03 魔法教会

 ◆5




 担当している授業が終わり、簡単な報告書を書き終えると、レンリはさりげなく職員室を後にした。任務の一端を始めるためである。

 まずは、この校舎の内部を詳細に把握しておきたい。なるべく目立たないように靴音を忍ばせ、誰かと鉢合わせても困らないよう右手に見取り図を携えて、校舎の奥へと足を進める。

 同じアカデミーでも、初等部の一日は短い。早ければ昼すぎに、全ての授業が終了となる。

 傾き始めた日差しが大きな四角い窓から降り注ぎ、埃と足跡の渦巻く廊下を照らす。時折教師らしい大人とすれ違うことはあれど、レンリの脇を通り過ぎて行くばかりで、彼の存在を気に留める者はない。


 考えてみれば、自分は何の面白味もない人間だと思う。

 手を上げても気付いてもらえないこともあった。一年かけても担任に名前を憶えてもらえないこともあった。自分の分だけ食事や飲み物が用意されていないと言うこともあった。


「君ってさあ、いつもいるのかいないのか分からないよね」


 教員時代の同僚の言が思い出される。当時はすこぶる不愉快に思ったものだが、その影の薄さ故に現在怪しまれることなく調査ができているのだから、悪いことばかりでもない。そう考えることで、いつもどうにか溜飲を下げるのだ。



「おいあんた。どこに行くつもりだ?」

 慳貪な声に呼び止められたのは、探索を始めてしばらく後のことであった。まだ足を踏み入れていない場所、そして、見取り図にも書かれていない場所、人気のない奥の校舎に入ろうと、広い回廊を渡り切った時である。

 周囲を見回すまでもなく、その声の主は立っていた。校舎の内側から大柄な男の胡乱げな目が覗いている。


「初めまして。レンリ・クライブと申します。今日から半月の間、オーウェン先生の代わりに魔法基礎を教えることになっていまして」

「授業はとっくに終わったはずだろ。こんなとこで何してる」


 男の鋭い相貌に懐疑が宿る。とてもではないが好意的とは言い難い。しかし、当然それはレンリの予想の範疇であった。外部の人間の出入りを良く思わない者は必ずいる。


「ええ、そうなんですが、これからしばらくお世話になる場所ですから、教室の位置関係を頭に入れておこうと思いまして。こうして地図を見ながら歩いていたところです。今日だけで2回も道に迷ってしまったので、過ちを繰り返さないようにと」


 用意しておいた回答を口にしながら、右手の見取り図を掲げて見せる。冗談めかして言ってはみたものの、相手の表情が動くことはなかった。

 見取り図に一瞥をくれることもなく、男はあからさまに舌打ちをした。鋭い眼差しがさらに細められる。


「引き返せ。あんたがこの校舎で教えることは絶対にない。ちょろちょろされると迷惑だ」

 「できることならそうしたいんですよ」と言う言葉を胸中に留め、レンリは曖昧に頷いた。男を怒らせないよう言葉を選ぼうとする自分がいる。

 元より見知らぬ人間と話すことは、彼の得意とするところではない。相手が初対面で、かつ威圧的な人物ともなれば、投げ出したい気持ちも一入だった。

 が、そんな自分を叱咤激励し、彼は意を決して話題を振った。


「それは申し訳ありませんでした。知らない場所を歩くことが好きなもので、つい冒険心できてしまいました。入ってはならない場所があるとは聞かされていなかったもので。この奥には一体何があると言うんでしょう?」


「帰れ!!」


 鼓膜を震わせたのは、恫喝であった。震えそうになる体を、今にも後退ろうとする足を、理性と気合で押し留め、続く言葉を待つ。


「いいか。余計な詮索はするなよ。あんたはただ、忠実に仕事をしてりゃあいいんだ」

「分かりました。今日のところは帰らせていただきます」


 男はそれ以上、何かを言うつもりはないようだった。形になっているのか怪しい柔和な表情を取り繕ってどうにかそれだけを口にすると、レンリは踵を返し、元きた回廊を歩き出す。

 先刻の鋭い視線が背中に突き刺さるようで、すぐにでも走り出したい衝動に駆られたが、すんでのところで踏み止まった。

 この日は、この男と出会ったことですっかり疲弊してしまい、再び何かを調べようと言う気には到底なれないのだった。




 ◆6




 魔法教会とは、この世界の魔法に関する一切を取り仕切る巨大な組織の名である。

 本部があるのは魔法都市ベルベリア。支部が各国、各町に設けられており、運営はそれぞれに一任されていると言う。

 共有魔法を習得するために必要な魔法書の作成と売買、魔法に関する法の整備、公認魔法師による治安の管理、アカデミーへの魔法講師の派遣など、その活動は多岐に渡る。

 上層部であっても、魔法教会の全容は把握できていないのではと囁かれるほどだ。そして、その底知れなさ故に、後ろ暗い噂も数多い。


「魔法教会が動いているんですか? こう言っては何ですが、過労で倒れただけの教師のためにですか?」

「まさか」


 レンリの問いにスカーレットは薄く微笑むと、抱えていた書類の束の一番上の一枚を指し示した。自分よりも僅かに背の高い彼女の傍に肩を並べ、その文面を覗き見る。


「その教師、シャルロッテ・オーウェンさんって言うんだけど、未だにコミュニケーションが全く取れない状態なんですって。強い精神的ストレスが加わったと言うのが、魔法教会の見立てなんだけど」

「はあ。それはそれは。魔法基礎を教えていたと言うことは、その教師も魔法教会の人間だったんですよね?」

「ええ。魔法教会の派遣講師よ。まだ22歳で、着任して2年とちょっと。勤務態度もとても良好で、人柄も真面目そのもの。問題を起こすような人ではなかった、と」


 重要個所を次々指し示しながら、スカーレットは言った。白くすべらかな指が紙面の上を行き来する。文字の羅列から即座に要点を導き出すのが、彼女は非常に得意だった。


「やる気に溢れた若い教師が数年で体調を崩す。ありがちな話ですね」


 自嘲と憐憫とをないまぜにしたような心境で、レンリは続きを促す。


「まさか、その教師の労働環境を見直せと言うわけではないでしょう。人を人とも思わない魔法教会が」

「ええ、もちろんそうじゃないわ。好機なのよ。教会にとっては」

「はい? あのー、言っている意味が分かりません」


「『ワンライン』」

「は……?」


 声のトーンを落として、スカーレットが囁いた。


「規模は不明、本拠地も不明。あなたも聞いたことくらいあるでしょ?」

「はい、まあ。まさか、関係が?」


 ワンラインと言う名前に、レンリの表情は硬くなる。

 窃盗や恐喝などの小さな事件を起こす犯罪組織。彼等は、自らを『ワンライン』と名乗り、世界全土にその名を知られている。

 レンリとて、その名を忘れられるはずもない。2年前、レンリたちが魔竜の討伐に成功し、誰もが世界平和の訪れを信じていた頃、どこからともなく現れて水を差してきたのだから。


「あるみたいよ。正確に言うなら、魔法教会はそう考えてる」


 そこで一度言葉を区切ると、スカーレットは手元の書類の束を覗き込み、一枚のメモ用紙をその中から抜き出した。今年に入ってからの日付がいくつかと、その横に数名分の氏名が並んでいる。


「最近ね、カルパドールアカデミーの初等部の生徒が、何度か誘拐事件に巻き込まれたの。自警団の活躍で、どれも大事には至らなかったんだけど、初等部内部に協力者がいると言う線が濃厚らしいわ」

「自警団ですか」

「そう、自警団」

「魔法教会には、それがおもしろくないと」

「そういうことね」


 さもありなんと頷きながら、スカーレットは書類の束を右腕に抱え治した。

 魔法教会と自警団が犬猿の仲であるのは有名な話だ。どこの国でも、両者は互いに反目し合っている。ひとたび市民の治安が脅かされるようなことがあれば、瞬く間に情報戦と論戦が展開され、牽制の応酬が始まるのである。


「奴等のくだらない領土争いに我々を巻き込まないでいただきたいですね」

「同感だわ」


 ため息交じりのレンリの言に、珍しくスカーレットが同意を示す。



「そういうことだから、後はよろしくね」


 言い終わる頃にはこちらに背を向け、歩き始めている。

 彼女の後ろ姿が曲がり角の向こうに消えるのを、レンリは黙って眺めていた。今回は少々骨を折ることになりそうだと、胸中で覚悟を決めながら。

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