02 魔法基礎

 ◆3



「この世界の全ての事象は、8つの属性のどれかに分類されると言われています。そのことは、みなさん知っていますね?」

「知ってるー!」

「知ってるに決まってるじゃん」

「シャル先生が教えてくれたもん」

「シャル先生がよかった」

「それでは復習です。8つの属性には何があったか、答えられる人は?」

「はい!」

「はいはい!」


 威勢よく、あるいはおずおずと、小さな手が一斉に上がる。その手の数の多さに、レンリは目をみはった。魔法学の基礎中の基礎であるとは言え、20名以上の生徒のうち、半数が手を挙げていた。


「では、そうですね。エトラさん」


 昨日必死の思いで暗記した座席表を脳内で呼び出すと、座席と氏名とを照合し、一人の生徒を指名する。淡い青紫色の髪を二つに結んだ女子生徒が、驚いたように目を見開いた後、力強く立ち上がった。


「風、水、炎、大地、氷、雷、光、闇です!」


 少女の回答には迷いがない。教室を見渡せば、他の生徒たちもごもっともとばかりに頷いている。

 レンリは内心で関心を通り越して驚いていた。最初こそ、騒がしいばかりで教えるのに難儀しそうだと覚悟していたが、どうやら取り越し苦労だったようだ。


「正解です。よく引っかからずにすらすらと言えましたね」

「シャル先生が教えてくれたから」


 エトラは、そう言ってはにかむと、席に座った。


「僕等人間は、この8つの中から一つだけ、必ず魔法を使うことができるようになっています。中東部を卒業する時には、どの属性を使うかを決めることになります。主属性と呼んでいるものですね。一度決めたら死ぬまで変えられないものですから、それぞれの属性の特徴を知って、自分の目で実際に魔法を見て、よく考えて決めましょう」


 小気味の良い音とともに黒板に要点を示しながら、レンリは滔々と語る。ノートに内容を移す者、教科書を熱心に読んでいる者、彼の話に聞き入っている者。生徒たちの反応は様々だ。


「続いては、魔法の種類について教えます。18ページを開いてください」

「はーい」


 ちらほらと上がる素直な返事を背に、レンリは再び板書を開始した。昨夜何度も読み返し、脳内に叩き込んだ教科書の内容を、一つ一つ書き表していく。実のところ、彼は魔法学には全く明るくない上に、一切の興味もなかったが。


「魔法の種類には、物質魔法、治癒魔法、補助魔法、結界魔法の4つがあります。治癒魔法と補助魔法、そして結界魔法は、とても複雑で難しいので、習うのはもっと先です。まずは、基本である物質魔法について学習しましょう」


「物質魔法と言うのは、言ってみればごく普通の魔法です。水を出したり炎を出したりするものですね。君たちも日常的に見ていると思います。エンドールさん」

「うひゃ!?」


 室内を見回して目についた生徒の名を呼べば、後方の席で調子はずれな声が上がった。


「呼ばれてるよ、エディー」


 隣席の生徒に肩を小突かれてようやく立ち上がったのは、ずば抜けて体格の良い男子生徒。


「風の物質魔法を、威力の小さい順に……」

「エア!」


  レンリの言葉の終わらないうちに、エンドールが半ば叫ぶように応える。その潔さに免じて、教科書の下に隠された別の本については追及を保留にした。


「はい、30点。いいですか? 風の魔法は、エア、エアル、エアレイド。来週末には物質魔法のテストをしますから、これからしっかりと頭に入れていきましょう」


 その言葉に、それまで黙って授業を聞いていた生徒たちが俄かにざわめいた。


「ええー? テストー?」

「嫌だ嫌だー!」

「覚えられないー!」

「シャル先生がよかったー!」

「シャル先生、帰ってきてー!」

「悪かったですね。シャル先生ではなくて」


 先ほどから名前の挙がっている教師は、過労で倒れたと言うシャルロッテ・オーウェンのことだ。熱心に職務に励んでいたのだなと、レンリは彼女にそれとなく賛辞を送る。しかし、その真面目さ故に倒れることになったのだと思うと、どうにも居たたまれない気持ちになるのだった。

 教師の仕事をしていた時、そのような事例は数多く見聞きしてきた。何も教師と言う仕事に限ったことではないだろうが、純朴な新人が潰される話など、列挙していけば枚挙に暇がない。

 レンリは、今頃自宅のベッドに臥せって悲観の渦に飲まれているであろう女教師を思い、ささやかな祈りを捧げた。同じような状況下に身を置いたことのある者として。




 ◆4




「クライブ先生はどこからきたの?」

「どこに住んでるの?」

「いつもは何のお仕事してるの?」

「彼女いる? 彼女」


 授業の終了とともに、教室の中は再び耳を覆いたくなるほどの喧騒に包まれた。元々賑やかな場を好まないレンリはすぐにこの空間を飛び出したくなったが、次の駒もこのクラスで教えることになっている。

 そうこうしているうち、あれよあれよと子供たちに囲まれてしまった。好奇心に輝く何十もの瞳が一斉に自分へと向けられる。職員室に逃げ帰ることを許してくれそうにはなかった。


「ねーねークライブ先生、ドッジボールやろうよ!」

「クライブ先生はあたしたちとお話しするんだもん」

「魔法! 魔法見せてー!」

「ちょっ、ちょっと待ってください! 一気に言われても困りますって!」


 子供特有の甲高い声を四方八方から続け様に浴びせられ、教師の仮面も大人の余裕も意味を成さない。子供の扱いに慣れていないレンリには、彼等の要求や質問に応えてやることもできそうにない。

 いっそ拳で思い切り教卓を叩けば静かになるだろうか。不穏な考えが脳裏を過った、その時である。



 手を打ち合わせる小気味の良い音が2回、部屋の中に木霊した。


「はいはい、みなさーん! あんまりクライブ先生を困らせないでねー!」


 淡いオレンジ色の髪を肩の周りで躍らせながら、若い女が入ってきた。見知らぬ人間の登場に騒然とする生徒たち。軽やかなステップで教卓までやってくると、人好きのする顔に愛らしい微笑みが浮かんだ。


「助っ人にきましたよ。レンリさん」

「ナナハネさん」


「お姉ちゃん、誰ー?」


 レンリの周りに群がっていた子供たちが、今度は彼女の方へと走り寄っていく。生徒の一人が発した言葉が合図となった。彼女は教室内に散らばる子供たちを見回し、続いて足元で群れる子供たちを見た。そうして顔を上げると、どんな人間も緊張を解いてしまうような、人懐っこい微笑を浮かべた。


「ナナハネ・ハートリーです。クライブ先生のアシスタントとして、先生とおんなじ会社からきました。私は初めの3日間だけですけど、よろしくお願いしますね」

「ナナハネ先生……? ナナ先生だね」

「ナナ先生!」

「ナナ先生!」

「はい、ナナ先生ですよー」


 子供たちと握手を交わしたり頭を撫でてやったりしているナナハネを、レンリは複雑な心境で眺めた。


 人と話すのは昔から苦手だった。行動の予測がつかない子供は特に、彼の心を疲弊させる。

 教師を志したのはなぜだったか、もうあまり覚えてはいないが、就職先に中等科を選んだのは、小さな子供の相手をするのが嫌だったからに他ならない。多感な時期の生徒の相手は、それはそれで神経を使うことになるのだが。



 取り留めのない思考の海をぼんやりと漂っていたレンリの耳に、楽しげな生徒の声が届いた。


「ナナ先生ってさあ、クライブ先生と付き合ってるの?」


 子供たちの質問攻めに笑顔を絶やさずに対応していたナナハネも、これには目尻を下げ、当惑の表情を見せた。


「そっ、そんなわけないですよー」

「だって、さっきナナ先生、クライブ先生と見つめ合ってたじゃん」

「見つめ合ってたよね!」

「うん!」

「うんうん!」

「恋人? それとも旦那様?」

「ちっ、違いますー! あれは、目で挨拶しただけでー……」


 教卓に群がって無邪気に笑う子供たちを一瞥し、レンリは足を踏み出した。ナナハネは、この手の話題に滅法弱い。このままでは、大人としての彼女の沽券に関わる。そろそろ救いの手を差し伸べてやらねばならないだろう。

 声をかけるその前に、小さく嘆息することも忘れずに。


「こら、エトラさん、エンドールさん。君たちも、大人を困らせてはいけませんよ」

「何で困るのー? ねーねー、何で?」

「ナナ先生、何でー?」

「チューしたの? チュー!」

「違うよ、ギューッ! が先だよ」


 意地悪く笑う二人の生徒に、同調する他の生徒。これだから子供は。レンリが内心で毒づいた時、次の授業の開始を知らせるベルが鳴り響いた。

 納得のいかない様子の子供たちは、それでも律儀に自席へと散っていく。横目でナナハネの様子を伺えば、朱に染まった顔に安どの表情が浮かんでいた。


「ナナハネさん、すみません。きていただいて早々」

「い、いえいえ。私は全然気にしてませんから。子供の言うことですしね。ね」

「この時間は杖の扱い方を見せようと思っているんです。ナナハネさん、実演を手伝っていただけますか?」

「はい。もちろんです」


 見慣れた同僚の笑顔を、心底心強く感じていた。

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