17 すれ違う二人
◆17
「二人とも、遅くまでお疲れ様」
長い一日を終えた二人がようやく帰社を許されたのは、夜も更けて家々の明かりも消えようかという頃合いであった。
一階のキッチンで作り置かれた軽食を胃袋に詰め込んでから二階の社員寮へ上がると、黒のノースリーブワンピースを着たスカーレットが、自室から顔を出して二人を手招いた。
促されるままに部屋に入れば、甘い花の香気がふんわりと漂っている。しっとりと湿り気を残した長髪から察するに、早くも寝仕度が住んでいるらしかった。
昨夜何をしていたのか。今朝はなぜ連絡もなく出て行ったのか。昼間急いでいたのはなぜか。問い詰めたい気持ちも一入であったが、ナナハネの手前口にするわけにはいかなかった。
「さてと。それじゃあ、魔法書盗難事件の進捗状況を報告してもらおうかしら?」
壁際に立て掛けてある客用の椅子に二人を促して、社長はこう切り出した。
平常通りの微笑からは、レンリに対する感情の動きは見えない。やはり彼女は何も気になどしていないのだと思うと、レンリの胸中には黒い物がふつふつと湧いてくるのだった。
しかし、レンリとて多少の自制はできると自負する大人である。彼女が何も言ってこないと言うなら、自分もとことんしらを切り通すまでだ。
「盗難事件に直接繋がったわけではないのですが、今日だけでもいろいろなことが分かりました」
レンリは、現時点で判明していることを、要点を掻い摘んで説明した。
ロアが違法販売に手を染めていたこと。常連客のミゼルが、それをネタに繰り返し金を無心していたこと。そのミゼルは、悪魔を呼び出すことができると豪語し、さらに裏帳簿の在処を知っていたこと。
「ミゼルさんは、悪魔のことをテッドと読んでいました。盗難事件に関与している可能性も考えて、明日はその悪魔にもう一……いえ、直接会えないか、試みてみようと思っています」
何度も喉まで出掛かったものの、恐怖状態にされたことについては結局口にできなかった。
スカーレットは、一連の説明を自身の手帳に書き記していき、話が一区切りつくとこう言った。
「そう繋がってくるのね」
しんみりと発せられたその台詞には、レンリたちの知らない意味合いが含まれているのだが、二人は当然知る由もない。
「それで、本棚の奥から出てきたのがこれです」
レンリがデスクに置かれた4冊のノートを指し示すと、スカーレットは一番上にあった赤いノートに手を伸ばした。ページを捲り、興味深げに眺めている。
「魔法の違法購入者のリストもあります。私がお店の人に確認しながら作りました」
ナナハネが、持っていた紙をスカーレットへと手渡した。スカーレットはその内容にざっと目を通すと、ノートの横に並べた。
「どっちも魔法教会行きね。たった一日でここまで揃えてくるなんて、さすがは優秀な社員たちだわ。素晴らしいわ!」
「えへへ。私なんて、そんな……」
「そっ、そういうのはいいですから、早く話を続けますよ」
含みのない笑顔を向けられ、俯く二人。褒められることに対してはなかなか素直になれないレンリである。
「間違いないわ。雷ね」
長らく真剣な表情でデスクに向き合っていたスカーレットは、ノートから手を離して椅子に背を預けた。
予想通りの結果に、見守っていた二人は安堵する。ロア・ブレントの主属性は雷だ。
「やっぱりそうだったんですね」
「これであの人の関与は証明できましたね。あの様子なら言い逃れをすることはないと思いたいですが。そう言えば、さっき渡した……」
次の話題へ転じようとしたレンリを、スカーレットが手で制した。
「レンリくん、ミゼル・キャスターに会ったのよね? 主属性は何だった?」
「……」
返答に窮して押し黙る。関係者への主属性の確認は、調査の基本中の基本。他に気を取られて確認を忘れたことを、レンリのプライドはなかなか認めようとしなかった。
だが、そんな彼の反応を気にした風もなく、スカーレットは話を続けた。
「彼女、たぶん雷属性じゃないかしら? 同じ雷でも、性質の違う魔力痕が少し見えたの」
「そうかもしれません。ですが、すみません。確認するのを忘れていました」
先ほどまでのくだらないプライドはどこへやら、レンリの口からはごく自然に謝罪の言葉が出る。元より、この場の面々は、他人の手落ちや欠点を喜々としてあげつらうような意地の悪い性質はしていない。
一頻り、沈黙の時が流れた。冷たく気まずいものではなく、ただ静かで、居心地の良い時間。3人は、各々の心の内に思いを巡らせる。
レンリは、改めて今日の出来事を整理しながらも、ゆったりとした椅子に体重を預けて瞑目する女を呆然と見つめていた。浅く組んだ足の上で重なった両手には、今の時期にはおよそ相応しくない厚手の手袋がはめられている。
ふと思考が中断され、ほとんど無意識にレンリは話しかけていた。
「スカーレットさん。その手袋は……」
彼の問いに、回答がなされることはなかった。黙考していた目の前の女が、椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がっていた。
デスクの端にあったミミアを手にすると、呆気に取られる二人を残して自室を出て行ったのである。
「ちょっと待っててね」
一言だけそう言い置いて。
「また何か思いついたんでしょうか?」
「逐一動きが唐突なんですよね。あの落ち着きのなさ、何とかなりませんかねえ?」
「なりませんねえ。だって、社長だし」
微笑と苦笑を交わし合い、ほとんど同時に視線を上げた。
スカーレットのデスクの横では、カラフルな妖精たちが躍る大きな掛け時計が音もなく時を刻んでいる。時刻は、10時を回ろうとしていた。
「何にせよ、こんな時間に通信が行った相手には同情しかありませんね」
「案外、セレンさんとかだったりして?」
「彼に用事なら、すぐそこの部屋に行けばいいだけですよ」
「そうだった」
二人は、しばし談笑しながら社長の帰りを待った。
そうして、二人は再び驚くこととなった。おざなりなノックとともに飛び込んできた部屋の主が、二人を見るなりこう言ったのである。
「ちょっと出かけてくるわ」
「はあ!?」
「えっ!? 今からですか?」
目を丸くする二人に、社長は早口で捲し立てる。
「気になることがあってね。今回の事件に関係することだし、早く調べておいた方がいいと思うの。心配しないで、話を聞いてくるだけだから」
「話を聞くって、誰にですか?」
「ナナハネちゃん、それ取ってくれる?」
「えっ? あっ、はい!」
「人の話を聞きなさいよ!」
レンリにはよくよく分かっている。一度スイッチが入ったら最後、彼女を止められる者などいはしないのだ。
「分かりました。ちょっと待っててください」
決定事項となれば行動は早かった。不審がる二人を背に、勝手知ったる寝室へと足を踏み入れる。
お世辞にも片付いているとは言えないベッドの横を通り過ぎ、窓際のクローゼットへ。クローゼットの中から目的の物を手に取ると、速足で二人の元へと駆け戻った。
「あなた、その格好で外を出歩く気ですか? 上着くらい着て行ってください。それから、杖も忘れないように」
「ありがとう、レンリ」
レンリがミルクティー色のカーディガンを当てがってやると、スカーレットは素直に袖を通してにっこりと微笑んだ。
「私、レンリのそういうとこ、結構好きよ」
ナナハネが見ているというのに臆面もなくそんなことを言うものだから、レンリの方が赤面してしまう。
「そっ、そういうの、今はいいですから!」
ナナハネは、ほんのり顔を赤らめて男と女のやり取りを見ている。見ていると言うよりも、まじまじと凝視していた。
「ところで、スカーレットさん」
同僚の熱い視線から逃れる口実を探していたレンリは、重要なことに思い当たった。
「あのメモの魔力痕は見てくださったんですか?」
昨日魔法書店で発見し、すれ違いがてらに渡しておいた物だ。そのメモに悪魔の文字が入っていたことを、レンリは思い出したのだった。
ところが、スカーレットの返答は、レンリが予想したどの結果でもないものだった。
「メモ? メモ……? えっと……何のことだったかしら?」
「昼間北通りで渡した物です。まさか、失くしたんですか?」
レンリの声色に、不穏な物が漂い始める。
人差し指をこめかみに当てて、スカーレットはあからさまな思案顔を作った。まるで、初めから分かっている結論を、ゆっくりと確かめるように。
「うーん……。ごめんなさい。もらったことは覚えてるんだけど、えっと、どこに置いたか……」
「バッグの中には?」
「たぶん、ないわ」
「会社には?」
「ないと思うわ。たぶん」
「仕事で行ったところに置き忘れたとかじゃないですか?」
場を取りなすようにナナハネが言う。スカーレットは僅かに首を傾けると、困ったようにはにかんだ。
「えっと、たぶんだけど……落としちゃった?」
「何をしてるんですか」
「んん。ごめんなさい」
「大事な証拠だったかもしれないんですけど?」
「そうよね。うん。ごめんね」
レンリが厳しい口調で詰め寄っても、彼女は軽薄な笑みを消すどころか、むしろ深めるばかり。
反省しているにしてはあまりに軽々しい態度に、レンリの中で渦巻いていた物が一気に溢れ出した。
「いい加減にしてください! 受け取ってすぐにしまっておけばこんなことにはならなかったじゃないですか! 少し立ち止まるだけのことがなぜできないんですか! いくらあなたが忙しいからと言って、教会の任務を疎かにしていい理由にはならないんですよ! 自分の仕事ぐらい、責任持ってちゃんとやってくださいよ!」
「……」
スカーレットの顔からは、表情が抜け落ちていた。言い過ぎた。そう思った時にはもう遅い。一度突き立てた刃をなかったことにはできないのだ。
「私……だって……」
怒りもせず、俯きもせず、スカーレットは真っすぐにレンリを見つめた。その口から、言葉がぽつりとこぼれる。誰の物か分からないほど、その声はか細かった。
「私だって、いつも余裕でいられるわけじゃないの」
「えっ、あ、ちょっと、スカーレット社長?」
「一人にして」
追い縋るナナハネに明確な拒絶の意思を示すと、スカーレットは静かに扉を閉めて部屋を出て行った。
そして、その晩、彼女が会社に戻ってくることはなかった。
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