11 怪しい女たち

 ◆11



「何で渡さなかったの?」

「何のことだ?」


 問い詰める妻の声は冷たく、とぼける夫の表情は冴えない。

 客のいない魔法書店には、明らかに不穏な空気が流れていた。その原因となっている夫婦は、壊された本棚の前で悪感情もむき出しに睨み合っていた。


「顧客のリストよ。何で渡そうとしなかったの?」

「……」

「まただんまり?」

「……」


 十数秒の沈黙。一向に口を開かない夫に、リナリーの声が俄かに険を帯びる。


「分かってるの!? あなた、疑われてるのよ!」

「お前の方がよっぽど怪しかっただろう」

「何ですって!? 私はねえ、あなたのために!」


 今にも掴みかからんばかりの勢いで、リナリーがロアへと詰め寄る。ところが、応えるロアは冷やかなものだった。


「俺のために、わざと疑われるような真似をしたって言うのか。俺の過去の罪を魔法教会にばらすために」

「違うわ! 逆よ! 早く今回の犯人を見つけてもらわないと、余計なことまで詮索されちゃう! 何で分からないの!?」

「楽しいか?」


 嘲笑う夫が、真剣に訴える女を見下ろす。その瞳からは、かつて彼女が愛した温かさは失われていた。


「俺を追い詰めてそんなに楽しいか? 犯罪者を告発して自分は高みの見物か? リナリー」

「何でそうなるのよ!」

「もういい」

「待ってよ! ロア!!」


 本棚を乱暴に蹴り飛ばし、カウンターの方へ歩き出す夫。彼を心より慕う女は、掛ける言葉を持たずに後ろから追い縋る。


「リナリー!」


 糾弾するジンの声。それと同時に、客のいなかった店の扉が勢いよく開いた。盗難事件の発生以来、初めて訪れた客であった。

 リナリーは本棚の裏で両の頬に手を添えると、無理矢理口角を押し上げ、営業用の表情を用意した。


「いらっしゃいませ。魔法書店へようこそ」





「一昨日の夕方? 確かに行きましたけどー?」


 訝しげに応える女は、丈の短いワンピースに、ふんだんにフリルをあしらった白いエプロンを着けていた。いかにも男が好みそうなその服装は、彼女、パーシエ・タニアの働く喫茶店の制服である。

 魔法書店は、購入する際に、購入者の氏名と連絡先の登録を行う仕組みになっている。レンリたちは、リナリーから入手した顧客リストを頼りに、事件当日に店に出入りしていた者たちを一人一人当っていた。


「店にはどれぐらい滞在されていましたか?」

「そうねー……。一昨日はー、後に予定が入っててー……確か一時間ぐらい?」


 間延びした口調で、パーシエは応じる。

 その手は先ほどから女性向けと思われるファッション雑誌を捲っており、目線もレンリたちにはまるで向いていない。協力的とは言い難い態度であった。


「参考までに、その予定と言うのは?」

「うふっ」


 レンリが立ち入ったことを聞けば、女は怪しく微笑みながら自らの唇を指でなぞった。

 彼女の仕草から次の言葉を想像して、レンリは早々視線を反らす。


「そんなことを言わせるなんて、見かけによらず大胆な人。夜の予定って言ったらー、こ・れ・しかないでしょ?」

「あっ……」


 女は、握り込んだ右手から指を一本覗かせて艶のある笑みを見せつけた。仕草の意味は分からずとも、その言動から彼女の言わんとすることを察するのは容易い。

 こういった話題に弱い同僚は、隣で露骨に顔を赤らめていた。方や、色事に多少の免疫を持ち合わせるレンリは、あくまでも冷静に質問を再開する。


「それは失礼しました。ところで、一時間という滞在時間は、あなたにとっては短い方、ということでしょうか?」

「そうねー。私、週に一回はあの店に行ってー、日々魔法についての見識を深めているの。2時間や3時間はざらに経っているわね」

「す、すごいですね。学生じゃないのにお勉強なんて」


 ナナハネは、心底からの尊敬の念を体中で表現している。

 アカデミーの成績は常に下の下、追試験も補習授業も皆勤賞だったという彼女にしてみれば、パーシエのような存在はさぞや奇っ怪に違いない。


「すごいことなんてないのよー。私は魔法に興味があってー、専門書を読み漁っている時がいっちばん幸せなの。二十歳ぐらいの時からだからー、かれこれ10年になるかしらー? ああ、あと男に抱かれている時も……」

「そっ、そう言えば、試し読みコーナーがありましたよね。あそこで一時間とかずっと読んでるんですか?」


 雲行きが怪しくなってくると、ナナハネが被せるように質問をぶつけて話の方向性を修正する。


「もちろん、タダ読みしてるだけじゃないわよー。読んでみておもしろかったら買うの。私ー、結構いい常連だと思うわよー」

「そうでしょうね。大半の人間は、買ってもせいぜい魔法書3、4冊程度でしょうから」


 レンリの言葉に、パーシエが俄かに目を細めた。やがて瞳は閉じられ、言葉が紡がれる。

 雑誌の上に置かれた彼女の手。しかし、その手がページを捲ることはない。


「うふっ。仕事で使うわけでもないのに好き好んで魔法の専門書を買いまくるお客なんて、私とミゼルぐらいのものだわ」


 その口から飛び出したのは、後に訪ねる予定の顧客の名であった。その名前が確かに顧客リストにあることを確認し、レンリは透かさず問いを投げた。


「ミゼル・キャスターさんとはお知り合いですか?」

「前は、まあ……知り合いだったわよ」

「その言い方では、今は疎遠になっているんですね」


 レンリは遠慮することなく踏み込んでいく。気遣いに定評のある同僚が、隣で何かを逡巡しているのが分かる。


「あなた、見かけによらずぐいぐいくるわね」

「この程度のことで尻込みしていたら、聞けるものも聞けませんから」


 胸の前で腕を組み、レンリはそう豪語する。パーシエも負け時と挑発的な笑みを返した。


「もう一杯頼んでくれるんだったらー、教えてあげてもいいわよー」

「分かりましたよ。夜のお店ですか? ここは」


 ぶつぶつと文句を言いながらも、レンリはナナハネとともに追加のオーダーを入れるのだった。





「ミゼルと私は、3年前にあの店で仲良くなったの」


 初めのうちは、頻繁に顔を合わせるだけで、挨拶すら交わしたことはなかったと言う。

 しかし、同じ本を読んでいたことがきっかけで、魔法に興味を持つ者同士、急速に距離が縮まっていった。試し読みスペースで魔法について語り合い、店員にたしなめられたこともあったと言う。

 ただし、そんな日々も長くは続かず、やがて二人は道を違えることになる。


「悪魔に会いたい勝手聞かれたの」

「悪魔ですか」

「そう。悪魔よ」

「悪魔って、脅威の仲間の?」

「そうよ。段々変な本ばっかり読むようになって、悪魔を呼び出す方法とかー、そんな話ばっかりするようになっていったのよ」


 そこまで話すと、パーシエは白い泡の乗ったグラスを煽り、深く嘆息した。レンリはコーヒーを、ナナハネはオレンジジュースを片手に話を聞いている。


「悪魔を呼び出すなんて、そんなことできるんですか?」

「よく分かりませんが、穏やかでないことは確かですね。面倒事の予感がします」

「主属性を闇属性にしようとしたのにできなかったとかー、闇属性は魔法教会が独占してるとか。元々危ない言動が多い人だとは思っていたけど、まさかあそこまでのめり込むなんて、どうかしているわよ」


 泡の残ったグラスを乱暴に置くと、女は語り尽くしたとばかりに席を立った。


「ミゼルのところに行くなら気をつけてね。それと」


 そこで言葉を区切った女は、レンリの傍にやってくると、やおら上体を屈め、彼の耳元に唇を寄せた。そして、隣のナナハネにも聞こえない声で、こう耳打ちした。


「意中の女をその気にさせる方法、教えてあげましょうか?」

「け、結構です! 僕たちはそんな関係ではありません!」

「いるんでしょう? 手に入れたい女が」

「そんな人いません!」


 顔中に朱を差して、レンリが叫ぶ。女や色事に少々の免疫はあれど、不意の事態には滅法弱いレンリであった。

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