19 策する者たち

 ◆19



 オリエンス商会からほど近い裏路地にある、訳ありの土地。その奥に、文字通り何物をも寄せ付けない場所が存在した。

 部屋の隅には畳まれた衣類、テーブルの上には積まれた食器。生活感溢れるその部屋に、二人の人間の姿がある。


「それで? どうだったわけ? 勇者様は」


 その女は、漆黒の布と同じ色のリボンを全身に巻き付けて、ソファーで足を組んでいた。

 短い白銀の髪に薄紫の瞳が印象的な女。しかし、最も目を引くのは左腕で、手首から先がないのだった。


「もう最悪だね。思い出すだけで吐き気がするよ」


 素っ気なく応じたのは、向かいのソファーの淵に肘をつき、脱力する子供であった。

 漆黒の髪に漆黒の瞳。普段は寡黙を装う幼い相貌には、はっきりと嫌悪の表情を乗せている。


「あらあら、どこがそんなに気にいらないんだか」

「化粧はしない、着飾らない。そのくせ女である自分は素晴らしいと思ってる。余裕ぶっていつもへらへらして、ほんとは周りに無関心なだけ。一番むかつくのは、あんな女が勇者だ社長だってちやほやされてるってとこ」

「何よ、ただの嫉妬じゃないの」


 退屈そうに切って捨てる女へ、立ち上がって分かりやすい殺意を送る。


「父さんを殺した女に僕が嫉妬なんて、冗談にしたって笑えないんだけど? セラフ姉、死にたいの?」

「あなたこそ、調子に乗ってんじゃない? ワンラインの総統であるこの私に向かって」


 黒い瞳を尖らせ、女を睨み上げる子供。しかし、対する女は足を組んだまま余裕を崩さず、笑みすら浮かべて見せる。


「大体、女が、女がっていつも言うけど」


 女の口が、嘲笑の形に歪んだ。


「そういうあなただって、れっきとした女じゃないのよ。ハウ」


 幼い相貌に険が走る。ハウと呼ばれた少女は、怒りを露わに女へと詰め寄った。


「セラフ姉。その話を軽々しくしないでって言ってるよねえ? 誰かが聞いてたらどうするの?」

「あなたの男装趣味が知られたところで、私はなーんにも困りやしないけどねえ」


 女はそうあしらうと、テーブルの真ん中に無造作に置かれた小さな包みを一つ手に取った。真っ赤な包装を解き、中の物を口に放り込む。


「その前に、私の異形を見破ってここまでこられる奴がいると思うの? あの時の魔力痕を隠してやったのは誰か、もうお忘れかしら?」

「ちえっ、お節介ばばあ」

「誰がばばあよ!」


「こらこら、二人ともやめなさい」


 と、入り口の扉が静かに開き、真っ黒なフードを被った大柄な男が入ってきた。

 彼はコートを脱ぎながら二人を交互に見やり、軽い嘆息を漏らす。兄弟喧嘩を勇める父親の様相である。その顔は綻んでおり、誰の目にも上機嫌だと分かった。


「おかえりなさい」

「カロンー! おかえりー!」


 先ほどまでの慳貪な態度から一転、声に砂糖をたっぷりと塗して、少女が男へと駆け寄った。勢いを落とすことなく、引き締まった体に両腕を回し、上目遣いに男を見上げる。

 鮮やかな青い髪に、赤紫色の瞳。一切の甘さを配した端正な顔には、一見穏やかな笑みが湛えられている。


「お疲れ様ー。僕、カロンのことずーっと待ってたんだよー」

「お利巧だったね、ハウ。ただいま、セラフ。俺の夕飯もあるかな?」

「あるわよ。今出すわ」

「もう、カロンったら、子供扱いしないでよー」


 男の手が頭に置かれると、少女は不満そうに頬を膨らませて抗議する。この二人にとっては日常のやり取りであった。


「カロン、今日はやたらと機嫌がいいのね」


 重なった食器類をキッチンへ運びながら、セラフと呼ばれた女が声をかけた。


「今日はそこの木陰でなかなかいい物が見られたからねえ。ここを俺等の住処に選んだのは正解だったよ。全ては何でも隠せるお前の『絶対隠蔽』のおかげだね」


 意味ありげに口の端を釣り上げ、カロンは言った。


「またカップルの逢引でも覗いたの? 私の異形をそんな下世話なことに使わないでほしいわね。カロン兄さん?」


 呆れたような声とともに、女がキッチンから戻ってくる。彼女がテーブルの上にサンドイッチの乗った皿を置くと、ソファーに座したカロンが手を伸ばした。


「許しておくれ、セラフ。また新しい魔法書を作ってあげるから」

「僕にも作ってー」

「お前にはカオス・ブレードがあるでしょう? 固有魔法の魔法書を作るのも、そう簡単じゃないんだよ」

「ちえー、カロンはいつもそうだよ。ほんとの妹だからって、セラフ姉ばっかり甘やかしちゃってさ」

「そんなことより、ハウ。どうだったんだ? 勇者は」


 カロンがサンドイッチを咀嚼しながら切り出す。その問いは、先刻セラフが投げた物と全く同じ物である。

 相手がこの男だったからだろうか。重ねて聞かれたことに気を悪くする様子もなく、ハウと呼ばれた少女は応えた。


「ちょっとやそっとじゃ壊せないね、あれは。その辺で拾った人間なんか、いくら寄せ集めたって全然歯が立たなかったよ。結界魔法じゃなくて、物質魔法だけでこっちの攻撃を全部撃ち落としてくるなんて反則級でしょ?」


 口を動かしながら皿の上のサンドイッチに手を伸ばす。半眼で批難の眼差しを向けてくるセラフを意に介さず、サンドイッチを掴んで続けた。


「おまけに、僕の精神汚染が効かない。あれがほんとに人間だと思う?」

「精神汚染が効かない? 脅威じゃあるまいし、そんなのいるわけないじゃないの。耐魔アクセサリーでも着けてたんじゃないの?」

「耐魔アクセサリー何て粉々に壊せるぐらい、目いっぱいの魔力を込めたんだけどね。僕の居場所をあっさり突き止めてレイガントを打ち込んできたから、眠らせてさくっと退散しようとしたけど、できなかったんだよ」

「カロン、この子、こんなこと言ってるけど、何か知らないの?」


 視線を向けられた男は、サンドイッチを法張りながら愉快そうに笑った。渋い表情の二人とは対照的である。


「分からないねえ。まあでも、人間離れしているからこそ勇者なんじゃないのかな?」

「あいつが打ってきたたった一発の上級魔法だって、この僕の闇の結界で完全には防ぎきれなかったんだから。見てよ、これ」


 少女は唐突に着ていた服を捲り上げた。曝け出された白い素肌には、真っ赤に爛れた傷が幾重にも走っている。


「はっ、そりゃあご愁傷様だこと。治癒魔法はいかが?」

「セラフ姉だったら、あの上級魔法だけで死んでたね」

「失礼ねえ。私はそこまでか弱かないわよ」

「せめて固有魔法ぐらいは使わせてやりたかったよ」


 なおも繰り言をこぼす少女に最後のサンドイッチを握らせて、カロンはソファーから立ち上がった。


「そう落ち込まないでよ、ハウ。勇者の固有魔法がどんなものかは、魔法教会側で把握している限りのことを、追々教えてあげるから。教会の調法師ちょうほうしとして、固有魔法の魔法書を作り続けてきた、この俺がね」



 二人の男女が各々姿を消すと、漆黒の髪の少女が静寂の中にぽつんと取り残された。

 彼女は、窓の向こうに広がる果てのない闇を見つめていた。幼い顔に残酷な微笑みを湛えて。


「でーも。今は、厄介なあの治癒師を消すのが先。あの男冴えいなくなれば、勇者陣営の戦力は半減したも同然だもんね。大切な人を失う絶望を、あの女にも味わわせてやるんだ」

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