18 異形を持つ者

 ◆18



 薄い雲が泳ぐ夜半の空から、大きな月が柔らかな黄金の光を降らせていた。

 生命の気配のほとんどない漁港の外れに、スカーレットとチーナ・ケーターの姿がある。不機嫌であるのを隠しもせず、チーナは隣の女に慳貪な眼差しを突き刺した。


「で? あたしをこんな時間にこんなとこまで呼び出したんだから、大した用なんだろうな? どうでもいい内容だったら、即刻そこの海に投げ落とすぞ」

「私を海に放るのは、この話を聞いてからにしてくださいな」


 チーナの毒舌を軽く受け流すと、スカーレットは神妙な調子で切り出した。


「まず、これは先触れなんだけど。魔法書店の違法販売への関与が証明されたの。明日にでも正式な報告を入れようと思っているわ。魔法教会は、また忙しくなるかもしれないわね」

「おいおい勘弁しろよ。こちとらここ最近休み返上して働いてんだよ。明日だって午前中から予定あんだ。笑えねえぞ、マジで」

「あら、ずいぶんこき使われてるのね。オリエンス商会にくる?」


 スカーレットがチーナの肩を楽しげに叩いた。今度はチーナがあしらう番だ。


「魔法教会の第四席をヘッドハンティングとは恐れ入るな。誰がんな安月給のとこに行くかよ!」

「魔法教会に比べたらそうかもしれないけど、最低限の休日は保証されてるわよ。何と言っても三食寮付き。もちろんボーナスもあるわ、私の気分次第で」

「やっぱろくでもねえじゃねえか」


 スカーレットがふっと笑い、釣られてチーナの相貌も崩れた。涼しげな青と、情熱的な赤。黄金の月光に照らされて、対照的な二人の髪が靡く。


「それはさておき、ここからが本題よ。実はね。昨日から私、よく分からない人たちに襲撃されているの」


 世間話をするかのように、スカーレットは語った。


「ふーん? 人気者は大変だな」

「確か、チーナちゃんって結構偉い階級だったわよね?」

「おいおい、第四席舐めんなよ」

「何かご存知ないかしら? マーシュ・クワイトくんについて」


 穏やかなれど荘厳な波音が、二人の聴覚を支配した。


「はあ? 誰だよそりゃ」

「魔法書店のアルバイトの子よ」

「そこまで分かってんだったら、あたしらでそいつを抑えてやるよ。犯人はそいつで間違いないんだろ? 万一冤罪だったなんてことになったら目も当てられねえからな」

「そこは間違いないわ。ただ……」

「何だよ」


 波音が止み、静寂が満ちる。


「目的が分からないの」


 言いざま、右手の手袋を外してみせる。月明りの下に現れたその惨状に、チーナは露骨に眉を潜めた。


「おいおい、マジかよ。何やられたんだ? いったそう」


 スカーレットは手袋をはめ治すと、ふわりと短い吐息を漏らした。


「命を取るにしてはやり方が甘いし、遊びにしては度が過ぎてる。何がしたかったのかしらね?」

「まあ、いろいろ尽きねえだろうな。勇者に恨みを持つ人間ってのは」

くにこみちらず。こんなに真面目な人間を捕まえて、みんなひどいわ」

「どの口が言うんだおい!」

「おかしいわね。私、自分では結構真面目な方だと思ってるんだけど」

「はあ? どこが」


 傍らの女は真剣そのもので、聞いているチーナは苦笑を禁じ得ない。この女、自己に対する他社の評価と自身のそれとの乖離が甚だしいのだった。


「で? まだ肝心なとこ言ってないんだろ?」

「そう、まだ続きがあるの。まず、一点目。襲撃者の主属性が100パーセント闇属性だったということ」

「はあ? 見間違いだろ」

「魔法痕を見たの。間違いないわ。そして、2点目。驚かないでね」

「あたしを誰だと思ってんだ? ちょっとやそっとじゃ驚かねえよ」


 二人の間を海からの風が吹き抜けた。二色の髪が、ワンピースの裾が、潮風に攫われて激しく躍る。


「襲撃者は、他人の身体を自在に操ることができるみたいだわ。それも、一度に複数の人間を、本人の同意もなく」

「はあ? 何言ってんだお前。んな馬鹿な話があってたまるか」

「ねえ。何か心当たりはない?」

「心当たりなんて……あるわけねえだろ。んな、突拍子もねえ話……」


 その語意に反し、彼女の言葉の歯切れはいつになく悪い


「共有魔法ではあり得ない。固有魔法だとしたら、魔法教会側で把握していないはずがない。どちらでもないなら、ことわりを無視した私のような存在が他にもいるということ。ねえ」


 不意に、スカーレットが振り向き、隣に立つチーナを真っすぐに見下ろした。暗がりでも分かる真剣な光をその瞳に湛えて。


「チーナちゃんはどう思う?」


 チーナは、しばし黙考していた。何かを躊躇うように、口を開こうとしては押し黙る。

 そして、たっぷりと数分の間を置いた後、その名を口にした。安易に触れてはならない者の名を。


「お前を襲ってきた奴は。そいつは、たぶん『異形者いけいしゃ』だ」

「異形者? 初めて聞く言葉だけど」

「魔法では説明できない不可思議な力を持つ人間。それを、魔法教会じゃ異形者って呼んでる」


 スカーレットは、突如足元の小石を拾い上げ、軽快な動作で海へと放り投げた。彼女の手を離れたそれは、海へ辿り着くことなく近くの岸壁に落下する。


「魔法とは異なる力。そんな物がこの世にあるの?」

「何とぼけてんだよ。お前もそうだろ」


 チーナも真似をして小石を拾い、大きく振りかぶる。勢いよく空を切ったそれは、夜の波間に小さな波紋を生んだ。


「私? 私の何?」

「さっき自分で言ってただろ。魔法痕を見たって。教会じゃあ、魔法探知って呼んでる。これも立派な異形なんだよ」


 スカーレットが再び小石を投げた。チーナも負けじと小石を拾う。


「ということは、チーナちゃんもそうなのね?」

「ああ。あたしも魔法探知の異形者だ。それと、お前の魔力探知は似てるようで全然別もんの異形。魔法探知はまあわりといるけど、魔力探知はほとんどいねえのが現状だ」


 二人は競うように小石を投げ込んでいく。一つ、二つ、三つ、四つ。凪いだ水面に、いくつもの波紋が生まれては消え行く。


「魔法痕は霧、魔力痕は空気に例えられたりするわね」

「空気なんか全然読めねえお前に空気みてえな魔力痕が見えるってんだから、神様の悪戯もここに極まれりだな」

「空気が読めるというのも難儀な性よ。考えるだけ無駄なことがこの世にはたくさんあるもの」

「さすがは傍若無人で名の知れた鋼鉄の白百合だな。いちいち言うことが極まってやがる」

「誉め言葉として受け取っておくわ」



 しばし、無言の時が流れた。

 夜空を渡る風が雲を押し流し、大きな月をすっかり隠してしまう。満ちた月の祝福を受けていた夜の港は、途端に深い闇に支配された。

 先刻まで灯っていた家々のも今やなくなり、遠くに船の明かりがちらほらと見えるばかりである。


「だけど、そうね。人間を思いのままに操る異形者ね。うん、これが一番しっくりくるわ。ありがとう、チーナちゃん」

「あたしが今話したことは、魔法教会の中でも最重要機密事項になってるもんだ。最高議会の椅子に座る奴等にしか知らされてねえ」

「それじゃあ、私は知らないふりをした方がいいのね」

「お前がどこまで約束を守れるかは怪しいもんだけどな。勇者協定のことも丸っきり忘れちまうような薄情者だしな」

「戦力保護不可侵協定。世界三大都市間で結ばれた協定。魔竜を倒すまでは戦力を取り合ったりせずに、みんなで仲良くやりましょうねって、そんな内容ね。ちゃんと思い出しました」

「何だよ、こないだはとぼけやがって。ちゃーんと覚えてんじゃねえか」

「うふふ」


 チーナは知らず、声に若干の安堵を滲ませた。

 そんな彼女は知る由もない。傍らで得意げに話す女が、昨夜勇者協定の記録を求めてメモ帳の山に埋もれていたことを。少なくない時間を費やして目当ての物を探し当て、心底から安堵していたことを。


「けど、それが異形者だとしたら、あたしらは意地でも足取りを掴んでおかなけりゃならない。もっぺん詳細を教えろ。こっちでもちょっくら調べて、なんか分かったら教えてやる」

「ええ。チーナちゃんに話してよかったわ」

「あたしらが情報を共有してるってことは、何があっても他言無用だ。分かってるよな?」

「もしも、知られてしまったら?」

「そいつは死ぬまで魔法教会に縛りつけておかなけりゃならなくなる。それが叶わねえってんなら……」


 一際大きな波の音。チーナは、スカーレットは、そこに何を感じたのか。対照的な二つの影が、言葉もなく佇んでいた。

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