17 女王の課題
◆14
「なっ、何だってー!?」
目の前の話に耳を傾けていたガスパーは、反射的にひどく調子外れな声を放っていた。
「そんなに驚かなくたっていいでしょ?」
呆れ顔でそう言っているのは、アウリエッタ。つい今し方、夕食を終えた彼女から課題が言い渡されたところである。
ガスパーは、エメラルド色の瞳を数回瞬かせた。顎に手を当て、
「何よ?」
気丈な目つきで見上げてくるアウリエッタに、虚ろな眼差しを向ける。そうして、信じ難いその内容を復唱した。
「えーっと、オリハルコンの杖を3日間で3本錬金しろって?」
「だーから、さっきからそう言ってるじゃないの。あなたなら楽勝でしょ?」
一つ小さく唸って、咳払いを一度。
両肘をテーブルにつき、顎を乗せた両の手で自らの頬を弄びながら、ガスパーは何気ない調子で質問した。
「なあ、アリー。その課題とやらを達成できたら、俺はどうなるんだ?」
「女王様のお気に召せば、レニス城で召し抱えていただけるそうよ」
「……お気に召さなかったら?」
「それは知らないわ」
「帰してもらえる?」
「帰るのは諦めることね」
期待から顔を上げるガスパーに、アウリエッタは素っ気ない返答をよこす。再び裏返した両手の上に自分の顎を乗せて、ガスパーはぽつりと言った。
「無理だよー」
「どうしてよ?」
アウリエッタは、思い描いた通りの回答が得られず、困惑して疑問をぶつける。ガスパーは、頬杖をついたまま、表情だけは真剣味を宿して、はっきりと言った。
「大事な人たちがいるから」
「大事な人?」
「君、お父さんはいる?」
「いるけど、それが?」
頬杖を解いて、真っすぐにアウリエッタを見る。
彼の左目は眼帯に隠されて見えない。けれど、右目にあるのがあまりに真摯な眼差しで、アウリエッタは本能的に息を呑んだ。
「じゃあアリー、ちょっと考えてみてほしいんだけどさ。君のお父さんがいなくなったら寂しくないか? 何にも言わないでいなくなって、何日も何日も帰ってこないで、連絡も取れなかったら」
「それは、寂しいなんてものじゃないわ。でも、パパが勝手にいなくなることなんてないもの」
「あるかもしれないよ。俺たちみたいに、急に知らないところに連れて行かれて」
「それって……!!」
道理が分かる者ならば、当然の話だと笑うだろう。あるいは、共感して肯定の意を示すだろう。しかし、少女は、アウリエッタは違った。
誘拐された人間にも家族がいて、仲間がいる。そんな当たり前の事実が、16年の時を生きてようやく実感として自身の中に芽生えたのだった。その衝撃たるや凄まじく、しばらくは口も利けないほどであった。
ガスパーは続けた。懐かしむように、愛おしむように。
「俺にもいるんだー。そういう、いなくなってほしくない人たちが。俺がいなくなったら悲しむ人たちが。分かってくれるかな?」
少しの疑いも持たない瞳が、アウリエッタを見据えた。彼女は、その眩しさに耐えられず、目を反らしてしまったが。
「だからさ。アリーには悪いけどさ。俺はここにはいられない」
「ガスパー様……」
そして、さらに。端正な相貌を跡形もなく崩して、彼は衝撃的な事実を口にした。
「それに俺、オリハルコンの杖なんか作れないしー」
「えっ!? そんなはずは!」
「知らなかった? 俺、まだ錬金始めたばっかでさ。毎日師匠に仕込まれてる。こないだだってさぁ、錬金室の壁に穴を開けちってさぁ。ボス、何て言ったと思うー? 減給だよ? げ、ん、きゅ、う!」
アウリエッタは、目を見開いたまましばし硬直していた。
やがて驚愕が困惑になり、沈思になり、最後には決心になった。
「じゃあ、ガスパー様。私と結婚しましょ」
「ふえ? なっ、なにゆえに?」
「あなたを守るためよ」
ガスパーの方に伸びてきた若々しい手をひょいと躱す。今この手を取るべきではない。
少女を悲しませないように、おどけた口調で説明を求める。
「えっ? 待って待ってー。少しも話が読めないぞー?」
対する少女の返答に、ガスパーは薄ら寒いものを感じることとなる。
「女王陛下からの課題が達せられないと分かったら、あなたはどんな扱いを受けるか分からないわ。最悪の場合、殺されてしまうかもしれない」
「そ、そんな、錬金ができないぐらいで、そんなまさかー」
「女王陛下は厳しいお方なの。特に、外部の……他国の人間には容赦がないって専らの噂よ。そうよ、きっとあなたは殺されてしまう」
「俺、まだまだ死にたくないんだけど」
「だから、あなたは私の婿になるの。そうしたら、あなたはヘインハウゼン家の、いいえ、近衛兵団長の子息になる。そうしたら、女王陛下はあなたを見逃してくださるわ。それだけじゃない。家にいてくださる限り、不自由のない生活が約束されるわよ」
熱弁する少女は真剣そのもので、一見間違ったことなど言っていないように見える。
しかし、ガスパーの心は動かなかった。それどころか、声に
「俺、言ったじゃん。大事な人が待ってるって」
「別に会わせないって言ってるわけじゃないのよ。それに、私のことも憎からず思ってくださってるんでしょ?」
うっとりと目を閉じて少女は言う。二人の思いの温度差に、ガスパーはついていけなくなった。
ほんの少し考える素振りを見せて、小さく首を傾げる。
「うーんと……どゆことー?」
「何を今更のことを。あなたは、私に思いを寄せてくださってるじゃないの」
「ふえ? 俺、そんなこと言ったっけ?」
ますます
少女は苛立たしげに顔を上げた。挑むような目つきで見上げてくる。
「んもう! 私のことをアリーと呼んでくれたじゃない! 殿方が女性を愛称で呼ぶっていうことは、特別な存在だってことでしょう?」
「えぇ? 知らない。俺そんなの知らないよー?」
ガスパーは困惑顔のまま大仰に
少女が俯いた。爽やかな緑の後れ毛が人房、横顔に掛かる。
「そんな……。じゃあ、何でアリーなんて……」
「いや、だからね、名前が難しくって覚えられなかったからだって」
「それは体裁でしょう? 外聞を
「ちょっ、ちょっと待って。俺の言葉をそんなに深読みしないで」
「違うの?」
「うん」
「私の勘違いってこと?」
「ごめん。それに、俺、恋人がいるんだ」
「ガスパー様の……悪魔ーーー!」
震える声で叫ぶと、少女は部屋を飛び出していった。
何がいけなかったのか、分からない。彼女の両目に光る雫や、激しく揺れるポニーテールは、当分の間、目裏から離れそうになかった。
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