第二章 「妖精はおやつですか?」

01 現代の勇者たち

 ◆1




 勇者。


 世界の危機を退けた者の代表に、その称号は与えられる。輝かしい栄冠と羨望の眼差し、そして、期待、不満、しがらみ。その他さまざまな厄介事とともに。

 赤き勇者。青き勇者。幼き勇者。ろうの勇者。この世界の歴史にも、世界を救った英雄として、数名の勇者が登場する。

 彼等は一様に、数名から10名足らずの仲間を伴い、世界を、あるいは人間を脅かす脅威と戦い、平穏を取り戻してきた。

 と、言われている。


 勇者と聞くと、どのような人物を思い描くだろうか。精悍な顔立ちの青年。純真無垢な少年。天真爛漫な少女。清らかな乙女。正直者。しっかり者。お人好し。策略家。

 この時代の勇者は、そのどれにも当てはまらない。





 オリエンス商会は、1階がオフィス、2階が社員寮になっている。家族や同居人のいる社員以外は、大半がこの社員寮で生活をしていた。無論、レンリもその一人である。

 始業時刻が迫るオフィス。仕事の開始に際して憂鬱な気分で階段を下りていたレンリは、階段の下で壁際に張り付くアイスブルーの髪を発見した。

 白壁に寄り添うようにして、スカーレットが佇んでいる。傍らを通り際に覗き見れば、口を半開きにして虚空を見つめていた。思案顔と言うより間抜け顔だ。


 スカーレットは、しばしばこうしてオフィスの壁際で放心している。社員は見慣れているので誰も気に留めないが、社外の者には見せられない一面だと、レンリは思っている。

 完全に無防備なその素顔を見られれば、社長の肩書も勇者の威厳も形無しだ。少なくとも、イメージダウンは避けられない。それほどまでに、勇者としての彼女に期待を寄せる者は多いのだ。

 普段であれば、余計なちょっかいは出さずに通り過ぎるところだが、この日は、何ともなしに話しかける気概を得た。


「スカーレットさん」

「えあっ、えっ? あっ、ああ、レンリくん。おはよう」

「おはようございます」


 虚を突かれたような呆けた表情から一転、平素のポーカーフェイスを取り戻した社長と、白々しい朝の挨拶を交わす。この二人、つい先ほど、彼女の部屋で朝食をともにしたばかりである。


「そんなところで何をしてるんです?」

「ねえ、レンリくん。人って言うものは、見た目が全てじゃないわ」

「……は?」


 眉間に皺を寄せ、スカーレットはぽつりと呟いた。その顔に茶化すような雰囲気はなく、ただ事ではない様子だ。


「見かけだけを見て、その人の内面まで分かった気になることって、結構多いでしょ?」

「はい?」

「だけど、外見を整えることだって、確かに大切よね」

「あなた、さっきから何が言いたいんです?」

「あのね。そろそろ、いいんじゃないかと思って」

「だから、何がです?」


 もどかしさからの苛立ちが語調に滲む。レンリは、あまり忍耐力のある方ではないのだ。

 そんな彼に、スカーレットは神妙な面持ちのまま視線を下げ、スーツの上着に留められた一枚のカードを指し示した。『スカーレット・オリエンス、オーナー、25歳』と書かれている。


「私……。26歳になってもいいかしら?」


「どうでもいいわ!!」


 瞬間、小気味の良い音とともに、丸められた書類の束が彼女の頭頂部を直撃した。どこか愉快なその音に、レンリの気分は些か晴れる。

 スカーレットはと言えば、左手を被害個所に乗せて不思議そうな顔をしている。


「レンリくん。仮にも私はあなたの上司よ。目上の人間の頭を殴打すると言うのは、世間的にやっちゃいけない気がするんだけど」

「何なんですか、朝から真剣に考え込んでいると思えば! そんなくだらないことに一体どれだけの時間を費やしてるんですか!? 仕事しなさいよ! しかも、言い方が回りくどいんですよ! 社員証の年齢なんて、好きに変えたらいいでしょうが!」


「それじゃあ、思い切って18歳とかどうかしら?」

「鯖を読むのも大概にしてください!」

「そうよねえ。やっぱり正直に書くべきよね。507歳って」

「さらっと公表するな! 仕事に差し支えますよ!」

「じゃあ、年齢不詳?」

「書く気ないなら欄を作るな!」

「ひ・み・つ。これならどう?」

「どこぞのアイドルか!」

「ねえ。私、何歳に見える?」

「水商売の女か!」

「ねえ、みんな。私って、何歳に見える?」

「ボケじゃなかった!?」


 一連のやり取りを微笑ましく傍観していた社員たちは、思いがけず話を振られて驚いたようだった。一同、顔を見合わせ、そして目を反らす。


「え? どうして応えてくれないの?」

「それはー……ねえ?」

「今更ですし。ねえ?」

「んなこといちいち気にすんなよ」

「スカーレット社長。社長はまだまだ平気ですよ。永遠の25歳です。それでいいんです」


 この不毛なやり取りに終止符を打ったのは、満面の笑顔のナナハネによる、偽りなき一言であった。





「レンリ。あんたもやるわね。あの社長にあんな激しいツッコミ入れるなんて」


 一部始終を目撃していたピンク色の髪の女子社員、会計士のシャルネ・フリンクが、感心した様子で話しかけてきた。

 スカーレットの突飛な言動や行動に対し、レンリが思い切り指摘や反論をぶつけることは、決して珍しくなどない。むしろ、ごく日常的なことだ。

 ただし、それは、彼女と二人きりでいる時の話だ。二人が恋人同士であることは、他の誰にも公表していないのだった。

 公然の場で行動に及んでしまったことを客観視して、レンリの顔は熱くなる。


「いや、あの人と話していると、つい黙っていられなくなると言いますか……」

「分かるけどね、その気持ちは。それを行動に移せるのがすごいって言ってんのよ」

「そ、そうですかね」

「知ってます? そう言うのを、夫婦めおと漫才って言うらしいですよ。はい、お姉ちゃん」


 数冊の本をシャルネに手渡しながら言うのは、彼女よりほんの少し濃いピンクの髪を両サイドで編み込んだ女子社員。シャルネの双子の妹で、事務員のシャルナ・フリンクである。


「シャルナ、ありがと。夫婦漫才? 何よそれ、聞いたことないわね」

「めおとって言うのは、夫婦のことなんですよ」


 レンリの方に視線を向け、シャルナが微笑む。彼女は、男女の恋愛に関する話が大好きだった。二人は、しばしば事務作業をするレンリの隣で無益な噂話に花を咲かせている。


「はあ? レンリと社長がー? ないない! あの社長がこんな平凡な男を選ぶはずないじゃない」

「お姉ちゃんったら、レンリさんには容赦がないんだから」

「だってさあ」


 このような話題になった時、レンリは決まって気配を殺し、口を閉ざした。話している彼女たちに他意がないことは分かっているし、口を開けば間違いなく余計なことを言ってしまう。



「きゃっ!」


 と。受付カウンターの上に筆記具や本を並べながら雑談をしていたシャルナが、出し抜けに鋭い悲鳴を上げた。


「何よシャルナ。どこ見て……」


 顔を強張らせ、シャルナが指差しているのは、朝の街の光景を切り取る長方形の窓。そこにいたのは、何と言うことはない、一匹の小さな蜘蛛であった。


「ちょっと! 何でこんなとこに蜘蛛がいるわけー!?」

「お姉ちゃん、どうしよう!」

「アンナよ! アンナを呼んできて!」

「でもアンナちゃん、2階に行くって……」

「ナナハネとガスパーは!?」

「分かんない」

「ちょっとアンナー! セレン!? レンリ! 社長も、見てないでどうにかしてくださいよ!」

「蜘蛛は人には害を及ぼさない生物ですよ。放っておけばいいじゃないですか」

「嫌よ! 何でもいいから早く追い払って!!」


 時折、こうして社内に昆虫が侵入してくることがある。そんな時は、双子の社員が大騒ぎをし、ナナハネや社長秘書のセレン、虫を見ても顔色一つ変えない機械技師などが、逃がしたり退治したりして事なきを得る。レンリやスカーレットは、いつもその騒ぎを傍観するのみである。


 しかし、今回動いたのは、先刻までせっせと出かけ支度をしていたスカーレットであった。窓際を一瞥したかと思うや、不意にスーツの上着の中に手を差し入れ、自身の髪と同じ色の杖を取り出した。

 黙したまま、躊躇なくそれを振り上げる。


「アイス」


 感情のない声とともに、杖先から冷気が迸る。壁を伝い、天井へ辿り着こうとしていた蜘蛛は、氷塊と化して地面に転がり落ちた。


「わあ、すごーい」

「社長? あたし、何もそこまでしろとは言ってないんですけど……」

「スカーレットさん。あなた、また無益な殺生を。それも、世界に一つしかないフォースラビリンス竜殺しの杖をそんなことに使うなんて」


 揃って呆れの眼差しを送る社員に、スカーレットはこともなげに応える。無論、平素の営業スマイルで。


「会社の中に家を作られでもしたら大変じゃない。こういう子たちは、逃がしてもすぐに戻ってきちゃうんだから、早めに対処しておかないとね」

「あ、あの……」

「どうしたの? シャルナちゃん?」

「もう……」

「できてます……」


 シャルナ、シャルネ、揃ってある一点を指差す。そこには、先ほどの蜘蛛が拵えたと思われる、それはそれは立派な蜘蛛の巣が、べったりと張り付いていた。


「アイス」


 呟くような詠唱。家主のいなくなった蜘蛛の巣が、美しい氷の宝石へと姿を変える。


「それじゃあ、私は出かけてくるわね。あとはよろしくね、みんな。さあ、仕事仕事!」


 言うが速いか、大きな革製のビジネスバッグを片腕に抱え上げる。わざとらしい笑みを顔に張り付けたまま、スカーレットは小走りで自動扉を飛び出して行った。


「逃げたね」

「逃げたわね」

「ふー」


 双子が顔を見合わせ、レンリが嘆息する。これが、後に起こる小さな事件の始まりになることなど、この時のレンリは知る由もなかった。




 ◆2




 妖精暦998年、ララの月。世界中の脅威が一夜にして活性化すると言う大災害が起きた。

 その後、各地で、目覚めた脅威による反乱が起こり、安寧の時代は終わりを告げた。人々は、その日のことを『落日の夜』と呼び、近付く終焉の気配に心を蝕まれていった。

 後に分かったことだが、それは、魔竜フェイデルが数十年の封印から解き放たれたことによるものであった。


 そして、今から2年前の、妖精暦1001年、ミスティーの月。世界から人間を排除するべく、各地で猛威を振るっていた魔竜フェイデル率いるドラゴンたちが、光属性の魔法師率いる4人の人間によって討伐された。

 自ら立ち上げた会社の社長として、表舞台で手腕を振るいながら、裏では脅威の退治や人命救助などを請け負う、才色兼備の女。彼女の存在は、やがて白き勇者として、人々の記憶に刻まれた。

 しかし、彼女たちの戦いぶりを直接その目で見た者はいない。即ち、ごく僅かな例外を除いて、勇者の素性は知られていない。

 彼女が500年の時を生きる不老長寿であること。そして、使える属性を一つしか選べない現代において、3つの属性を操ることのできる、異端の存在であることを。


 白き勇者自らが選定したと言われる仲間は3人。元サーカス団員で、身軽な動きと手数の多さに定評のある、愛らしい容姿の女魔法師。豊富な知識と優れた治癒魔法で、一行を支える治癒師の男。そして。


「レンリー! 20グラン貸してー!」

「嫌です」


 四六時中生気に満ち満ちているこの男、ガスパー・ディアンツ。癖の強い金髪に、左目の眼帯が特徴的な彼こそ、白き勇者とともに魔竜を討伐した3人目の魔法師である。


「レンリのケチー! 貸してよー! 今日だけでいいからー! 10グランでもいいからー!」

「嫌ですよ、何だってあなたなんかに。大体、前に貸した20グランがまだ帰ってきていないんですが?」

「そ、それはー……。今度返す! 必ず返す! だからお願い!!」

「絶対にお断りです!」

「そんなーーーーっ!!」


 二人は、木製のテーブルで向かい合って昼食を摂っていた。今日のメニューはきのことベーコンのクリームパスタ、そしてオニオンスープだ。

 4人掛けのテーブルが二つ並んだこの部屋は、社員の休憩室である。カウンターの向こう側にはキッチンがあり、金髪赤目のコックの男がてきぱきと立ち働いている。


「お願いお願い、優しいレンリくーん」

「嫌だと言ってるでしょう」

「早く買わないと売り切れちゃうよー! 運命の出会いだったんだよー!」

「しつこいですよ」


 顔の前で両手を合わせ、なおも食い下がる金髪緑目の男。頼む相手が女であったなら、うっかり財布に手を伸ばしてしまったかもしれないが、と、レンリは考える。何せこの男、とかく顔形が整っている。黙っていれば絶世の美男子なのである。そう、黙っていれば。

 彼の話を要約すると、こうだ。

 恋人にプレゼントしたいカチューシャを見つけたが、直前に漫画本を衝動買いしたために持ち合わせがない。どうしても諦められないので、不足分を融通してもらえないだろうかと言うことだった。

 先月は、錬金室を2回損傷しており、修理代が給与から差し引かれたことは知っている。毎月欠かさず田舎への仕送りをしていることも聞いてはいる。

 要するにこの男、万年金欠なのである。


 ガスパーは、魔竜討伐のあと、錬金師として、その道20年のベテラン社員に弟子入りを志願した。錬金の才は、そのベテランが目をみはるほどなのだと言うが、何しろ失敗が多い。それも、笑って済まされるような些細な失敗ではなく、錬金室の耐魔壁に大穴が開くような大失敗だ。

 初めのうちこそ手取り足取り根気強く教えていた師匠の男も、幾度となくその惨事に巻き込まれるうち、終いには、ガスパーといると寿命が縮むので部屋を別にしてくれと、社長に懇願したと聞いている。

 しかし、見込みのないことに対してはわりとシビアな経営陣が、ガスパーを錬金の現場から外さないのだから、それ相応の成果は上げているのだろう。


 閑話休題。食事をしながらの二人の攻防は続いている。


「それは、漆黒の夜空に煌めく流星のごとし。あれぞまさしく、ミッドナイトクイーンに相応しき宝飾品!」


 喋りながら食べているとは思えない速度で、皿の中身が減っていく。

 ガスパーは、恋人や自分自身に意味不明な呼び名をつけたり、台詞の端々で無駄に格好をつけたり、わざわざ言葉を言い換えてややこしくしたりと言った、益のないことが好きな人間だった。

 初めの頃は、レンリを筆頭に都度指摘をしたり聞き返したりしていたものだが、今となっては、彼の謎の言動に逐一反応する社員はいない。


「ヘアアクセサリーなんて、無理をしてまで買う物ではないでしょう」

「そうだ! レンリの絵の練習台になるって言うのはどうだろう? 最近新しい描き方を模索してるって言ってたじゃん?」

「結構です。あなたの絵はもう描き飽きました」

「がーん! じゃあ、ナナハネ! ナナハネも一緒で! それならいいだろう?」

「ほう。本人の許可なく恋人を売ろうと」

「そっ、それはー……」


 いい加減にこの話題を切り上げたくなり、空になった食器をひとまとめに抱えて立ち上がる。食べるスピードは速い方だ。


「いいじゃないですか。グランを持っていなくても社員食堂はありますし、寝るにも食うにも困らないんですから。そんなに恋人にいい顔をしたいのなら、せめてその衝動買いの悪い癖を治すことですね」

「うわーーーん!」


 両手でその端正な顔を覆い、泣き真似をする姿は、あとほんの2ヵ月で31を迎えるようには到底見えない。



「おなかすいたー。ガルオンさん、レンリさん、お疲れ様です。ガスパー、何してるの?」


 休憩室の扉が勢いよく開き、ピンク色のワンピースが飛び込んできた。

 淡いオレンジのセミロングヘアをふわふわと遊ばせながら、軽快な足取りでガスパーの隣にやってくる。そして、両手を顔に当てて茶番を続けていた彼を、訝しげに見つめた。

 彼女こそが、先刻二人の話題に上っていた人物。ガスパーの意中の相手であり、彼と男女関係にある女である。


「お疲れ様です、ナナハネさん」

「お、おう、ナナハネ! お疲れー! こ、これはその、な、何と言うことはない。気にせずともよいぞ」

「また変な喋り方になってるよ。ガスパーはほんとに隠し事が下手だよね」

「そ、そんなことはないぞ!」


 彼女が敬称をつけずに恋人を呼ぶようになったのは、つい最近のことだ。ガスパーからの達ての要望だったらしい。9歳という年の差から遠慮していたのかもしれない。

 黙って席を立ち、食器を下げる。カウンターに置いておけば、コックが片付けてくれることになっている。レンリとて、ここで恋人の不出来を喜々として告発するほど非情でもない。


「ほらよ」

「わあ、おいしそう! ありがとうございまーす!」


 大柄なコックが言葉少なに食事のトレーを運んでくる。湯気を立てる麺に、ナナハネは即座にフォークを入れる。社員がくる度に温かい食事を用意するのが、この会社のコックのさりげない心遣いだ。

 ズボンのポケットからミミアを取り出し、時間を確認する。午後の始業までにはまだ少し時間があった。

 思案の後、ガスパーの向かいに座ることにする。この時間に彼女がオフィスにいる可能性は低いし、いたとしても、素っ気なくあしらわれるのは明白だ。

 何より、この二人といる時は、自然体に近い自分でいられるのだった。

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