04 隣席の女、隣人の男
◆7
「あなたがクライブ先生ね?」
昼食時、職員室の自席に座して味気のないパンを齧るレンリに話しかけてきたのは、首や腕をカラフルに飾りたてた、化粧の濃い女であった。年の頃は30を過ぎた辺りだろうか。
隣のデスクからこちらを覗く彼女の手には、溢れんばかりに野菜の詰まったラップサンドが握られている。
「そうですが、あなたは?」
「ふふっ、やっぱりね。子供たちから聞いたわ。つまんない先生だって。あなたのことだってすぐに分かったわよ。どこにでもいそうな顔してるから」
初対面の人間にするとは思えない無礼な物言いに、レンリは思わず不快感を露わにする。
「悪かったですね、つまらなくて。何なんですか、あなた」
「えっ、怒ってるのー? かーわいい。あたし、あんたみたいな男、好きよ」
「冷やかしはやめてください。僕はレンリ・クライブです。オーウェン先生の代理として……」
「知ってる知ってる。あたしはオルカ・フラットリー。オルカでいいわよ、レンリ」
彼の話を遮ると、その女、オルカはいかにも楽しげな笑顔で身を乗り出してきた。大きく開いたシャツの胸元から豊かな胸がちらりと覗く。レンリが視線を彷徨わせる様子を、オルカは愉快げに眺めていた。
「ずいぶんと馴れ馴れしいんですね」
「新人を可愛がるのも先輩の務めですもの。あなた、まだ若いでしょう?」
「24ですが」
「ほーらね。あたしは34だから、ちょうど10歳差ね」
「10年ですか」
「なーに? 大したことないって言いたそうね。若造のくせに」
「誰も言っていませんよ」
人の一生において、10年と言う時が果たして長いのか、短いのか。その一瞬、レンリの脳裏にはある人物の姿が過っていた。
昼食を取りながらの会話は、想像以上に楽しいものであった。
レンリは、自分が魔法都市ベルベリアの教員をしていたことを話した。オルカは、アカデミーの卒業とともに、この大陸の別の町から上京してきた時のことを、大げさな身振り手振りを交えて饒舌に語って聞かせた。
彼女の話には少し誇張されていると感じる部分も多かったが、聞く者を退屈させない不思議な魅力があった。そして、レンリの話にも絶妙なタイミングで相槌を打つのだった。
尽きることのない彼女との話は、新しい情報をいくつかレンリに齎した。
先日出会った不愛想な教師はテイキッド・リジンと言う名であること。彼がオーウェンに交際を迫っていると言う噂が校内に広まっていること。そして、リジンと出会った奥の建物は旧校舎と呼ばれていて、普段は人が立ち入れないようになっていること。
「がたがきてるから取り壊さなきゃいけないんだけど、予算がなくてほったらかしになってるんだってさ」
そう言い終えると、ラップサンドの最後の一口を口いっぱいに頬張った。
「旧校舎には一体何があるんです?」
「ん? 何もないわよ。あたしが最後にあそこに入ったのは2年前だったけど、ほんっとに何にもなかったわよ」
大きな水筒を勢いよく煽ってから、オルカはあっけらかんと言った。嘘をついているようには見えない。やはりあの場所は外れなのだろうか。それにしては、昨日のリジンの態度は気にかかる。
黙考しているレンリに、オルカが怪訝な顔で付け加えた。
「そういやあリジンの奴、姿が見えないと思ったらあの辺ちょろちょろしてんのよね。何やってんのかしら」
「僕等に知られるとまずいことなんですかね?」
言ってから、しまったと思う。口を押えてみるが遅かった。噂好きなこの女を、下手に刺激してはいけない。この手の好奇心が事態を好転させることはほとんどないのだから。
しかし、そんなレンリの動揺を知ってか知らずか、オルカは再び他愛のない物へと話題を戻した。手元の機械で時間を確認すると、午後の始業時刻が迫っている。
レンリは、気のない返事を挟みながら、彼女の話が途切れるのを辛抱強く待った。
確認しておくべきことがあるのだ。シャルロッテ・オーウェンとデスクの近い、この女教師に。
「あのー、オルカさん」
タイミングを見計らい、半ば無理矢理に口を挟むと、オルカは好意的な表情で相槌を打った。話を遮られたことに関しては気にしていないようだ。
「なーに?」
「オーウェン先生のことなのですが」
彼女の変化は誰が見ても明白だった。一瞬にして、好意的だった相貌に翳りが差す。急激に辺りの空気が重くなり、温度が下がる。
今更他の話題を振るわけにもいかず、絶好の機会を逃すことも惜しい。ほんの刹那の逡巡の後、レンリは意を決して一石を投じた。
「一体何があったんです?」
「あたしに聞かないで」
にべもなかった。改めてオーウェンの名を出した時のオルカの態度から、この反応はレンリの予想するものであった。
だが、これだけで引き下がったのでは仕事にならない。半ば勢い任せで話を続ける。
「あなたはオーウェン先生とデスクが近い。何も知らないと言うことはないかと思ったのですが」
「知らないのよ」
「何の前触れもなく、突然出勤してこなくなったと」
「それを調べてどうするっての?」
「オーウェン先生には昔お世話になったことがありまして。彼女に何が起きたのか、知りたいと思ってはいけませんか?」
口から出任せだが、目の前の女の警戒を解くには十分だったようだ。
「あなた、あの子と知り合いだったの」
「ええ、はい。何か知りませんか?」
一時凌ぎでしかないと自覚しながら、さらに問いを重ねる。オルカは右手を顎に当て、何かを思案し始めた。
たっぷりと、焦らすような間。レンリは、襲い来るもどかしさに耐えながら、ただ彼女の言葉を待った。
「知らないわ」
ところが、紡がれたのは、すげない拒絶の言葉であった。先ほどの思案顔は何だったのか、問い詰めたいところを、表情を引き締めてどうにか辛抱する。今はまだ、深入りすべき時ではないだろう。
「そうですか」
「あなたがいなくなるまでに戻ってくればいいわね」
オルカは吐き捨てるように言うと、出し抜けに席を立ち、レンリの傍らを速足で通り過ぎて行った。
彼女の残した言葉の意味を、突き放すような声音の理由を、レンリはしばらくの間考えていた。
◆8
そのチャンスが訪れたのは、レンリが臨時講師として派遣されてから5日が経った日のことであった。
この日は、教員たちの帰宅が早く、終業時間を過ぎたばかりの職員室には人の気配が全くなかった。時節到来と踏んだレンリは、オルカの物と向かい合わせになっている、ある教員のデスクへと向かった。無論、シャルロッテ・オーウェンの物である。
デスクの上は綺麗に片付いており、紙切れや筆記具どころか、埃の一つさえ落ちていない。他の職員のそれと比べても非常に殺風景なデスクは、持ち主が不在であることを如実に物語っていた。
オーウェンと言う教師は、毎日デスクの上を真っさらにしてから帰るような几帳面な人物だったのだろうか。あるいは、休職に入ったことを知ったお節介な同僚が、余計な気を回したのかもしれない。休職期間に入るつもりで本人が片付けたと言う可能性も、考慮に入れる必要があるだろうか。
どちらにせよ、彼女については情報を集めるべきだ。少々人の道に外れることになったとしても。決心を固め、一段目の引き出しをそっと開いた時だ。
「ちょっと、君」
離れた場所から飛んできた声に、レンリの鼓動は跳ねた。何列か向こうのデスクの間から、黒髪の気弱そうな男が胡乱げな目つきでこちらを見ていた。
このデスクにくる前は確かに人の気配はなかった。この男の入室に気が付けなかったのは、大きな誤算であった。
「お疲れ様です。僕は、シャルロッテ・オーウェン先生の代理として魔法基礎を教えている、レンリ・クライブと言います」
理性を総動員することで動転した気持ちを抑え込み、何食わぬ風を装う。喉が渇き、背中を冷や汗が伝うが、表情には出していない自信があった。
「そこは君のデスクじゃないでしょう」
非難がましい眼差しを真っすぐに向けられ、弱気な本音が顔を出す。すぐにこの空間を離れたい。できることなら、社員寮の自室に帰り、何のしがらみもない夢の世界に旅立ちたい。
彼が心中で一通りの現実逃避を試みている間に、黒髪の男はすぐ傍まで迫っていた。決心はつかなくとも、レンリの口はひとりでに動く。
「実は僕、オーウェン先生とはちょっとした知り合いなんです。彼女に過去の授業の記録を見ても構わないと許可をもらっていたので」
オルカの時同様、用意しておいた台詞だった。無論、その場凌ぎの出鱈目だ。訝しがられるだろうかと様子を伺えば、黒髪の男は大きく目を見開いていた。目線が定まらず、レンリの方を見ようともしない。彼は、露骨に動揺していた。
「実は、物質魔法の試験を控えていまして、そろそろ問題を作らなければいけないんです。何か参考になる物はないかと思ったのですが、この通り、デスクの上には何もなく。分かりやすいところに置いてくださっているのではないかと探してみたのですが。忘れていたのかもしれませんね。ところで、失礼ですが、あなたは?」
さりげなく引き出しを閉めながら畳みかけると、男はしばらく目を泳がせてから、仕切り治すように居住まいを正した。身長は男にしては低く、コンプレックスのあるレンリにも届いていない。
「あ、ああ。紹介もせずに失礼しました。私はラディー・バイクスです。一般教科を教えています」
「オーウェン先生とは親しいのですか?」
「親しいと言うより、私の一方的な片思いですよ」
レンリが切り込んでいくと、バイクスは自嘲気味に笑い、頭を掻いた。
「では、オーウェン先生がなぜ過労で倒れられたか、あなたはご存知ですか?」
「無理が祟ったんでしょうね。シャル……オーウェンさんは、いつも生徒のために一生懸命でした。授業がうまくできなかったと言っては、遅くまで残っていることも多くてね。ずっと心配していたんです。いつか体を壊すんじゃないかと」
「オーウェン先生の魔法基礎の授業は生徒たちに好評だったようですね。僕、毎日言われるんですよ。シャル先生がいい、シャル先生はまだか、とね。全く、子供たちは正直ですよ」
「そ、そうですか。確かに彼女は、いつも念入りに準備をしていましたから……」
レンリが苦笑すると、バイクスは一瞬顔を硬直させ、そしてほんの少し口角を持ち上げた。その僅かな表情の変化を、レンリは見逃さなかった。
「も、もし、オーウェンさんに事付けがあるのなら、私が彼女の家に届けますよ。自宅が近いんです」
「それは助かりますね。ですが、今はまだ会話ができない状態だと聞きました。僕のせいで回復が遅れてもいけませんので、試験問題は、自分なりに考えてみることにします」
「それがいいでしょう」
虚ろなやり取りを交わしながら、どちらからともなく整然としたデスクを後にする。知り合いだと聞いた時のバイクスの動揺。生徒たちの話をした時の彼の態度。この男は、何かを知っているのではないか。レンリの思考は、どこまでも深く沈んでいった。
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