12 噛み合わない二人

 ◆12



 風のない路地裏には、湿気を含んだ陰鬱な空気が滞留していた。

 葉擦れの音一つないその光景の中に、佇む影が一つ。

 ふんわりとウェーブの掛かった長い金髪だけを見れば、絶世の美女と見紛う立ち姿。しかし、無骨に隆起した上腕、身に着けた戦闘用のジャケットを突き破らんばかりの筋肉、そして眼光の鋭い鋭角的な輪郭を見れば、彼が女でないことは一目瞭然だった。

 やがて、規則的な靴音が近付き、彼の隣に華奢な影が一つ増えた。女の中では高身長の部類に入る彼女も、この男と並べば頭二つ分は低い。

 男が口を開く。太くしゃがれた低温には、甘やかさがたっぷりと含まれている。


「自警団長であるこのあたしを待たせるなんて、いい度胸ね。スカーレットちゃーん?」

「申し訳ございません。ゲバルト・ハーデン自警団長様」

「ほんの冗談でしょう? 真に受けないの」


 眼下の女の肩を小突きながら、ゲバルトは器用に片目を瞑って見せる。背筋の伸びた佇まい。日に焼け、ぴんと張った顔の皮膚には皺ひとつなく、もうあと数年で齢60を迎える男には到底見えない。


「あなたの後ろから攻撃を加えてきた者の正体が分かったわ」

「お教えいただけますか?」

「んもちろんよ。そのためにあなたをここに呼んだんだから」


 彼の口から出たのは、昨日杖の店の店主との商談に利用した喫茶店の名前であった。

 店の前で起きたあの騒動のあと、アルバイト店員の様子がおかしいと、店主から自警団に通報が入ったのだと言う。

 確保されたのはどう見ても平凡な10代の少女で、放心状態のまま自警団に連行されたらしい。


「もう一人の犯人は、飛び降りたあの店でウェイターとして働いていた男よ。それから、さっきあなたを襲った容疑者なんだけどね? 郊外に魚料理の店を開いたばっかりだったんですって」

「共通点は、飲食業に従事しているということでしょうか。関連性があるのかは不明ですけれど。そして、中級魔法」

「あなたに聞いた通り、彼等はみんな資格を持たない身でありながら、中級魔法の魔法書を購入していたわ。3人全員よ。んまことに不愉快な話だと思わなーい? んねえ、公認魔法師のスカーレットちゃーん?」

「そうですね。買う者がいるということは、売る者もいるのでしょう」


 意味ありげな視線から研ぎ澄まされた刃が見え隠れしても、それを向けられた女は気付いた様子すらない。そもそも彼女には、魔法教会の手落ちを自身の過失だと考える頭がなかった。


「違法な購入に踏み切った理由はいろいろよん。若いのの間で流行っているとか、荒くれ者と渡り合うためとか、んまあ聞くに耐えない言い訳がつらつらと出てきたわけだけど」

「ご心痛のほど、お察しいたします」

「あらん、分かってくれるのー? 嬉すいー!」

「え、ええ……」


 無骨な腕を彼女の控えめな胸へと回して、ゲバルトは鋭角的な瞳をきらりと光らせた。

 この男、女に対するスキンシップが激しいのは今に始まったことではない。当人曰く、『女の子はみーんなお友達』ということらしい。

 しばし触れ合う女の体温を味わっていたゲバルトは、不意に声を低めて話を再開した。


「んでね。驚くべきは、その魔法書の購入先だったのよ。これまでは、正体の知れない輩に売りつけられたとか、そんなのが多かったじゃない? んだけど、この3人はそうじゃなかったの」

「魔法書店でしょうか?」

「さっすがはスカーレットちゃーん。助手にほしいわん」

「彼等の証言に何か変化はあったのですか?」

「ないわねー。身体がひとりでに動いたと、そればっかりで、嘘をついているにしては、3人が3人全くおんなじ証言をしてるっていうのが引っかかるのよねー」


 頭を抱えてみたり、自分のこめかみを指でとんとんと叩いてみたり。煮え切らない表情のゲバルトは煩悶はんもんの唸りを漏らす。


「そうですね。自分の意思によらずに襲撃に加担させられていたとしたら……」


 思案顔で呟くスカーレットの声には、幾許かの悲哀が含まれている。それを聞いたゲバルトは、冴えない表情をさらに曇らせ、逞しい首を大きく振った。


「いくら何でもそんなことはあり得ないわ。魔法教会に属しているあなたにならお分かりでしょう?」

「そうでしょうか……?」


 襲撃者と直接相対したスカーレットには、彼が口にした希望的観測を信じることはできなかった。

 自分たちの常識と理解の範疇を超えたところに、事件の核心は潜んでいる。今の自分たちでは真相に辿り着くことはできないのだと、それこそが唯一の真実であると、彼女の鋭い直観が教えているのだった。


「我々自警団としては、すぐにでも魔法書店の立ち入り調査に踏み切りたいの。とは言っても、なんたって相手は魔法に精通した人間だもの。用意は盤石にしなきゃいけないわ。これ以上油断して恥じを晒すようなことがあってたまるもんですか」


 攻撃的な相貌を悔しげに歪めて、ゲバルトは言った。眼下の女は黙って話を聞いている。


「んてなわけでね。魔法教会との和やかーな協議の結果、3日後に自警団が突入することが決定したわ」

「はい」

「何を調べているのか詮索するつもりはないけど、それまでにあなたの部下は引き上げさせておいてもらうわよん」

「承知いたしました」


 この話しぶりから、スカーレットは二つの事実を理解した。

 一つは、魔法書の盗難事件については、まだ自警団には公表していないということ。そしてもう一つは、その事件の解決にタイムリミットが設けられたということだ。


「あなたも災難でしょうけど、まあせいぜい自分の身は自分でお守りなさいよ」

「はい。当分は耐魔服の装備を忘れないようにしようと思います」

「それから、ゆめゆめ一般市民を巻き込まないようにねん」

「心得ております」

「んよろしい。それじゃっ、ばいびー!」

「失礼いたします」


 一度大きく手を振ると、波打つ金髪を揺らしながら、権威ある男が去っていく。残された女もまた、彼に背を向けて足を踏み出した。


「あんまり魔法教会に肩入れしすぎるんじゃないわよー! スカーレットちゃーん!」

「それは確約いたしかねますが、心には留めておきましょう」


 背中越しに挑発的な会話を交わし合い、二人は別々の方角へと姿を消すのだった。





 カルパドールで最も賑わう大通りには、北通り、中央通り、南通り、港通りと、非常に分かりやすい名がつけられている。

 中でも、北通りには、セントラルタワーと呼ばれる構想の建物や自警団の本部、病院など、街の中枢を担う施設が多く集まっている。

 頻繁に歩行者同士がすれ違うこの通りを、やや疲れの見え始めたレンリが歩いていた。隣では、まるで疲れを知らない同僚が、オレンジ色の髪を躍らせながら歩みを進めている。


「ミゼルさんは、何で悪魔なんて呼び出そうと思ったんでしょう?」

「世の中には、そういったおかしなことに傾倒する輩が一定数いるものです。きっかけはいろいろですが、共通していそうなのは、現状に不満を持っているということでしょうか」

「不満がなければ、わざわざそんなことに手を出す理由がありませんもんね」


 冷静に分析をしながらも、レンリの脳内には、忘れることのできない光景が過っていた。

 隙間風が吹き込む冬の古家。杖を捨て、殴り合う大人たち。飛び交う怒声、上がる悲鳴。部屋の隅で背中を丸めた茶髪の少年。彼の胸で渦を巻く、淀んだ昏い感情。


「壊れればいい。何もかも」



「あっ! スカーレット社長!」


 レンリの暗く沈んだ思考を呼び戻したのは、ナナハネの声と、その中にあった愛しき者の名前であった。

 目線を上げれば、平時のビジネススタイルに身を包んだ社長が速足で歩いてくるところだ。普段は背に流されている長い髪は、チェリーピンクの大きなヘアクリップで無造作にまとめられている。


「え? ああ、ナナハネちゃん、レンリくん、お疲れ様」

「お疲れ様です」


 おざなりな労いを残してそのまま横を通り過ぎようとするので、無意識にレンリは彼女へと追い縋っていた。


「あの、スカーレットさん」

「今ちょっと立て込んでて……何?」

「待ってください。せめてこれだけでも……」


 夢中で手を伸ばし、肩を掴む。普段は見ることのない丸出しのうなじに目を奪われるが、それどころではない。

 魔法書店で拾った紙片を押し付ければ、ぞんざいに奪い取られた。


「後で見るわ」


 取り付く島もないとはこのことだ。

 右手に紙片を握ったままの姿勢で、彼女は曲がり角の向こうへと速足で姿を消した。その速さたるや、まともに顔を見ることすら許されなかったほどである。その冷淡な態度に、かつての母の姿が重なる。


「何なんですか、もう!」


 彼女の消えた方を睨み据えて、レンリは毒づいた。

 仕事が多忙を極めているようで、このところめっきり相手にされていない。彼女に対するレンリの苛立ちは、着実に募っていた。


「あの……」


 大股で歩みを再開したレンリへ、ナナハネが遠慮がちに話しかけてきた。


「スカーレット社長、最近また忙しそうですね」

「あの人が暇そうにしているところなんて、ほとんど見たことありませんけどね」

「そ、そうですね。すみません」

「僕の方こそすみません。ナナハネさんが気を遣ってくださっているのに、自分のことばかりで余裕がなくて」

「私だって余裕がない時はあります。昨日だって、契約が満了を迎えた案件があって、更新してもらうようにって社長から任されたのに、お客様の納得する提案ができなくって」


 声のトーンを数段落として、ナナハネは言った。レンリが落ち込んでいると、彼女はいつも自分の失敗談を照れくさそうに語って聞かせるのだ。

 年下の女に慰められている。惨めだった。居たたまれなかった。しかし、それでも、温かかった。

 他人のありのままを受け入れることのできる彼女の前では、意地も虚飾も必要ない。歩みを止めずに、レンリは控えめに口角を上げた。


「ありがとうございます。もう大丈夫です。早く魔法書店に向かいましょう」

「そうですね。私たちが魔法書盗難事件をすらすらーっと解決して、スカーレット社長をびっくりさせちゃいましょう」

「そううまくいくとは思えませんが」

「せっかくやる気を出したのに、レンリさんひどいです。パーシエさんに何を言われたのかも、全然教えてくれないし」

「それは失礼しました。って、その話はもういいじゃないですか!」


 並んだ二つの影は、明るい声を振り撒きながら目的地へと向かっていく。

 誰かが残した謎のメモ用紙、つれない態度のスカーレット。それらについては、一旦考えることを放棄する。

 一瞬すれ違っただけの二人は気がつかなかった。スカーレットの両手に、いつもはない白い手袋が着けられていたことに。

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