20 分かり合えない二人
◆20
翌朝のレンリは、いつになく目覚めが悪かった。
昨夜、恋人が戻ったら言い過ぎたことを詫びようと考えていたレンリだったが、待てども待てども彼女が戻ってくることはなかった。
11時を過ぎ、日を跨ぎ、それでも過去に描いた絵を眺めたりして辛抱強く待っていた。しかし、1時を待たずして、疲労を蓄えていた彼の意識は深い眠りに沈んでしまったのだった。
気掛かりの多い心は晴れず、睡眠の足りない体は冴えない。そうだとしても、否、だからこそ、次に彼女に会った時は、昨夜のことを謝罪して、盗難事件について今一度情報交換をするべきだ。
ベッドの中で眠気と戦いながら、レンリは確かにそう決心していた。
そのはずだった。
「レンリ、おはよう」
ところが、朝一番に訪ねてきた恋人に彼が発した台詞は、自身を以てしても全く予想外のものであった。
「あれからどこに行っていたんですか? ずいぶん遅いお帰りだったようですが」
「そんなことより、私レンリに話したいことがあって……」
「応えられないんですか?」
「時間がないの。あのね」
「もういいです。あなたがお忙しいことだけはよく分かりました」
生来のひねくれた性格が、思いもよらぬ方向へと話を進めていく。
「待って!」
「盗難事件なら解決の目途は立っていますから。どうぞ、心置きなくご自分のお仕事をなさってください」
そして、急勾配を転がり落ちるかの如く、決定的な一言を口走ってしまった。
「……馬鹿。レンリの馬鹿」
きゅっと結んだ唇の間から、冷え切った声がこぼれ落ちる。それは、彼女がレンリに初めて見せた怒りの表情であった。
その気迫に圧倒されて言葉を失っている間に、扉が音を立てて閉まっていた。
寝室に駆け込み、勢いのままにベッドに身を沈めた。身体を丸めて自問する。自分はなぜ、こんなにも腹を立てているのか。
「はあー……」
深く長い溜息を吐き出す。自己嫌悪、怒り、罪悪感。様々な感情が混ざり合い、レンリの胸中を千々に乱していた。
「私だって、いつも余裕でいられるわけじゃないの」
昨夜スカーレットが言ったこの言葉の真の意味を、レンリが知ることになるのはこの少しあとのことである。
「レンリさん!」
突然、扉が激しく叩かれた。息急き切って駆け込んできたのは、同僚のナナハネであった。ただならぬ様子に、また厄介事かと身構える。
「ナナハネさん、おはようございます。何かあったんですか?」
「スカーレット社長は!?」
「さあ。部屋にいないのなら、もう出かけたんじゃないでしょうか」
できる限り平静を装って、レンリは応えた。ところが、続くナナハネの言葉に、彼は絶句することとなる。
「大丈夫なんですか?」
「何のことです?」
「だって、昨日大勢に襲われて大怪我したって。今自警団の人が聞き込みにきてて、それで……。レンリさん?」
「な、ぜ……」
「レンリさん。もしかして、聞いてなかったんですか?」
俄かに、冷たい風が胸の中を吹き抜けた。それはすぐに唸りを上げ、強風となってレンリの中に激しい感情の渦を巻き起こした。
「レンリさん?」
同僚が心配そうに覗き込んでくるが、声を出すことも、首を振ることすらできない。固く目を閉じ、唇を噛み、拳を握り締めて、吹き荒れる風が過ぎ去るまでレンリはひたすら耐えた。
「レンリさん? 大丈夫、ですか?」
「スカーレットさんの言う通りです」
「え?」
ぱたりと、暴風が止む。残っていたのは、悔恨の情であった。
デスクの上に手を伸ばし、ピンク色の手帳を取り上げる。つい先刻スカーレットが落としていった物だった。
「それって、社長の日記帳ですよね?」
そっと開いた。一番新しいページには、昨日の日付とともに、素っ気ない文章が記されていた。
『今日は散々な日でした。だから、明日はきっと良い日にしたい』
「レンリさん……」
手帳を閉じて、顔を上げる。不安げに見守っている同僚を振り向き、レンリは呟いた。
「スカーレットさんの言う通りでした。馬鹿なのは、僕の方だ」
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