第4章 現実 〜 見知らぬ女(3)
見知らぬ女(3)
「うまく……いかない……」
再び聞こえたその声は、かなり丸みを帯びてはいた。しかしまさしく、瞬の知ってる声でもあった。
「全然、きれいに切れないよ、瞬……」
「未来……なのか?」
自分の名前を遮るように、彼は間髪入れずに声にする。
「変でしょ……変だよね……?」
すぐに返ったその声は、それでもほんの少しだけ明るく響いた。彼が未来の名を口にした途端、クシャクシャだった顔が微かながら弛緩したのだ。続いて照れたような表情が現れ、ますます彼の知っていた未来の顔に近付いた。
「どうして……?」
それでも決して、彼の知る未来ではない。
どうしてだ? どうして? どうして? どうして? そんな言葉を幾つ並べても、足りないくらいに訳が分からなかった。瞬の知っていた未来は、まさに若々しさに満ち溢れていたのだ。勿論歳だって彼と同じ。ところがだ。今目にしている未来は、どう見たって同い年には見えようもない。
「……瞬の知っているわたしは、高校時代からずっとショートだったもんね……」
そう言って、少しだけ笑みの浮かんだその顔に、幾つもの涙の筋がこぼれ落ちた。
前半はまるで聞き取れなかったのだ。それでも続いた言葉で、彼はようやくさっき起こったことの意味を知った。視線の先では、きっと未来なんだろう女性が、左右に手を添え髪の長さを気にしている。
――ちょっと待ってくれ! じゃあ、これまで僕が見ていたのは?
若々しい未来はどこに消えたのか? そう思って、遊園地にいた彼女を思い浮かべようとする。ところが脳裏に浮かび上がった姿は、彼の精神を根底から揺さぶり、認識すべてを覆すものだった。
――嘘だ……嘘だ、嘘だ!
再び真顔になっている女性の前で、瞬は思わずそんな大声を上げそうになる。
何度思い返しても、脳裏に浮かぶのは皆同じだった。ジェットコースターやレストランにいた未来も、ベンチに座っていた横顔もみんな同じ。そのすべてが彼の知っていた顔ではなかった。ショートになってしまった髪型以外、目の前にある顔そのもの。
――俺が勝手に、若い未来だと思い込んだのか?
やはり瞬は亡霊で、昔の未来を忘れられずにこの世を彷徨っている。そう思ってしまうと、彼はたちまち新たな恐怖に襲われるのだ。
〝そろそろ……お墓に帰らないといけないわね、瞬〟
〝だって、もう随分前に、あなたは死んじゃってるんだから……〟
〝やっと気が付いてくれたわね、さあ、さっさと天国に向かうのよ……〟
そんな台詞が頭の中で何度も何度も渦を巻いた。まるで立場の逆転だった。そんな現実を思うとすぐに、再び矢島が叫んだ言葉が蘇る。
――そうさ、俺は悪魔になってしまった……。
今度は素直にそう思うのだ。ところがその時、
「そんなことないわ!! 」
それはあまりに突然響き、瞬の思念をあっという間に遮った。
「瞬は悪魔なんかじゃない! だって死んでなんかいないし、ちゃんと生きて呼吸だってしてるんだから!」
力強い声が続いて、彼は再び彼女の方に顔を向ける。すると怒りと悲しみが入り交じった表情を見せ、やはり大人になってしまった未来が瞬のことを見つめていた。
ちゃんと生きていて呼吸をしている。悪魔ではないということも含めて、未来が声にしたことはすべて真実なのだ。ただこれ以上更なる現実を曝け出していいのか? 彼女は心密かに悩みつつ、少しだけ変化してしまった瞬の姿に目を向けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます