第3章  見知らぬ世界 〜 地下室(2)

 地下室(2)




「救急車を呼んでくれ! それから誰か! 何か押さえるものを持ってきてくれ!」

 金田はそう叫びながらも、

 ――こうなったら……もう助からない。

 流れ出てしまった血を目にして、心の片隅ではそんなことを思っていた。

 矢島の動きが完全に停止から5分後、屋敷中に設置されたセンサーのうち1つがその異常を感知。常備している端末に情報が送られ、彼は慌てて警備室に向かったのだ。そこは元々客人用の寝室だった。しかし今は、屋敷中の情報がすべて集まるように、様々な機器が勢揃いしている。その中でも一際目立つのが、並び置かれている50インチ程の2台のディスプレイ。その2台それぞれが、幾つものコマ割された景色を映し出している。彼がエンターキーを叩くと、右側にあるディスプレイが一瞬真っ暗になった。しかしすぐに、地下らしい映像だけが画面一杯に映し出される。地下室のドア上部に設置されたカメラが、エレベーターから地下室の扉までをしっかりと捉えているのだ。そんな映像を確認してスペースキーを叩くと、今度は画面右端に小窓が現れ、大画面と同じ映像が映し出される。そしてほんの数秒後、大画面の映像だけが微妙に揺れ始めるのだ。金田は録画された動画を大画面に呼び出し、先ずは侵入者の有無を確かめようとしていた。そして4倍速から10倍速にして30秒くらい経った頃、遡っていく映像の中に突然動くものが現れる。

「嘘だ……何があったんだ!?」

 映し出された静止画像を脳裏に浮かべ、金田は地下へ向かう途中で何度もそう呟いた。別人であって欲しい。しかしエレベーター前で見せたあの横顔は、間違いなく谷瀬香織のものだった。この後、彼は心から矢島に助かって欲しいと思っていた。なのに結局、金田が救急車を呼ぶのは20分後で、警察へ通報するのは更に30分が経ってからとなる。

 金田ができる限りの応急処置を施した頃、ちょうど救急車が到着して矢島はあっという間に運び出される。部屋にいた全員も矢島の後を追い、地下室には彼1人が残された。

「警察が来るまで、ここへの立ち入りは遠慮してくれ!」

 そう言って全員を追い立てていた金田は、最後の1人が出て行ってすぐに扉に鍵を掛ける。更に今一度誰もいないことを念入りに確認し、さっきポケットにねじ込んだものを取り出した。それは見るからに女性用のパンティで、単純に下着と呼んでしまうにはあまりに艶かしいものだ。金田は人を呼ぶ前に室内を調べていて、香織の髪留めと血に染まる写真を見つけていた。その二つをハンカチに包んで隠し持ち、その後もちゃんと調べた筈だったのだ。ところが応急処置を始めてすぐに、矢島のズボンのポケットから赤いレースが覗き見えた。あの矢島という男が、赤いレースのハンカチなど使う筈もない。

「救急車を呼んでくれ! それから誰か! 何か傷口を押さえるものを持ってきてくれ!」

 金田がそう叫ぶと、傍にいた3人がパッとその場から離れていった。その瞬間を逃さずに、赤い生地を引っ張り出してズボンのポケットに忍ばせる。そして……、

 ――こうなったら……もう助からない。

 そんな確信が強まるに従い、

 ――絶対に、香織が一緒だったと分からないようにしないと……。

 そう思わせるものすべてを、彼は徹底的に排除しようと心に決めた。

 不自然にならない程度に指紋を拭き取り、念には念を入れて、呼び寄せた使用人たちをなんだかんだ言って動き回らせる。そうすれば、もし香織の痕跡が残っていたとしても、不自然さは確実に薄まる筈だ。勿論、ズボンの状態から事の成り行きを察した彼は、腹から手を差し入れて、下着とズボンをあるべき状態へと戻していた。そのせいで腕から指先までべったり血液が付着したが、これは止血の為の作業でまったくの帳消しとなる。ただ1つ問題だったのは、サバイバルナイフが見つからないことだった。収納ケースだけが車椅子に残っていて、部屋中どこを探しても出てこない。とにかく香織のことさえなんとかすれば、逃げ道はどこかにきっとある。彼はそう信じて、胸ポケットから携帯を取り出し、着信履歴トップを無造作に選択する。

 ――早く出てくれ……早く……。

 ジリジリするようなそんな思いと共に、呼び出し音が永遠のもののように感じられる。先ずは防犯カメラの映像を何とかしなければならない。その為にはセキュリティの解除コードを愛菜から聞き出し、基幹PCに入力する必要があった。そんなことは皆、警察がやって来る前、できるなら110番する時には終わらせておきたいのだ。

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