼女はその名をはっきりと覚えていた。


「確か……ロダン・クライシーと。魔法絵を描く有名な人だよ。亭主も大ファンだったんだ。あの人は……騙されたんだよ……。有名な画家を名乗る怪しいやからに…

「……」


 使い込んだエプロンに涙が落ちる。スカーレットは素早くその名を手帳に書きつけていた。ナナハネは何かを耐える表情をしていた。


「旦那様が無事に戻られるよう、お祈り申し上げます」


 白々しく頭を下げて、の家を後にする。このあと、パン屋の女がどんな運命を辿るのかを、スカーレットは一足先に悟っていた。


 女が手土産にと持たせてくれた紙袋には、ベーコンと野菜のキッシュが二つ入っていた。歓声を上げてから、すぐに神妙な面持ちになって、ナナハネは言った。


「旦那さん、無事に帰ってこられるでしょうか? あんなにおいしそうなパンを焼いて、全然知らない私たちにこんなに親切にしてくれる人だもん。また旦那さんと仲良く暮らしてほしいなって」


 ふと、ナナハネが足を止める。いつの間にか、スカーレットの姿がやや後方になっていた。


「……社長?」


 二呼吸分の間が開いた。伝えるべきか迷っている、そんな気配。

 間もなく、スカーレットは口を開いた。


「あのね、ナナハネちゃん。さっきの方の旦那様なんだけど。ついさっき、亡くなられたみたい」

「えっ……!?」


 抑揚のない声が告げた。ナナハネが瞠目どうもくする。絞り出すように聞き返した。


「魔力痕、ですか?」

「そうよ」


 死者の魔力痕は、大気中に霧散して一日も経たないうちに消えてしまうのだ。

 スカーレットの目は捉えていた。家内に満ちた光の粒子を。至るところでゆらゆらと棚引く魔力の痕跡を。それは彼女にしか見えない、悲しい光景であった。

 彼が死亡したということは、つまり、晩餐会の参加者に命の危険が訪れたということ。


「ガスパー!」


 ナナハネが声を上げた。

 最悪の可能性を振り払うべく、二人が取り出したのは恋人たちの所持品だった。スカーレットは小さく折り畳まれたハンカチを。落ち着いた青地に、緑の糸で植物の刺繍がされている。ナナハネは、いつもガスパーが左目につけている眼帯と同じ物を。

 スカーレットがそれぞれ手に取って、魔力痕を調べ始めた。ナナハネは緊張で身体を硬直させて待っている。

 時を置かず、スカーレットはふっと全身から力を抜いた。すぐに深い首肯が続く。


「大丈夫。二人は、まだ生きてるわ」

「よかったぁ……」


 その時、聞き慣れた電子音が二人の耳に飛び込んできた。出所はスカーレットの方だ。ディスプレイの向こうから届いた声は、強い緊張をはらんで落ちてきた。


「スカーレット、すぐに戻ってきてくれ」

「セレン? 何かあったの?」

「自警団から連絡を受けた。トランスゲートの裏手で……」


 不吉な予感が雑音となって、スカーレットの聴覚を支配する。途切れ途切れのノイズを割って、彼の声は明瞭に胸の奥へと届いた。


「二人分の遺体が見つかった」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る