05 教師たちの恋模様

 ◆9




「リジン先生」


 翌日、出勤早々レンリが声をかけたのは、初日に旧校舎前で出会った男、テイキッド・リジンであった。無論、気が進んでのことではない。


「何の用だ」


 男の表情には、以前に増してあからさまな敵意が含まれていた。獰猛な爬虫類を思わせる瞳が、小柄なレンリを捕食せんと狙っている。

 すでに引き返したくなるレンリだったが、即座に気を取り直す。現実逃避ならば、今朝自室で散々してきた後だ。


「前回あなたにお会いした時、あなたがあの旧校舎から出てきたのを思い出したんです」

「それが何だってんだ」

「旧校舎は、取り壊しを待っているだけの何もない建物だと聞きました。リジン先生は、あの校舎で何をされていたんですか?」

「どうだっていいだろう、んんなこと」


 彼のつれない返答に、しかしレンリは内心で安堵する。この男は、目先の感情で動くタイプの人間だ。腹芸とは恐らく無縁だろう。

 彼が何かを知っているのであれば、そう遠くないうちに尻尾を出すだろうし、当てが外れたとしても、その気になれば情報を聞き出すことは容易い。


「すみません。一度気になったら確かめずにはいられないたちなもので」

「何もねえよ。あんたが期待してるようなもんわなあ」

「もしかして、僕が何を期待しているのかご存知なんですか?」

「知らねえなあ。興味ねえ」

「それなら、少し教えてくださってもいいのでは……?」


「ダメだ!!」


 二度目の恫喝。至近距離からの大音量に、レンリの肩が知らず震える。周囲の教師たちが遠巻きに見ていることに気がつくと、リジンは決まり悪そうに視線を下げた。


「とにかくだ」


 そこで一旦言葉を区切る。他の教師をその獰猛な視線で追い払うと、レンリの眼前まで迫ってきた。


「あんた、何企んでんだか知らねえが、これ以上校舎の中を嗅ぎ周るなよ。次、あんたがちょろちょろしてるとこを見かけたら、こいつで胸に大穴開けてやっから覚えときな」


 威圧的な声音で告げられたのは、警告である。いつしか、リジンの手には濃い青色の杖が握られていた。どこにでもある平凡な水の杖。この世界ではよく見る争いの光景だ。

 

 その眼差しに込められた分かりやすい殺意を、レンリは真正面から受け止める。この時、彼の心中には、ある種の感慨が生まれていた。

 2年前、幾度となく晒されてきたものだ。だが、それよりも数段容易で、そして生ぬるい。


「何を笑ってる。ふざけてんのか?」


 リジンの言葉で、聊か表情が緩んでいたことを自覚する。慌てたふりをして、ホールドアップの姿勢を取った。この男を怒らせたとしても、返り討ちにすることは造作もないが、それをすれば任務の遂行と今後の社会生活に著しい支障が出てしまう。


「すみません、そんなつもりでは。単なる好奇心だったんです。普段は鍵がかかっているようですし、あなたがあまりにも隠そうとするので、つい気になってしまって。出過ぎたことを聞いてしまい、大変失礼いたしました」

「いくらしおらしくしたって、俺ああんたを信用しねえ。魔法教会の関係者は口がうめえ奴等ばっかりだ」

「そこにはオーウェン先生も含まれているんですか?」

「いいや。あいつあ違えな。度のつく不器用だったからな。あいつにゃ嘘はつけんさ」


 それは、ほんの一瞬の変化であった。間近の男の口角が上がり、瞳に優しげな光が宿る様を、レンリの目は確かに捉えた。それが親愛なのか、はたまた他の感情からくるものだったのか。


「失礼ついでに1点、よろしいですか?」

「嫌だね」


 声のトーンをぎりぎりまで落とし、幾分か敵意の薄まった相貌に最後の問いを投げかける。


「あなたがオーウェン先生に好意を持っていると、アカデミー内で噂になっていることはご存知ですか?」

「はっ、作り話だな。あんたみたいにおもしろがって広める輩がいるから、根も葉もねえ噂が立つんだ。いい迷惑だね」


 男の顔には隠しきれない困惑が滲んでいた。想像通り、分かりやすい男だ。


「隠すことはないと思いますよ。誰しも恋愛は自由です。ルールを守っている限りは」

「いちいち棘のある言い方しやがって」


 彼の言葉を遮るように、授業の開始を告げるベルが鳴る。周囲を見回せば、同僚の姿はほとんど消えている。


「朝からお引止めして申し訳ありませんでした。それでは失礼します」

「ああ。もう二度と話しかけるんじゃねえよ」

「できることならそうしたいですね」


 去り際に残された捨て台詞に、聞えよがしに反駁する。受けた嫌味はきっちり返す。それがレンリの信条である。




 ◆10




 調査を始めて8日目の夕暮れ時のことであった。

 レンリは、教員たちから集めた情報を整理するべく、社員寮へと帰宅を急いでいた。ところが、アカデミーを出たところで些細な忘れものに気がつき、思案の末に職員室へ戻ることにしたのだった。


「好きなの」


 歩きながらまとまりのない思考を弄んでいたレンリの耳が、明瞭な女の声を拾った。出所はすぐに知れた。今しがた向かおうとしていた部屋であった。

 思わず立ち止まり、身を縮める。躊躇したのはほんの僅か。扉の開いていた隣室へと身を隠した。


「好きなのよ。ラディー、あなたが」


 媚びるような甘やかな声は、オルカ・フラットリーの物に違いなかった。元より隠すつもりもないのだろうか。彼女の声は、気配のなくなった寂し気な廊下によく響いた。

 どうやら、極めて重大な場面に遭遇してしまったらしい。


 ラディー・バイクスが何かを話している。が、彼の声はくぐもっていて、隣室の中にいるレンリの耳は内容を拾うことができない。


「すまない」


 その一言だけが、唯一レンリの居所まで届いた。よくある失恋の光景だ。

 これ以上二人の話を盗み聞くのは悪趣味だ。忘れ物を取りにきただけなのだから、素知らぬ顔で職員室に入って行けばいい。頭ではそう思いながらも、レンリの好奇心が両足を固い地面に縫い留めている。


 レンリが躊躇している間にも時は刻々と過ぎ、話は進む。


「やっぱり……あの子なのね?」


 低く重い声だった。それは後ろ向きな感情をたっぷりと含んで、聞く者の心に暗い影を落とすようであった。


「あなたがあの子の家を訪ねてたって言うのは、嘘じゃなかったのね」


 冷静な声色がかえって恐ろしい。


「分かってるわ。あたしなんかじゃ、あの子には全然及ばないことぐらい。若さも、見た目も、性格も全部」


 言い聞かせるようなバイクスの声。機嫌を伺っているようにも聞こえる。バイクスは、オーウェンと自宅が近いと言っていた。ならば、訪ねていたのは彼女の自宅だろうか。逸る気持ちを抑えつつ、隣室の様子を伺う。



「思ってもないことを言わないで!!」


 小さな音を聞き逃すまいと集中していたところに大声を叩きつけられ、レンリの鼓動は大きく跳ね上がった。それは、オルカの悲鳴じみた声だった。


「あなたがあたしを何とも思ってないことは分かったわ。シャルには叶わないってことも。もう……それで十分よ」


 女の声が涙混じりとなり、頼りなさげな男の声がそれに重なる。レンリが聞いたのは、そこまでであった。


 猥雑な部屋を飛び出し、速足でアカデミーを後にした。他人事なのに居たたまれなかった。これ以上留まる意味もなかった。

 彼女に好意を向けるバイクスとリジン。彼女をよく思っていない様子のオルカ。シャルロッテ・オーウェンと言う教師に対し、さまざまな思いを抱える同僚たちがいる。このことが、果たして、今回の任務にどのような影響を齎すのだろうか。

 レンリの目に、未だ真実は見えない。

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