22 巨大屋敷に巣くう闇
◆18
それからもレンリは、隙を見て屋敷内の探索に明け暮れた。
ガスパーと再会した部屋でたまたま使用できそうな
「またあなたなのですか? 女王陛下の課題は進んでいるのでしょうね?」
「ええ、もちろんです。新鮮な景色を眺めることで、魔法絵を描く活力を養っているのです」
「ふーん。せいぜいその傑作を女王陛下がお認めになるといいですわね」
数人の令嬢とすれ違う度に、このような会話を交わした。シュリーネが余計なことを言いふらしているということもなさそうだ。いくら彼が目立たぬ容姿をしているとは言え、こうも頻繁に出歩けば噂にはなるのだろう。
せっかくなのでガスパーの部屋を訪ねようかとも考えたのだが、シュリーネ曰く、被害者同氏の交流は禁じられているとのことで、ひとまず諦めることにした。今目立つ行動を取って、課題の進捗状況を知られるようなことになると非常に不味い。
何せ、レンリは、線だけの下描きを
彼が当面終始するべきは、命を長らえるために女王のご機嫌を伺うことなどではない。シュリーネに魔法絵師でないことを話した時から、すでに後戻りのきかない賭けは始まっているのだ。
退路を開くか、首謀者を説得するか、あるいは関係者を全員捕捉するかしない限り、自分たちに平穏が訪れることはないのだから。
庭園へ続く重厚な扉も3回目ともなるとすっかり容量を掴み、音を立てずに開閉できるようになっていた。
昨夜物言わぬ魔法絵師が座っていたのは、人が10人ほどで囲める程度の大きな噴水であった。現在は吹き上がる水を楽しむのに最も適した時節だと思われるが、水の一滴も流れていない。そのことを少々残念に思いながら、レンリは噴水の前を横切った。
間もなく客室棟にある物と同じ鈴飾り付きの厳重な扉が現れる。慣れた手つきで扉を開き、そっと閉める。
「……」
そこは、人の気配のほとんど感じられない建物だった。掃除の行き届いた客室棟とは異なり、塵や埃が至るところに渦を巻いている。
色褪せた壁紙を伝って進んでいくと、すぐ近くから何かの動く気配がした。
進行方向の曲がり角から何者かが近付いてくる。
「っ!?」
小指の先ほどの隙間を開いて、外の様子を伺った。
二人の人間が荷車を運んでいる。分厚い城布に覆われて、荷車の中は確認できない。
しかし、落日の夜以降、似たような光景を目にしてきたレンリには、その下に隠されているものがはっきりと分かってしまった。
扉一枚を隔てた目の前を、荷車が通り過ぎる。その時、掛けられた布が僅かにずれて、その下にあったそれがちらりと覗いた。
レンリの目には、はっきりと見えてしまった。紫色に染まり、零れ落ちんばかりに目を見開いた壮絶な男の死に顔が。
「っ!!」
思わず息を呑んだ。咳き込みそうになる喉を押さえるが、気配までを殺すことは叶わなかった。
「おい、そこで何してる!?」
危ない、そう思った時には身を引いていた。同時に扉が蹴り破られ、男たちの攻撃的な視線が自分へと注がれる。
間一髪で扉の直撃を免れたレンリは、破裂しそうになった鼓動を抱えてもう一歩後退った。
「魔法絵師風情が覗き見たあ感心しねえなあ!」
「いえ、あの……」
俯き、言葉を探すふりをしながら、レンリは高速で思考を巡らせた。
レンリ・クライブは、目立たない男だ。強く言われれば反駁することはできない。杖など到底振るえそうもない。脅威を前にすれば一目散に逃げ出しそうな男。誰もが自分に対してこのような印象を抱くらしい。
全く以って心外な話ではあるが、相手が自分を侮ってくれるというのなら、それを利用しない手はない。そうも思うのだ。
「どうか見逃してください。僕は何も見ていません」
なるべく切羽詰まった語調を意識して、深く頭を下げる。できることなら、大事にはせずにこの場を切り抜けたいものだ。
そんな雑念を持ったのが悪かったのだろうか。二人は荷車から手を離すと、レンリのいる室内へと大股で踏み込んできた。静まりかけていた鼓動が再び加速を始める。
「てめえ、何もんだ? ただの被害者じゃねえな?」
「いえ、僕はしがない魔法絵師で……」
「しがない魔法絵師が探検気分でこんなとこまでくるかよ」
なるほど、少しは頭も回るらしい、レンリは内心で毒づいた。
小柄な獲物を体格の良い二つの影が追う。一歩ずつ後退るレンリ。喉が渇き、冷や汗が背を伝う。じりじりと迫りくる二人の男。
「こいつ、どうする?」
「とりあえず繋いどいた方がいいだろう。判断は女王陛下がなさる」
「そうだな」
俄かに、レンリが二人を見上げた。獲物の顔ではなかった。
「やっぱり女王が関わっているんですね」
「てめっ……!」
「ダブル・スイーティ!」
慌てたように伸ばされた腕を身を屈めて躱した時には、大地の杖から放たれた補助魔法が二人を捕えていた。状況を理解する暇もなく、二人は地に伏した。
少し加減を強めにしたのは、発覚するまでの時間を稼ぐためだ。
「できれば僕のことも忘れていただけると助かるのですが。そうはいきませんよね」
男たちを跨ぎ、放り出された荷車の元へと向かった。運び手の支えを失った車輪は斜めに傾き、中の人間を道端に投げ出していた。
覚悟を決め、その顔を確かめる。
「う……」
無惨な様相に、それ以上目を向けていることはできなかった。吐き気を堪えて、胸を押さえる。
この遺体も室内に入れておきたかったが、とてもそのようなことはできそうになかった。せめてものあがきにレンリができたことは、横たわった遺体の上に布を掛け、空になった荷車を部屋の中に入れておくことだけであった。そうして、逸る足を懸命に動かして自室へと急いだ。
女王が関わっていることは突き止めた。彼女の意に沿わぬ者がどうなるかということも。退路の検討もついた。
感づかれる前に行動を起こさなければならない。時間は、もうほとんど残されてはいないのだ。
*
魔法教会アドリアット支部は、チーナ・ケーターが一日の大半を過ごす場所である。他の支部に比べて女性職員の比率が高いのは、長であるチーナが男を毛嫌いしているからというのも少なからず関係していた。
日頃からあまり静かとは言えないオフィスを、この日賑わせていたのは時ならぬ訪問者であった。
「勇者様よ」
「スカーレットさんが何でここに?」
「嘘、本物の勇者様だわ」
遠巻きに傍観する女性職員たちに如才のない礼を送りながら、スカーレットは支部長室の扉を無遠慮に潜っていった。
「あのねぇ。あたしも暇じゃないんだからね。用事なら手短にしてくれるかな?」
事前連絡のない
しかし、差し出された椅子には座らずに、スカーレットは真っすぐにチーナを見下ろして切り出した。
「ねえチーナちゃん。最高議会のみなさんって、みんな
「は? どうしたの、急に」
「みなさんの異形を教えてほしいの。第七席の私なら、知る権利はあるわよね?」
「うーん、まあ、それはそうだけど」
チーナの目前まで歩いてくると、早速とばかりに手帳とペンを机上に広げる。
「それじゃあ、お願い」
普段の
「ありがとう」
筆記具を薄い肩掛けバッグにしまいながら、スカーレットは冴えた笑みを浮かべた。底の知れない微笑で礼を言われると、教えてもよかったのだろうかという疑問が頭を
何を考えているのか分からないこの女のことだ。果たして、よからぬことに利用しないと言い切れるだろうか。
「言っておくけど、悪用は厳禁だよ」
「もちろん」
慌てて言い添えれば、コンマ一秒で肯定が返る。笑みがいっそう深まったように見えて、チーナはさらに言い募った。
「っていうか、いくら勇者様の頼みって言ったって、彼等はそう感嘆に異形を使ったりしないよ。何をさせたいんだか知らないけど、あんまり当てにしすぎないことだね」
忠告を口にしていたチーナは見た。目前の女の瞳に、挑むような光が走る様を。
「大丈夫。こんな時のために取っておいたの。最初で最後の切り札を」
「お前……。何をしようって……」
らしくない、チーナは率直にそう思った。今日のスカーレットは、何かが普段と違っていた。
しかし、チーナがこの台詞を口にした時には、
丸椅子の上にぽつねんと残された木箱の中には、先日依頼した規格外品の風の杖が収まっている。精一杯の低い声で毒づいた。無論、声量を絞ることも忘れない。
「ったく……。どんだけ急いでんだか知らねえけど、商品ぐらい手渡していけよな」
この時、魔法教会は、勇者陣営が大規模な誘拐事件に巻き込まれていることを把握していなかった。
勇者が訪ねてきたこの出来事の真相をチーナが知ることになるのは、数日先のことである。
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