19 杜撰な報告書

 ◆16



「待ってよー! 待ってったらー!」

「待てと言われて待つやつはいなーい!」


 目を丸くする令嬢たちの脇をすり抜けながら、ガスパーは目いっぱいに叫んだ。

 埃一つ落ちていない廊下に新たな靴跡を残しながら、彼は全速力で駆ける。

 規則正しく並ぶ窓には厚手のレースが掛けられて、光は入れども外に広がる景色の輪郭を見ることはできない。それでも、レース越しに届く太陽は意気込み十分で、大いなる熱を屋内にも分け与えていた。

 鼻孔に届くのは、田舎を思い出す朝露煌めく緑の匂い。


 気が付けば、軟禁生活4日目の朝である。


「ガスパー様ー!? 何で逃げるのよー!」

「君のそのカッコは何なんだー!?」

「何だって何よー! 見れば分かるでしょ!?」


 世話係を自称する娘、アウリエッタとは、それなりに気兼ねなく会話ができるようになっていた、そのはずだった。昨夜結婚を申し込まれるまでは。

 そこで二人の間には重大なすれ違いがあることが分かり、ガスパーは、できる限り誠実に謝意を伝えたつもりなのだが。

 少女を泣かせてしまったことは非常に心苦しく、罪悪感も一入であったが、しかし、彼はこうも思ったのだ。これで当分は彼女も踏み込んでこないだろう、と。


「そっ、そんなカッコで走ったらー、パンツ見えちゃうぞー!」

「そんなに見たいなら見せてあげるのにー!」

「誰が見たいって言ったー!」


 ところが、彼の読みは見事に外れ、結果、この逃走劇である。

 朝、すまし顔で部屋を訪ねてきたアウリエッタは、それはそれは過激な服装をしていた。と言っても、ガスパーの頭で理解できたのは、布地の面積がかなり少ないということだけだ。

 同世代の異性とまともな交流を持ってこなかったガスパーにとっては、その刺激的すぎる光景は目の毒でしかなかった。


「ガスパー様ったらー!」

「くるなーーー!」


 一度立ち止まって、素早さ上昇の固有魔法を掛けられれば。そんなことを考えていると、部屋の並びに開けた場所が見えた。

 中を確認するのも忘れて脱兎だっとの如く走り込む。開きっぱなしの扉を素早く閉めると、内側から鍵を回して一息ついた。すぐに戸が叩かれるが、当然開けるつもりなどない。


「誰もいませんよー」

「いるじゃない! 開けて! 開けなさいってばー!」


 改めて室内を見回すと、人の気配はなかった。ずらりと並んだ細長いロッカーと、6人掛けのテーブルが配置されている。

 扉が激しく叩かれ、名前を呼ばれ、焦燥が募る。少女のあの姿を正面から目に入れてしまったら、いろいろな意味で今度こそ無事ではいられないかもしれない。


「分かった、開ける! 開けるから、先に着替えてきて! お願い!」

「嘘じゃないでしょうね?」


 がくがくと頷いて、扉越しであったことを思い出し、言葉を付け足した。


「嘘じゃない、嘘じゃない」


 攻撃的な靴音が小言とともに遠ざかっていくと、ガスパーはほっと胸を撫で下ろした。一時的にではあるが、危機的状況から脱することはできたようだ。

 丸い窓枠に手をついて、大きく息を吐く。ここは、彼女が自分の頼みを聞き入れて、目に優しい装いで戻ってくることを信じるべきだろう。


 手持無沙汰になって、窓際に面したロッカーの扉に手を伸ばした。

 中に入っていたのは、木箱の山だった。湿った匂いが鼻を突く。


「むむむ……?」


 熱心に中を覗き込んでいると、奥に押し込まれた紙束が見えた。気に掛かるものがあり、手に取ってみる。

 ぎっしりと詰まった文字は一見難解そうに見えたが、読んでみるとどうということはない。それは、単なる謝罪文であった。

 提出期限か何かを守れなかったことへの謝意が、もどかしくなるような婉曲表現を用いて繰り返し書き連ねられている、ただそれだけの文章。

 その丁重が過ぎる文面に、ガスパーの好奇心がむくりと頭をもたげた。


「これ、誰に……」


 その時である。唐突にガスパーの鼓膜を叩く音があり、彼の鼓動は大きく跳ね上がった。

 全く同じ間隔を置いて続く、神経質なノックの音。直感が思考を追い抜いて、ガスパーは扉の元へと駆けていた。


「レンリ!?」


 果たして、開いた扉の隙間から、目に優しい色彩が覗いた。

 彼は、扉の向こうから現れた顔に、驚愕と安堵の混ざった表情を見せた。しかし、それもほんの一瞬のことで、すぐに彼らしいすまし顔に変わる。


「ガスパーさん。生きていましたか」

「久々の再会だというのに……?」


 レンリの手が顔の方に伸びてきて、ガスパーは慌てて口を噤んだ。廊下の向こうからかしましい声が聞こえてくる。その声の一つがアウリエッタの物だと気付いたガスパーは、途端に顔を曇らせた。

 当然のようにレンリが敷居を跨ぎ、扉を閉める。レンリに倣い、扉に耳を寄せて廊下の様子を伺う。


「はしたないですわね。もう少し余裕を持ったらいかがですの? アウリエッタちゃん?」

「あーら、シュリーネお姉様? そーんな悠長なことをおっしゃっていたら、あーっという間にあなたのような行き遅れになってしまうじゃない。地雷姫様?」

「なっ、何ですってぇ!? あなた、そんな風に生意気だから、ターゲットにも逃げられるのではなくって? どうせ課題だって進んでいないのでしょう?」

「何よー! そう言うお姉様なんて、真っ先に泣かされて戻ってきたじゃないのー!」

「あっ、あれは! ちょっとタイミングが悪かっただけですわ!」

「どうせ今だって、またふらっといなくなったターゲットを慌てて探し回ってるんじゃないの? 有名人よ、あなたのとこのターゲット」

「別に出歩くことは禁止ではないでしょう? か、彼は順調に課題を進めておりますから? 手名付けてすらいないあなたよりは、早く抜けてみせますわよ」

「わっ、私だって!」


 不穏な口撃こうげきの応酬を間近で耳にして、ガスパーは表現し難い気まずさを感じた。じっとしていられなくなり、レンリが回したばかりの鍵に手を伸ばす。


「たっ、大変だ。止めなくては」


 しかし、すぐにレンリの手が伸びて、開錠はあえなく遮られた。呆れた男の言葉が聞こえる。


「その無駄に形のいい頭は飾りなんですか? 情報を交換する絶好のチャンスじゃないですか」

「あそっかー。しかし、愚かだな。破滅の力に目覚めたこの俺様を束縛しようなど」

「はいはい。で? あなたの課題は? 大体想像ついてますけど」


 数日ぶりに飛び出した戯れ言を、レンリは寸分の隙もなくあしらう。決まりきった転回も、4日ぶりと思えば懐かしくもある。


「杖を作れって言われたよ。オリハルコンの杖を3本だって。材料は揃ってたけど、そんな簡単な話じゃないって言ったら、アリーに鳴かれちゃってさあ。ああ、アリーっていうのはー……」

「また何という無茶ぶりを。それを作ろうとして会社を破壊した人間に向かって」

「人が気にしてることをー! これぞまさしく弱り目に祟り目! 泣きっ面に蜂! 針のむしろだー!」

「あなた、いちいち大げさなんですよ。時間がないの、分かってます?」


 外の様子を伺えば、口喧嘩は未だに続いているようだ。一つ一つの言葉が辛辣しんらつを極めており、可愛らしい雰囲気の娘が放っているなどと信じたくはなかった。しかし、ガスパーが抱えるそんな葛藤を、レンリの方は一切持っていないようである。


「僕は絵を描けと言われました。それも、ただの絵ではなく、魔法絵です」

「ふえー、何でー?」

「さあ。しかも、その題材が……。いえ、この話はいいとして。ガスパーさん、それは何ですか?」

「さっき拾ったー」


 気になっていた紙束をレンリに手渡すと、彼の顔が俄かに真剣味を帯びた。さほど時間をかけずに一枚一枚に目を通し、査収していく。

 締め切りを過ぎたことに関する冗長な謝罪文や始末書が続き、地域別の魔法絵師の個人情報が記載されていた。


「あっ」


 上から覗いていたガスパーが声を上げた。レンリの氏名が、魔法絵師として記載されていたのである。無論彼は魔法絵師ではないが、優れた魔法絵の才を持つとはっきり書かれていた。

 明らかに改竄かいざんだ。


「何でこんなことを?」


 心底理解できないというように、ガスパーは首を捻った。レンリとて、そちら側の人間でいられたらよかったのかもしれない。


「追い詰められていたんですよ」


 しみじみと発せられた言葉に込められていたのは同情か、憐憫れんびんか、あるいはそれ以外の感情か。


「誰にー?」

「女王にか、直属の上司にか、それは分かりませんけど。恐らく厳しいノルマが課されていたんです」

「見つからなかったんならそう言えばいいんじゃないか? 俺ならそうするけどなぁ」


 その一瞬、レンリの声から温度が消えた。


「達せられなかったと知れたら命が危ういかもしれない。そんな状況でもですか?」

「ひえーっ! そっ、そりゃあ……」

「要は環境ですよ。単に誇張するくせのある人もいますが、きっとそうではないでしょう。こんなに大げさに粉飾しなければならないほど、この人は追い詰められていたんです。そして、彼をそこまで追い詰めるほど、上の要求は熾烈なものだったのではないでしょうか」

「レンリってやっぱすごいよ。これを見ただけでそんなことが分かっちゃうんだからさ」

「たまたまですよ」


 温度の戻ったレンリの声。しかし、彼の表情は冴えない。無垢な同僚の賞賛の言葉は、レンリに何をもたらしたのだろうか。


 近付く靴音が、二人の会話を遮断した。ガスパーが大仰に肩を震わせる。そして、すぐに、戸が叩かれた。


「ガスパー様? そこにいらっしゃるんでしょう? 早く鍵を開けて!」

「ちゃんと着替えてきてくれたか?」

「ガスパー様が言うから、仕方なくね」

「なら、こっちも仕方ないか」


 観念して鍵を開けようとしたガスパーの手を、再び遮る物があった。

 ガスパーが握ろうとしていたドアノブを掴んで、しかし扉は開けずに、レンリは言った。真剣な目をしていた。


「この間はありがとうございました」

「ふえ? 何がー?」

「公園でのことです」

「あぁ、あれ? 何だよー、面と向かって言われると水臭いではないかー」


 照れくさそうに頭を掻く錬金師。彼は、知ることはないのだろう。あの時、自分がレンリを呼んだことにどんな大きな意味があったのかを。

 そんなことを逐一知らせてやるつもりのない治癒師は、すぐに表情を引き締めてこんな忠告をした。


「まあ、それはそれとしてですよ。あなたはきちんと課題に取り組んでください。オリハルコンでなくてもいいので、威力の出る杖を錬金するんです」

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