02 少年の依頼

 ◆3




「こんにちはー! ナナハネはいますか?」


 昼休憩の終了時刻。3人で休憩室を出たところで、会社の自動扉が開いた。入ってきたのは客ではない。

 群青色の髪の若い男が、大きなバスケットを片手にオフィスの中をきょろきょろと見回した。

 訪問者の正体を確かめるべく入り口に目をやった社員は、彼の姿を認めると、揃ってげんなりとした表情を浮かべた。ガスパーは、軽く手を上げて錬金室へと入ってしまう。


 その姿を見ても愛想のよい顔を崩さないのは、彼の目当ての人物、ナナハネ・ハートリーだけである。


「あれ? レミールさん。こんにちは。どうしたんですかー?」


 男の傍らまで寄って行くと、差し出されたバスケットを丁重に受け取る。それは、飽き飽きするほどよく見る光景だった。


「これ、ちょっとだけど、みんなで食べて。形が悪い物ばっかりだけど、味は間違いないと思うからさ」

「わあ、いいんですかー? いつもありがとうございます」

「いやあ、大した物じゃないんだけどね」


 彼の実家は小さな八百屋を営んでおり、店に出せないような商品を頻繁に差し入れてくるのだった。

 彼が、すでになくなっているナナハネのファンクラブに入っていたことは、誰もが知る事実である。そして、恋人がいることを知ってなお、彼女を諦めていないことも。

 手土産を持ってくるだけならいい。だが、そのままきっかけを得るまで居座ってしまうところに、社員たちはもちろん、ナナハネもほとほと困っていた。

 彼女は、決断や拒否と言ったことが非常に苦手だった。気が利くと言えば聞こえはいいが、どうしても相手の表情や評価を気にかけてしまう。ずば抜けた決断力と行動力を持ち、相手の反応を気にするどころか片っ端から空気を壊していく社長とは、見事なまでに正反対だ。


「なあ、聞いたかい? 君がよくデートで行ってる妖精園、昨日から休園になってるらしいよ」

「そうなんですか? 何があったんでしょう?」

「それは俺にも分かんないけどさあ……」


 果たして、始まる世間話。溜息をついたのは、レンリばかりではない。

 このオフィスに事務室は存在しないので、入り口での会話は事務仕事をしている社員に全て筒抜けだ。要するに、仕事に集中できないのだ。

 機械技師に頼み込んで、資料室に避難しよう。そう思い、レンリがデスクの物をまとめ始めた時だ。


「そうだ、すっかり忘れてたや。それとな、この会社を探してるって子供がいたんで、一緒に連れてきたんだよ」


 目端で様子を伺えば、彼の隣に小さな人影が一つ増えている。いつもと違う転開に、レンリの感心は僅かに彼等の方へと移った。


「あっ、こんにちは」

「こんにちは」


 背筋を伸ばし、明瞭な声で挨拶をしたのは、10歳前後のブロンドの少年であった。物怖じすることなく、少年はナナハネを見据えている。


「ここに勇者様がいるって聞いてきました。勇者様は、今ここにいますか?」



「はーい! 勇者は私ですよ」


 意外にも、返事は外から聞こえてきた。並んだデスクの脇、開いた窓のすぐ傍を、微笑するスーツの女が通り過ぎた。

 直後、自動扉が開き、仕事帰りのオーナーを迎え入れる。彼女は、ビジネスバッグを端に置くと、サファイアブルーの瞳を姿勢よく立つ先客へと向けた。


「みんな、お疲れ様。ごきげんよう、可愛いお客様」

「ご、ごきげんよう……」


 スカーレットが雅やかに一礼すると、少年もぎこちなく頭を下げた。先ほどまでよりも幾分か緊張しているように見受けられる。

 こういう時の彼女の所作は完璧だった。格式のある家の令嬢として、厳しく教育されたと聞いている。

 その実は、ダンジョンにあった鉄の扉を凍らせてから蹴り破ったり、所構わず地べたに座り込んで仕事をしたりするような、破天荒な人間なのだが。


 2年前、魔竜が世界から消えたあと、瞬く間に勇者に関する噂が世界中を席巻した。勇者には白い翼が生えているだとか、聖母のようにどんな邪念も取り払えるだとか、大抵は流言飛語りゅうげんひごも甚だしいものであった。しかし、3ヵ月を過ぎた頃には口さがない民衆も噂に飽きて、信憑性のある情報がちらほらと聞かれるようになっていった。

 平穏に暮らしたいと言う当人たちの願いも空しく、勇者の居所は世界中の多くの人間に知れ渡ることとなったのである。

 最初こそ、否定したりはぐらかしたりしていた彼女も、それが面倒事を増やすだけだと気付いてからは、こうして誰にでも素性を明かすようになっていた。もはや諦観の境地である。


「私はスカーレット・オリエンスと申します。あなたのお名前も教えてもらえますか?」

「ぼっ、僕はザイドです。ザイド・フェイマーです」

「では、ザイドくん。早速だけれど、あなたのご用件は何でしょう?」

「ぼっ、僕の父を助けてくれませんか!?」


 叫ぶように言うや否や少年が勢いよく頭を垂れるので、二人で談笑をしていたナナハネとレミールまでもが、何事かと振り返った。無論、レンリもデスクの書類を整理するふりをしながら聞き耳を立てている。


「お父様がどうされたの?」

「このままじゃ、なくなってしまいます。父のエイミーガーデンが!」

「エイミーガーデン? えーっと……ごめんなさいね。エイミーガーデンって何かしら?」


 人差し指を口に当て、申し訳なさそうに尋ねるスカーレット。驚くザイドや口を開きかけたナナハネたちよりも早く、レンリがデスクから助け舟を出した。


「港通り沿いにある妖精園の名前ですよ」

「そうだったのね」


 レンリをちらりと一瞥し、スカーレットは再びザイドの方へと視線を戻した。


 妖精の保護や生体の研究を目的として作られた施設。それが妖精園だ。

 日々の暮らしの様子や彼等によるパフォーマンスが見られたり、実際に彼等と触れ合えたりと、一般客へのサービスも充実している。今では、デートスポットや子供向けのテーマパークとして、数多くの雑誌に取り上げられているのだった。


「あなたのお父様の経営されている妖精園が危ないと、そういう理解でいいのかしら?」

「はい。ねえ。勇者様なら助けてくれますよね?」

「分かりました」

「ほんとですか!?」

「ええ」


 僅かな逡巡も見せずに、社長はあっさりと承諾の意を示した。彼女は、事の詳細を全く確認していない。驚愕で言葉を失うレンリを尻目に、あれよあれよと話を進めていく。


「まずは、あなたのお父様にお会いしたいので、都合のいい日時を教えてくれますか?」


 尋ねながらザイドの前に屈み込むと、濃紺色の手帳を開いてスケジュールを確認し始めた。


「これからって言うのは?」

「ごめんなさい。今日は予定がたくさん入っているので行けません。明日の午前中なら都合をつけられそうですが、どうかしら?」

「じゃあ、明日の朝、10時にエイミーガーデンの入り口にきてください」


 スカーレットは手帳に素早く文字を書き込むと、少年の目を見つめて大きく首肯した。


「ええ、必ず参ります。それでは、お父様によろしくお伝えくださいね」

「はっ、はい! あの!」


 立ち上がり、手帳一式をバッグにしまい込むスカーレットを、幼い声が引き留めた。どことなく必死な様子が声音に滲んでいる。


「はい? 何か?」

「あの……勇者様……」

「何でしょう?」

「勇者様って……すごく、きっ、綺麗……ですね!」


 少年は照れくさそうにそう言うと、すべすべの頬を朱色に染めて俯いた。純粋な子供の拙い口説き文句に、その場にいた者全員の表情がふっと緩む。

 その言葉を聞いたスカーレットは、膝を折り、目線をしっかり合わせると、小さな頭にそっと手を乗せ、にっこりと微笑んだ。


「ありがとうございます、ザイドくん」


「スカーレットさん!」


 見る者を圧倒する魅惑の笑顔だ。それを認識した瞬間、名状し難い感情に駆られて、本能的に彼女の名を叫んでいた。


「レンリくん? どうかしたの?」


 ザイドに目線を合わせたままの姿勢で、スカーレットが怪訝そうに見上げてくる。ザイドは、デスクに座るレンリの方へと驚愕の表情を向けた。


「あ、その……。そろそろ、お時間かと……」

「そうね。そろそろ次の約束の時間だわ。用意をしなきゃ」


 ミミアのディスプレイを確認し、やおら立ち上がる。その目にはもう少年の姿はない。


「ザイドくん、また会いましょうね。レンリくん、お見送りはお願いね」

「なぜ僕なんですか」


 抗議しながらも、ゆっくりと自席を立つ。このよこしまな感情を悟られなければいい。この時のレンリは、そればかりを考えていた。

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