15 氷の微笑 2/2

 凛と冷ややかな声が木霊した。一瞬にして、辺りの温度が下がる。

 靴音を響かせ、凛々しい姿がナナハネの前へと進み出た。安堵の表情を浮かべ、ナナハネが彼等の中心からするりと抜け出す。

 値踏みするような8つの視線を向けられたスカーレットは、それを臆することなく押し返した。


「我が社の社員がご迷惑をおかけしたのでしたら謝罪いたします。皆様が何にお怒りかは存じ上げませんが、暴力に訴えるのは感心できません。まずは冷静に話し合いを。それでも納得がいかないと……」

「黙れっ!!」

「話が長ぇんだよ!!」

「イグニス!」

「エクリス!」


 素早く構えられたナナハネの杖が振るわれることはなかった。彼女より一足先に、スカーレットが氷色の杖を振り翳していた。


「グラント・アイス!」


 威力のみならず、発動速度も随一の勇者の魔法が、彼等の手の中の杖だけを的確に凍結させた。

 一瞬で氷点下と化した杖に驚いて、うち3人がそれを地面に取り落す。残る一人も襲い来る冷感に耐え続けることは叶わず、すぐに杖を地面に放り投げた。

 透かさずナナハネが地を駆け、転がった4本の杖を足元へと手繰り寄せる。


「おっ、おい!」

「何したんだ!?」

「このっ、よくも!」

「先に申し上げておきますが」


 スカーレットに向かって駆け出そうとした男たちへ、彼女は今一度忠告を送る。優しく、諭すような声音で。彼等が一様にその動きを止めたのも、目前の女から発せられるただならぬ気迫が故であった。


「腕力で私に勝とうと考えても無駄ですので。どうか早まることのありませんよう」

「あ? 女のくせに、馬鹿にしてんのかぁ?」


 まなじりを釣り上げた男たちが、目前の女を組み伏せようと一斉に地を蹴る。

 ところが、信じ難いことが起きた。皆が皆、一歩たりとも、その場を動くことを許されなかったのだ。


「グラント・アイス!」


 4人の男たちは、誰一人自分の身に起きたことを理解できなかった。唯一把握できたことと言えば、両足に異常が起きているということだけだった。


「何だ? 何なんだ、あんた」

「足が! 動かねぇ!?」

「どうなってんだ!?」

「おい、待てよ! あいつ……!」


 4人の目が眼前に立つ女を注視する。

 淡い青の長髪、鮮やかな青の瞳、色白、長身、端正な顔立ち、そして氷の杖。

 ようやく照合が済んだらしい男たちは、揃って相貌に色濃い怯えを宿した。


「うわっ! お前っ、まさか勇者!?」

「何でこんなとこに勇者が!?」

「やっべ! 行くぞ!」

「おわっ! だっ、誰かー!」


 勢いよくスタートダッシュを決めようとするが、足先が凍り付いたままの彼等に逃走の道など残されているはずもなかった。


「人に向けて魔法を打つのは犯罪です。もちろん暴力もいけません。子供の頃に教えていただいたでしょう?」



*



「もう少し早く歩いていただけませんか? 私たち、次の予定が迫っているのです。お昼もまだですし。ねぇ、ナナハネちゃん?」

「えっと……そ、そうですね」

「知らねえよ! つーか、足がこんなんで歩けるかよ!」

「歩かせてえならこの氷をどうにかしろよ!」

「早く自警団に辿り着かなければ、私の治癒魔法でも治せなくなります。二度と歩けなくなってしまっては一大事だと思いませんか? ですから、ね? 早く歩いてくださいな」


 二人で背後から杖を突き付けながら、男たちを自警団へと追い立てていく。批難轟々の4人組み。しかし、いくら眼差しに殺意を込めて睨みつけようとも、涼しい微笑が返されるばかりだ。

 花も恥じらう女二人が体格の良い4人の男を追い立てる様は、道行く人の視線を独占していた。

 彼等の歩みが遅いのは当然のことだった。なぜなら、膝と足首の間接だけを局所的に凍結されている。ぎこちなく足を動かすことはできても、飛んだり走ったりという芸当はできそうにもないのだった。



 転移装置トランスゲートで移動したすぐ傍に、レニスの自警団本部は建っていた。

 スカーレットは中にいた数人の団員を見回し、年嵩の男に臆面もなく声を掛けた。彼の支持の元、喚き立てる4人が奥へと連行されていく。

 彼等が足を庇いながら歩く姿を見て、ナナハネは慌ててスカーレットを見た。


「社長! あの人たちの足、治してあげないと」

「平気平気。もうほとんど溶けてるはずだし、傷も残らないわ。数日はそれなりに痛むかもしれないけど、被害に遭った人たちの心の傷に比べればプリンみたいなものだわ」

「プリン……」

「ええ。小兎でもいいわよ」


 下級の脅威の名前を出して、スカーレットは言い放った。茶化すような響きの中に、確かな糾弾の意思が込められている。


 どうやら彼等は捉え損ねた盗賊一味の残党で、無辜むこの市民に暴力を振るっては金銭や物資を巻き上げていたらしい。


「今回は、賊の逮捕にご協力いただき、感謝いたします。それでは失礼」


 対応した男は、礼を述べると用は済んだとばかりに背を向けてしまった。自警団の公認魔法師への風当りの強さは、どこの国でも変わらないらしい。

 ナナハネは、そのことを内心で憂いつつも、無言の圧力に促されるままに本部を後にしようとした。

 ところが、愛想の良い社長の声が、去ろうとする男を呼び止めていた。


「一つお聞きしたいのですけれど。ここ二日間の間に、この辺りで変わった事件がなかったでしょうか?」


 男は振り返らずにおざなりに応じた。


「事件なら毎日売るほどありますよ。魔法教会の犬には教えられませんがね」

「それなら、売っていただけませんか?」

「何?」


 そこで男はこちらを振り返った。底意そこいを探るような目をしている。

 人目が向いていないことを確認すると、スカーレットはビジネスバッグをやや漁って、薄桃色の小さな封筒を取り出した。隅に妖精のイラストが描かれた可愛らしいデザインだ。

 両手で差し出しながら、にこりと微笑む。ナナハネは目を丸くした。

 男は無言で封筒をひったくると、中を確認して口の端を釣り上げた。


「ほう。勇者様ともあろうお方が金に物を言わせるとはねぇ」

「私はただ、交渉に割く時間をお金に換えただけです」


 何かずるいことをしているのでは、ナナハネは心中で苦悩しているに違いなかった。何かを言いたそうにスカーレットを見ては、押し黙ることを繰り返している。


 間もなく二人は人払いのされた部屋に通され、ファイリングされた書類の束が目の前に積まれた。


「今月に入ってからの届け出の記録です。閲覧はこの部屋のみで。制限時間は10分。くれぐれも我々の邪魔になるようなことはされぬように。よろしいですね?」

「ええ、それだけあれば十分です。ご協力感謝いたします」


 スカーレットが優雅な礼を披露し、ナナハネも遠慮がちに倣うのだった。


 そうしていささか強引に手に入れた記録には、一つの不可解な点があった。出された捜索願いの数である。

 普段は一日に2、3件しかない捜索願いが、昨日だけで10件近く、本日の物も合わせると20件以上も届けられていた。


「何かありますよね?」

「ええ。単なる偶然じゃないでしょう」


 手元のディスプレイに目をやったナナハネが、あっと声を上げた。そこに映し出されていた文字は、本日の調査を切り上げるべき時刻を超過していた。


「時間切れね。気になることができたけど、続きは明日にしましょう。今度はお仕事、頑張れる?」

「はい。そ、それに、もしかしたら、今夜ひょっこり帰ってくるかもしれないし」


 あっという間に社長の顔になるスカーレットに、ナナハネはぎこちない微笑で応じた。煮え切らない思いを抱えたまま、そして昼食を摂り損ねたまま、二人は午後の仕事へと向かうのだった。

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